あの人はバレンタインが嫌い(二話)

 その言葉を聞いて、桃子はこの世の終わりでも来てしまったかのような絶望感に襲われた。そもそもこんなちんちくりんな自分が渡していいものなのか、それすらもわからなくなってしまったのだ。

 特に可愛いわけでもなく、化粧のけの字も知らない。気にしてはいるもののどうにもならないそばかすだらけの顔。それでいてショートカットの髪はいつもぴょんぴょんと四方八方にはねてしまっている。

 一番はこの年の差だった。想定四十代の彼に、桃子の年齢となるとどのみち相手にもされないのではないか、といった絶望感から桃子は静かに席を立った。


 それから一週間、桃子はオペラには顔を出せずにいた。なぜか良くない想像が頭から離れずにいた。バレンタインを渡したいといった女性とオーナーの関係や、実は他の彼女がいるとか、もしかしたら結婚しているのではないか、とか。

 明日はバレンタイン当日。桃子は土曜日の昼下がりというのにベッドに寝転がりながら天井を眺めていた。

 スマホを開いてみると、ウェブサイトに開かれっぱなしだったチョコのレシピが飛び込んできて途端に忌々しくなった。

 ため息が部屋中に充満したとき、ふと気づいた。


(一人でお店してて、しかもケーキは手作りなのに、なんで甘いものが苦手なんだろう)


 そもそもおかしな話なのだ。店に出すものを作った本人が食べないわけがない。結婚もしてなくて、彼女もいないのなら、嫌いだとしてもそのケーキは一体誰に食べさせるというのだろう。

 自分が食べなければわからない粗だってあるはずのではないのだろうか。なら、なぜ嫌いなんて言ったのだろうか。

 そんな疑問が桃子を覆いかぶさる。そして、桃子は持ち前の行動力を発揮させた。


(とりあえず甘くないのを作ったらいいじゃん! もう当たって砕けろでしょ!)


 必死に甘くない、それでいて大人の味なレシピを探していると、あるレシピが目に留まった。

 それは喫茶オペラと同じ名前のレシピの、オペラというケーキだった。

 上品かつ大人の味、オペラ。フランスのケーキだというそのケーキは、コーヒーシロップやブランデーなども使われていると書かれたレシピに、これだ! と体を起こし、早速材料を買いそろえた。

 晩御飯を終えてすぐに桃子は材料をキッチンに並べて、携帯でレシピを表示させて、取り掛かる準備が整った。

 オープンキッチンから見えた桃子の両親は、俗にいうラブラブな夫婦だった。リビングでテレビを見ていたお母さんに声をかける。


「お母さん、台所借りるね! ブランデーってあったっけ?」


「あらあら、もうそんな時期? ブランデーならお父さんのとっておきがあるわよ。今年は何人分作るの?」


「今年は本命がいるから一つだけっ!」


 ラブラブな夫婦から生まれた子供で、しかも一人娘の桃子はそれはもう愛されていた。特に父親は桃子の恋には目ざとい。


「なに! 桃子、いつの間に彼氏なんて……」


「お父さんはいいのよ~、私がいるでしょ? 桃子、何か手伝おっか?」


「ほんと!? 初めて作るのだから、お願いしていいかな……?」


 そして二人はオペラ作りに勤しむ。二人で作り上げていくオペラは大人の味わいを見事に再現し、およそ二時間で完成した。

 母親が手伝ったことはブランデーを入れたシロップの味見をしたことくらいだが、桃子からすればコーヒーが苦手なことと未成年なので酒が飲めないことを考えると、大分と助かった。大人の味を再現できたのは母親あってのものだった。

 ラッピングのセンスが壊滅的な桃子に代わって、デパ地下のケーキショップで働く母親が見事なラッピングをしてくれた。

 見た目は完璧なバレンタインチョコだ。桃子はそのバレンタインを見て、一気に血の気が引いた。


「どうしよう、お母さん」


「ん? どうしたの? やっとできたのに」


「やっぱり迷惑じゃないかな……。私、今めっちゃ迷惑なことしちゃってない?」


「そんなことないんじゃないかしら?」


「そうかな」


「そうよ。だって、これを受け取る人に向けて心を込めて作ったんじゃない。こんなに一生懸命作ったのって、今までなかったでしょ。それにね、恋心っていうのは最高の隠し味なのよ」


 その言葉に、桃子はほんの少しの自信を取り戻して、明日のバレンタインに備えてベッドにもぐりこんだ。


(砕けてもいい。でもせめて、今夜だけはいい夢を見られますように)


 桃子の願いとは裏腹に、特に何の夢も見ずに、朝を迎えた。といっても、早朝六時の早すぎる起床となったのはいうまでもない。

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