青森上空〜新千歳空港
「だから、ガツガツすんなっての」
冷静な私の態度が男の怒りを煽るであろうことは、分かってた。今のセリフは頭の中で太蔵に対して伝えるはずのものだったが、つい私の口をついて出てきてしまったものでもある。みるみるうちに男の顔が怒りで赤くなっていく。
「女、いいから脱げオラ」
「ああすみません、あんたみたいな野蛮人には言ってないです」
なぜこんな買い言葉を私が言っているかというと、男の感情を最大限に昂らせて『欲望の覇王が産みし邪気玉』、以下『邪気玉』を誘い出す為である。この過程がないと祓えないのだ。
2年前の時はただ祓えば良かった。祓ったと同時に悲鳴のようなものが聞こえることがあり、その際は大変気分が悪くなったが、まだ簡単だった。今にしてみれば、あの悲鳴は彼ら悪霊にとっての非常事態を伝達する手段だったのかとも思う。
邪気玉が要救助者に潜んでいる時は、死神にも視認できないらしい。感情の発露がそれを浮かび上がらせるらしく、太蔵に言わせれば、邪気玉はその人間の本性に結びついているから、とのこと。
(とにかくバーって悪口とか言って怒ったり泣かせたりドン引きさせたりして、邪気玉がポッコー出てきたら太蔵がバコッってやってくれるんでしょ)
「まあ、お前がいいならそういう言い方でもいいが」
「じゃあ、もっともっと怒らせてやろうね」
男の顔色が変わった。
「いい加減にしろよ」
「だからあんたには言ってないって。私が話しかけてあげる必要ないでしょ」
会話の混線が続いた結果、事態が動き出したのは結果的に良しとするべきか。おかしくなったのは、脳内で行う太蔵との会話がダダ漏れてしまったからである。だから原因の一端は私にあるが、そもそもの口火を切ったのは私の横で包丁を振り回している男だ。
ついに痺れを切らしたのか、男はズボンのチャックをカチャカチャといじりだした。この場で私と致すおつもりらしい。そんな無防備な状態をハイジャック犯が望むかと正気を疑うが、考えてみれば相手は正気ではない。口汚い言葉をブツブツとつぶやきながら、左手だけで器用にブツをにょろりんとまろび出した。
注視する。目を逸らしたら負けだ。しかしガン見するに値するものなのだろうか、これは。
(ネットで見たものよりは……。けどなんかに似てるなあ)
「お前、いくつだっけ」
太蔵の声には、幾分悲しみが含まれているようだった。
(26で、もうすぐ7になるけど、それが)
「いや、いいんだ。すまんな」
(何だっけ、これ……)
心底申し訳なさそうな、さもすれば優しさすら含まれている気がする死神の声に、思わず唇の端を吊り上げてしまう。同時に謎が解け、目の前のブツを見ながら口走ってしまったのである。
「つくしんぼうだ!」
おそらく私の頭上には、つくしんぼうよろしくビックリマークがぴょこんと飛び出していたに違いない。男が飛びかかってきた瞬間、太蔵がバットを振るった。邪気玉が見えたのだろう。バランスを崩して男は私の足元にべちゃっと寝転がった。
「それ確保ー!」
私の呼びかけに応じ、前後の席に潜んでいた私服警官が飛びかかる。ハイジャック犯が紛れ込んでいることが事前にほぼ確定しているのだから、当然警官も配置されていたのだ。
別に掛け声は決まっていない。もしかしたら私にはそれを言う権限はないのかもしれない。けれど一度は言ってみたかったのでつい使ってしまった。
なるべく静かに取り押さえてくれないと私は泣く。飛行機が揺れて落ちてしまう。だが警官たちは私の危惧などおかまいなしにドッタンバッタンやるものだから、ここで意識が途切れた。たぶん怖くて頭のヒューズが飛んだんだと思う。
〜 〜 〜 〜 〜 〜
女性乗務員に肩を叩かれ目を覚ました。まもなく着陸態勢に入るので普通に座ってほしいとのことだ。
気づけば私は座席の上で正座をしていた。スニーカーも脱いである。恐らく、少しでも巻き込まれたくない思いで一度シートベルトを外し、捕物劇の邪魔にならない体勢をとったものと思われる。我ながらちゃっかりしているな。
取り押さえられた男は、飛行機の前の方に連れて行かれたようだ。邪気玉に取り憑かれていたという証言は福利労務省経由で警察に通達されるだろう。せめてあの男が真っ当な人間として社会復帰できることを願いたい。
アナウンスが始まった。恐らくもう少しで着くからシートベルトを締めろという内容だろう。その割にはまだ高度を下げている様子はない。
「えー、ただいま新千歳空港上空は、強風の為、気流の安定を待ちまして着陸いたします。少々揺れますが安全に支障はないのでご安心ください」
いや、揺らさないで。お願いだから。だが飛行機は高度を下げつつ、明らかにヤバい感じで揺れ始めた。揺れるというよりはガタガタ震えている感じだ。
涙に滲む目で乗務員を見る。彼女たちはアルカイックなスマイルを浮かべながら私に向かって優しくうなづいた。もしかしたらハイジャックに襲われかけたことを心配してくれているのかもしれないが、それは見当違いであり今この状況に対してどうにかして、と私は訴えているのだ。
「これより着陸を試みます」
心なしか、先ほどよりも低い声で機長のアナウンスが。私にはわかる。乗務員も乗客も、警官も犯罪者も今願っていることは「何事もなく着陸してほしい」のただ一つ。
両肩に何百人かの命を乗せた機長は、飛行機をグングンガタガタと下降させ、なぜか再び上昇へ。少ししてかすれた機長の声が。
「ダメでした」
「フヒッ」と変な声が私の口から出たようだ。もう意識がショートしかけている。きっと顔の筋肉はふやけた笑顔の形を模っていることだろう。
「ダメでしたが、もう一度試みます。ダメな場合は青森へ引き返します」
たぶんだけど、普段は「ダメ」とは言わないのではないか。ダメダメ連呼されても乗客の顔が青くなるだけである。それだけ風が強くて機長も慌てているのか、逆にテンションが上がっているのかはわからない。
大きく旋回した飛行機が、再度着陸態勢を取る。一気に50メートルほどは落下していそうな激しい急降下とともに、私の意識も落ちたのだった。
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