第26話
扉の閉まる音がした。龍希ちゃんが部屋を出て行ったのだ。
外で戦っている人達を助けたい――
龍希ちゃんの言葉は私の心の内を的確に表していた。外で戦っているのは私がこの基地に来てから共に仕事をし、訓練をしてきた仲間たちだ。助けることが出来るならもちろんしたいに決まっている。けれど、それは出来ないのだ。
だからこそ、私の言えない事をはっきりと言ってしまった龍希ちゃんにあんな態度を取ってしまった。
仲間を助けられない悔しさと龍希ちゃんへの態度の後悔に自己嫌悪でいっぱいになっていた。とにかく負傷した隊員を下げさせて最小限の手当てをするように指示する。せめて出血だけでも止めておかないと、あっという間に死ぬことになる。
そうして指示を出し終え、後は見ている事しか出来ないとモニターを見ていると、龍希ちゃんのお母さんである彩燈さんに声を掛けられた。
「日高さん。さっきは龍希がすみませんでした」
「いいえ、むしろ私の方がきつく当たってしまってすみませんでした。龍希さんはどんな様子でしたか?」
「大丈夫ですよ。今は一人にした方がいいと思いますから。それにこういう時は親よりも友達とか気軽に話せる相手の方が、ね」
そう言った彩燈さんの視線の先にはドアの隙間から外の様子を覗いているスライムさんの姿があった。そのせいでドアに少し隙間が出来たのか、内容までは分からないけど話し声が聞こえてくる。
誰と話しているのだろうと思ったのだが、そう言えば龍希ちゃんは眼鏡さんを掛けていたことを思いだす。
「それに仲間が傷つけられているのを見て辛いのは日高さんの方でしょう?龍希も途中でそれに気づいたから、あんな顔をしたんだと思います。だから龍希に代わって謝っておこうと思って。日高さんの気持ちに気づかないで無責任な事を言ってしまってすみませんでした」
何となくだけど、母親というのは強いなと思った。
「……いいえ、本当にそんなことはいいんです。それに龍希さんは私が思っても言えないことを言葉にしてくれた。そのことは本当に嬉しかったんです。でも、それでも彼らを助けることは出来ない。それは危険という事ももちろんありますが、助けに行くことの出来る戦力が無いのが一番の理由なのです」
「そうなんですか?かなり広い基地だったのでもっと人がいると思うのですが」
龍希さんのお父さんである達也さんの疑問ももっともだ。この基地の広さであれば本来もっと戦力が、人がいなくてはおかしいのだ。しかし、それには現状だからこその理由がある。
「周辺に出現したダンジョンを攻略するために大部分の戦力が割かれています。その為、今この基地には普段の半分も居ません」
「それじゃあ戻ってくるように連絡をすることは?」
「これは一般には出ていない情報ですが、ダンジョンの中と外の通信は出来ないんです。中にいる者同士であれば問題無く出来るのですが。一応先程連絡をしてみましたが、やはりどこの部隊もダンジョンの中にいるようで、予定通りなら暫くは戻ってきません。せめて航空戦力が到着してくれればその限りではないのですが……」
その航空戦力に通信を取っているはずの斎藤二佐からの連絡はまだ入っていない。連絡を取るだけならさほど時間もかからないと思うが、もしかしたら管理棟が魔物に倒されてしまったのか。
「日高さん!こ、これを見てください!」
慌てた様子で声を掛けてきたのは坂井だった。その手にはスマホが握られ画面をこっちに向けている。そこには何かの動画が再生されているのが見えた。
「そんな動画がどうしたって……っ!」
動画はニュースのライブ中継の映像だった。しかし映っているのはスタジオではなく、どこか見覚えのある建物と中心で暴れまわる怪物の姿。そしてそれに攻撃を加えている自衛隊だった。
離れた位置からだが、上空から撮られているだろうその映像には今まさにこの基地で起きている事が映されていたのだ。
「どうしてこんな映像が……!」
「さすがにあの魔法陣の騒ぎに加えて魔物の出現です。周辺の住民からかなりの注目を集めてしまった結果、テレビ局が動き出す騒ぎにまでなっているようです。SNSの方も、ほらこの通りです」
今度はタブレット端末の画面を見せてくる。それは凄い勢いで次々と投稿がされていて、ニュースの切り抜きや自分で撮っただろう画像まで出回っている。このままではトレンドの上位に入るのも時間の問題、いやもう手遅れかもしれない。
「『どうして地上に魔物が』、『世界の終わりだ』、『自衛隊どうにかしてくれ』、『ちょっといてみようかな』などなどかなり混乱していますね」
すると、今度はどこかで電話の音が鳴る。
彩燈さんと達也さんの二人の携帯に連絡が来ていたようで、朝陽ちゃんと水月ちゃんからの連絡らしい。すぐに出ても構わない事を伝える。
「もしもし朝陽?……ええ、こっちは大丈夫。ちゃんと避難してるから。そっちは――」
「もしもし水月かい?……ああ、みんな無事だよ。水月の方はどうなんだい――」
どうやら安否確認の連絡だったようだ。そりゃあ姉と両親が騒ぎの真っただ中にいることが分かっているのだから、心配にもなるというものだ。
「それにしてもこの騒ぎを今から収めるのは無理ね。ここまで話しが広がってしまっている以上、今更何も出来ないわ」
「ですね。せめてこれを見た近隣の人達が自主的に避難してくれるとありがたいのですが、むしろ人が集まってきそうな気配さえあります。さすがに基地の中にまでは入って来ないでしょうが、かなり危険な状態なのは間違いありません」
すぐにでも上層部に今の状況を報告しなくてはと考えていると、再び電話の音が鳴り響く。それは部屋に備え付けられていた電話で、基地内の有線の電話機だった。
すぐにそれを手に取り電話に出る。
『こちら斎藤二等陸佐。そっちは誰だ?』
「斎藤二佐!?日高です!」
『おお、日高だったか!そっちは無事に避難は出来たか?』
「はい。研究所地下にあるシェルターに私達と柊家の皆さん、研究員も避難済みです。負傷者は無く、今の所こちらに被害はありません」
『なら良かった。こっちは空自の連絡を取った後、上からの対応に忙しくてな。そっちに連絡するのが遅れてしまった、すまん。航空支援に関してだが、すぐに出動すると言っていたからそこまで時間もかからないはずだ』
空自の協力は取り付けられていたようだ。それだけの火力があれば魔物を倒すことも可能かもしれない。ようやく倒すことの出来る目途が立ち始めた。
それにしても連絡が遅れたのは、上に報告をあげていたからだったからのようだ。
「という事はネットで流れている情報については既に知っているのですか?」
『ああ、確認している。それも含めてもうすぐ上が適当に動くはずだ』
「地上の部隊にかなりの被害が出ています。今の状態で空から攻撃するのは部隊にもダメージがいきかねません。どうにか撤退の支援、もしくは救出は出来ませんか?」
『それは難しい話だ。お前も知っての通り今この基地の戦力はほとんど出払っている。残ったやつらもアレの対応で全員あそこに出張っている』
負傷により動けなくなっている隊員は既にかなりの数に上っている。このまま航空砲撃が始まれば、ワイバーンの周辺にいる隊員は無事では済まない。何とか攻撃の隙を縫って負傷した者を下げさせてはいるが、それでも全く手が足りていない。それだけあの魔物は規格外の強さという事だ。
『全員の救助が終わるまで空からの攻撃を待つわけにもいかない。時間を掛ける程アレが外に出ていく危険性が高まる。だからこそあの場に留まっている内に倒さなければならない』
きっと次に紡ぐだろう言葉は私が龍希さんに言ったのと同じ事だ。
自分で言うのもきつかったが、人に言われると猶のこときつい気がする。
『残念だが、彼らを助けることは――』
その声音から苦虫を噛みつぶしたような顔で結論をだそうとしていることはすぐに分かった。斎藤さんが言うということは、この基地でのほぼ決定事項となる。つまり彼らが無事かどうかは、本当に天命に委ねられることになる。
ああ、聞きたくない――
しかし、聞いてはみたものの最初から分かっていたことだ。自分も同じ結論に辿りついていたのだから。それでも、ほんの少しだけ希望を見てしまった分さっきよりも気分が落ち込む。
願ってはいけない。けれど願わずにはいられなかった。
誰か、私達の仲間を助けて欲しい――
『――出来な「ボクが行きます!!」い……つ!?』
「「「……!?」」」
斎藤さんの言葉を遮る声。その声の主は私達がもっとも欲しかった言葉を伴って現れた。声のした方を見ると、大きく開いた扉の前に立っているのはさっきこの部屋を出て行った人物。
しかし出て行った時とは別人のような顔つきになって、堂々とその言葉を口にしていた。
「ボクが外の人たちを助けに行きます!」
「龍希、さん……?」
ああいう目は見たことがある。何かの覚悟を決めた者の目だ。その姿からは覇気のようなものすら感じられ、白いオーラのようなものが立ち昇っているようにも見える。
いや、それは幻覚ではなく本当に龍希ちゃんの身体から出ていた。この現象には見覚えは無いけれど、本人の口から聞いた状態に酷似している。
まさか――
「龍希さん、あなたまさかスキルを使っているの!?」
「はい!これならあの中に行っても十分に動くことが出来ますから!」
「今すぐ止めなさい!それを使えばどういう事になるのか貴女も知っているでしょう!?」
私と同じ事を思ったのか、彩燈さんと達也さんもすぐに龍希ちゃんを止めに掛かる。二人とも今にも泣きそうな表情になりながらも、必死に止めようとしていた。私も止めさせなくてはと思い、説得しようとするが――
「大丈夫だから」
何故かは分からない。たった一言、その言葉で混乱していた頭が落ち着きを取り戻す。それは彩燈さんと達也さんも同じだったようで、不思議なものを見たような顔をしている。
「スキルのデメリットはもちろん分かってるよ。けど、それも解決したから大丈夫だよ」
「解決したってあなた、一体何があったの……」
「ちょっと色々あったの。ねぇお母さん、お父さん。ボク、外の人たちを助けに行きたい。今のボクにはそれが出来る。助けることが出来るなら、ボクは助けたい」
「そんなの許すと思ってるの!?許すわけないでしょ!あんな危ない所に大事な娘を一人で行かせるなんてそんなこと出来る訳ないじゃない!!」
温厚そうな人が怒ると怖いというのは本当なようで、今の彩燈さんは鬼の様に怒っていた。でも龍希ちゃんはそれを真っすぐに受け止めて、目を離さなかった。
「でも行かせて欲しいの!それに一人じゃないよ。眼鏡さんもスライムちゃんも一緒だよ。全員助けて、全員で絶対に無事に帰ってくるから。お願いお母さん、お父さん。ボクに今できる事をさせて欲しいの!」
そう言ってお互いに視線をぶつけ合う彩燈さんと龍希ちゃん。私も止める方に加わるべきなんだろけれど、口を挟むことの出来ない雰囲気がある。
まさか龍希ちゃんがここまで自分の意見を主張するとは思ってもいなかった。これまでの印象からはあまりそんな事をするようには考えられなかったからだ。
どうしようと思っていると、そこに口を挟みに行ったのは達也さんだった。
「龍希、外が危ないことは分かっているよね?スキルが使えるようになったからって勢いだけで言っているんじゃないのかい?」
「それは違うよ。確かにさっきまではいろんな状況に流されていたと思う。でも、自分の中に助けたいって気持ちがある事にも気づいた。だからこれは流された訳でも、力に酔って言ってるわけでもない。本当にボク自身の言葉だよ」
「……本当に大丈夫なんだね?」
「うん!!」
「彩燈さん、僕は龍希を行かせてあげたいと思うよ」
「達也さんまで、何言ってるのよ!?」
「龍希は何の勝算も無く無鉄砲に突撃するほど馬鹿ではないよ。ちゃんと考えがあるから、こんな事を言っているだと思う。そうだろう?」
達也さんの言葉に、コクリと頷いて返す龍希ちゃん。
「親としては子どもを危険な場所に送り出すのは間違っているかもしれない。でも僕は、親として龍希に行かせてあげたいと思うんだ。この子の覚悟が本物だと思ったから」
「……」
まさか達也さんがそっち側につくとは考えていなかった彩燈さんは、達也さんをキッと睨みつける。その視線にビクッとしながらもきちんと受け止めている。それからもう一度龍希ちゃんに視線を向けて少し、深く息を吐きだす。
「かすり傷を負ったら、私もそこに怪我をする。血でも流したら私も同じように血を流す。腕の一本でもなくしてこようものなら、私も腕を切り落とす……もし死んだりしたら、私も死ぬ。それでも行く?」
「……行くよ」
静かに、けれど確かな覚悟を込めて行くと龍希ちゃんは告げた。
それを今度は彩燈さんが受け止める。そして、ゆっくりと息を吐きだした。けれど今度は脱力するように。
「今言ったことは冗談でもなんでもないからね。だから絶対に無傷で帰ってきなさい。それが私との約束よ」
「かすり傷一つ無く帰ってくる!お母さんに怪我なんてさせられないもん!」
「それじゃあお父さんもそうしようかな。これでもし龍希が怪我をして帰ってきたら、お父さんとお母さんの二人とも怪我をしなくちゃいけなくなるね」
「だ、大丈夫!」
家族での話が纏まり、龍希ちゃんはこちらに歩いてくる。
そして私の真正面に立ち、先程を同じ言葉を口にする。
「ボクに、みんなを助けに行かせてください」
この子はあくまできちんとみんなに認められから行くつもりなのだろう。だから両親に納得してもらい、今度は私も納得させようとしている。
止めなければいけない。頭ではそう思っているのに、止めようとする言葉が出てこない。口にしようとしてもすぐに別の感情がそれを止めてしまうのだ。
それは絶対に表に出してはいけない感情。
この子に託すことなんて決してやってはいけない願い。
言葉を紡げずにいる私の手を龍希ちゃんは取って両手で包む。
「日高さん。これはボクの方から頼んでいる事なんです。どうか、あの人達を助けさせてください」
ああ、この子は本気なんだ。本気で彼らを救おうとしているんだ。
溢れすぎたダムの水が決壊するように。気が付くと目からは涙が流れ落ちていた。そして一度溢れたものを抑え込むことは私には出来なかった。その感情のままに私は龍希ちゃんに言葉を投げかけていた。
「お願い……します……どうか、仲間を…助けて……ください!」
「任せてください!」
顔を上げれば、そこには優しい笑顔で私を見ている龍希ちゃんの姿があった。
ああ、人の笑顔でここまで安心することが出来るのかと私はそんなことを思ってしまった。
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