第17話
「ふっ……ふっ……ふっ……」
まだ早朝の街では、普段はしている音のほとんどが鳴りを潜めている。それは昼間になれば賑わう商店街も、車が行き交う大路もだ。途切れ途切れに車が来るだけで、その間隔も十分に一回来るか来ないかである。
ボクと同じようにランニングしている人の姿を何人か見かけるけど、やっぱり数は少ない。ボクだってこんな早朝に走ることになるとは思ってもみなかったのだ。
「眼鏡さんっ……何分ぐらい経った……!」
『走り始めてから十分ほどですね。バテるにはまだ早いですよ?』
「でも、ボク元々体力無いしっ……」
『体を鍛えたいとはマスターの言い出したことでしょう?ほら、ペースが落ちてきてますよ。しっかり足を回して!』
「は、はいっ……!」
退院してから既に一週間以上が経とうとしていた。その間にボクはこの早朝ランニングを始めたのだ。始めた最初の頃は、十分も走っていれば体力が底をつきバテていた。でも今では、それなりに体力を残して走る事が出来ている。
これもトレーニングの成果が出ている証拠だね!
『そもそもマスターの元々の体力が低すぎなんですよ』
「そんな事っ……言ってもっ……!」
『目標は昨日よりも長く走ることなので、十五分以上走り続けることですね。ですのでペースはそのままあと五分――頑張ってください!』
「はいぃ……!」
そうしていつものルート、自分の家を出発してぐるりと回るようにして走る。そうして眼鏡さんにタイマー係をしてもらいながら、決められた時間を走り切る。そして時間いっぱい走り切ってからゆっくり歩いて家に帰る。
これが最近の朝に日課だ。
『……そこまでです!』
その声を合図に走るペースを緩めて、走りではなく歩きに移行する。ここでいきなり止まったりすると酸欠になったりすると体育の先生が言っていた。だから、止まらずゆっくり歩きながら家の方に歩を進める。
「ふっ……ふっ……ふぅ……」
歩きながら荒くなった呼吸を整える。
『よく頑張りましたね。記録更新ですよ』
「ふぅ……うん、昨日よりも体力が付いた気がするよ」
『それは幻覚ですね。体力は一朝一夕でどうにかなるものではありませんよ』
「むぅ、厳しいなぁ~」
呼吸も落ち着いてきたので眼鏡さんと話す余裕も出てくる。十五分なんて短いと思われるかもしれないが、ボクにとってはフルマラソンと同じ感覚なのだ。
ボクは基本的に運動はあまりしない。酷い結果にしかならないのが目に見えているからだ。だからどっちかと言うとインドア派で、普段はゲームしたりマンガ読んだりすることが多い。
家族には「どうして太らないの?」と親の仇を見るような目で見られるが、ボクだって知らない。
むしろどうしたらそんなに身長と胸が大きくなるのは教えて欲しいぐらいだよ……
そんな事を考えながら眼鏡さんと話しているうちに、家についてしまう。
「おかえり龍希。お風呂湧いているから入っちゃいなさい」
「うん、ありがとうお母さん」
帰ってくると台所で朝食の準備をしていたお母さんに声を掛けられる。これも最近では毎朝の事なのでお互いに慣れてしまった。
最初の頃は、ボクがこんなに朝早くに起きていることに驚くこともしばしば。
お母さんの言葉に甘えてお風呂に入ってしまう。シャワーで汗を流し全身を洗ってから湯船につかる。
「はぁ~……」
季節は夏だけれど、熱いお風呂というのはいつの季節でもいいものだ。さすがに朝から入浴剤を使ったりはしないけど、夜にはいつも使っている。
湯船の中で体を解しながら、マラソンを始めることになった理由を考える。
病院から帰って来た次の日のこと。
ボクが自分から申し出たのだ。両親はボクがそんな事を言うとは思ってもみなかったのか目を丸くしていた。妹たちも同様だ。
そんなことをしようと思った理由は、やはりダンジョンにある。別にダンジョンに入る為とかそんなんじゃないことは真っ先に説明した。今のスキルを使えないボクでは、行ったとしても死んでゾンビアタックぐらいしかできないからね。
だから動機としては単純な事で、自分の身は自分で守りたいから。
今も世界中でダンジョンを攻略しようと頑張っている人たちが沢山いる。でも眼鏡さんも言っていたようにあと半年で目標を達成するのは難しいのだ。だから、もしそうなってしまっても自分の身ぐらいは守れるようになりたい。そして出来ることなら、家族と友達も守りたい。
スキルの力を持たないボクに出来ることは純粋に体を鍛える事だけだからね。半年でどこまで出来るか分からないけど、頑張ってみようと思ったのだ。
しかし、如何せんボクの運動神経は悪い……
『ふむふむ、体力は最初よりもついてきましたね。あとは筋力のほうですか』
「腹筋とか腕立て伏せとかもしてるから、ちょっとは筋肉もついてきたんじゃない?」
ほら、と力こぶを作って見せる。眼鏡さんは風呂桶の中にタオルを敷いて、お風呂に浮かべてある。本人曰く、水に濡れても壊れることも錆びることも無いらしい。
『……それで今日の予定はどうしますか?』
「あれ?スルーされた?」
『はいはい多少はついてきましたよ。それで、何かありますか?』
「と、言われてもね~……あんまり外には出られないし」
休みの時期なのにわざわざ早朝にランニングをしている理由があるのだ。
例の地球の意志が作ったサイト、最近では案内板とか呼ばれているらしいアレにボクの名前が載った事が原因なのだ。あの時はカルマシステムがあるから大丈夫だと思ったんだけど、そう上手くはいかなかった。
まず家に帰って来た日の事。家の周りには普段は見かけない人影がいくつかあった。何事だろうと思いつつ車を降りると、一斉にこっちにやって来たのだ。どうやらボクの事を取材に来た人だったらしくて、いきなり話かけられてびっくりした。
その時はお父さんとお母さんが何とかあしらってくれたけど、次の日も取材の連絡とかが色々あった。
酷いときにはカメラを持って家に押しかけてきた人もいたほど。
ちなみにその人たちは、カルマシステムが仕事をして雷が落ちたようなエフェクトを出して痺れてい。そして、ちょうどそのとき来ていた日高さんに回収してもらった。
その後は取材の人とかも来なくなったけど、どうしてだろう?
そんな訳であまり外に出る事が出来ないのだ。両親もそうだけど日高さんからも不用意に外出しない様にと言われている。だから今日は、というか最近は特に予定も何も無いのだ。する事と言っては、夏休みの宿題をするとかお母さんの家事を手伝うとかぐらいしかない。
「――ああ、そういえば地球の意志さんから貰った黒い布ってどこにあるんだっけ?」
『ありましたね、そんな物。今は私の収納の中に保管してますよ』
「あれを使えば外出とかも大丈夫なんじゃないかな。確か認識阻害とか色々な効果があるって言ってたよね?」
『解析しましたが、確かに強力な認識阻害の効果が掛かっています。隣を歩いていても道端の石ころみたいな認識になるレベルです』
「何それすごい」
その効果が本物なら外出しても問題ないはずだ。
「これはちょっと試してみる必要があるね……」
さっさとお風呂を上がり、着替えを済ませる。そしてその上から、眼鏡さんに出してもらった黒い布を被る。頭から被って分かったのは、これかなり視界が制限される。さすがにこの状態で歩くのはつらい。
「……これって頭から被らなくちゃダメ?」
『いえ、普通に身に着けるだけでいいですよ。というかマントとかフードの様にして着るという選択肢は無かったのですか?』
「……」
顔が熱くなるのを無視しながら、マントの様にして羽織る。洗濯ばさみで胸元を止めて、フードが出来るようにすれば即席のマントの完成!
念のためフードを被って洗面所を出ていく。
その足で向かうのはリビングだ。ちょうどお母さんが朝食の準備をしているはずだから、試すにはちょうどいい。
そーっと扉を開ける。すると、ガシャリという音が鳴ってしまった。
「あら、誰か起きてきたの?それとも龍希?」
「……」
返事をするわけにはいかないので、沈黙を保つ。
「変ねぇ、ドアが開いたと思ったのだけど?」
少しして台所の方からそんな声が聞こえてきた。とりあえずボクがリビングに来たことはバレていない。後はちゃんと姿が見えない事が確認できれば成功だ。
今度は慎重にドアを閉めて、台所の方に向かう……!
台所に入ってもお母さんはボクに気が付いた様子はない。そこで、声を掛けてみることにする。
「お母さーん!」
「やっぱり龍希だったのね?――あら?龍希?」
ボクの声に反応してこっちに視線が向くが、それがボクに合うことは無い。目の前にいるはずなのに本当にボクの姿が見えていないんだ。
「(凄い、凄い!!本当に見つかってないよ!!)」
効果も検証出来たので、ここでネタばらしといきますか!
「おかーさん!」
「きゃあ!!?た、龍希!?あんたいま、どうやって……」
「あはは、ごめんごめん実は――」
さっきまでの事を説明していく。最初は困惑気味だったお母さんも話を聞いていくうちに、驚きながらも納得してくれた。
「なるほどね。でも料理中は危ないから次からは別のタイミングにしてね」
「うん、ごめんなさい」
「それにしても凄いわねそれ。私でも使えるのかしら?」
「どうなんだろう?眼鏡さんは分かる?」
『使用者制限などは特にないので、誰でも使えますよ』
「お母さんでも使えるって。ボクもどんな風になるのか見たいから使ってみて!」
「それじゃあ――」
黒い布、なんかぱっとしないから“不可視のマント”とか呼んじゃおうかな?
お母さんがそれを被るとその場にいるはずなのに本当に姿が見えなくなってしまった。でも声だけはちゃんと聞こえるから猶のこと不思議である。
すると急にお母さんが黙りこむ。
「あれ、お母さんどうしたの?」
「――……こっちよ!!」
「ふぇ!?あっ、ああはははは!!くすぐるの止めて~!!」
急に後ろから声が聞こえてきたかと思うと、脇腹とか脇とかをくすぐってきたのだ。お母さんが満足するまで続けられ、終わる頃には息も絶え絶えになってしまった。
「いや~これ凄いわ!本当に姿が見えなくなるなんて!」
「はぁ……はぁ……もう、お母さん!」
「ごめんごめん、だって見えなくなるって言われたらやってみたくなるじゃないの」
「……むぅ」
「そんなにむくれないの。そうだ!朝ごはんのおかずに龍希の好きな卵焼き作ってあげるから!」
「……甘いやつ?」
「甘いやつ!」
「……じゃあ許す」
家の人たちは甘いのよりも塩気が効いている方が好きだから、甘い卵焼きはたまにしか出てこないのだ。
「それじゃあボクも手伝う。食器並べればいい?」
「あらそう?それじゃあお願いするわね。ああ、食器の前にちゃんとテーブル拭いてからね」
「それぐらい分かってるって!」
そんな感じで朝食の出来るいい匂いでお腹が空くのを感じながら、準備をしているとみんなが起き出してくる。
すぐに準備を終えて、みんなで朝食を食べ始めた。
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