第2話ナメクジ:鶴
① ナメクジ
時は数日前に遡る。
《
「樫あや」
私は目を覚ました。
私を呼ぶ声が聞こえる。
その声は先生だった?
「樫あや。この問題を解きなさい」
「はい」
私は前に出て二次関数の問題を解いて着席した。手には白い粉がついていたが、あまり気にならなかった。先生の「よくできました」もまわりの「すごーい」も気にならなかった。ただ気になったのは、私の机の上に居座る手のひらサイズの鶴であった。
「すごいね。僕にはさっぱりでしたよ」
私は返事をしようかと思ったがやめた。なぜなら、この鶴は妖怪であり、私以外の人間には見えないからだ。こんなものがいたらクラスの人たちは驚くはずなのに、何事もないように退屈な顔で授業を受けている。先生も机の上の鶴を注意せずに私を当てたということは見えていないのだろう。見えているのは私だけである。
「ねえねえ、なんでわかったの?」
この鶴は高い声で低い位置から見上げてきた。私はちらっと見たあと、目線を黒板にあげた。すると、一度目があったことで調子に乗って鶴は繰り返し質問してきた。それを私は無視した。すると、鶴は少し羽ばたいて私の目線上に浮上した。チョークの粉のように舞うその白い翼が邪魔になり手で払った。
「樫、どうした?」
先生が聞いてきた。ああ、またやってしまった。
「いえ、何でもないです」
そう言うと、先生は授業を再開した。周りからはクスクスと笑う声が聞こえた。
「ちょっと、何するの」
鶴はのんきに驚いていた。机上から見上げる姿は愛くるしいが、その存在は憎たらしい。しかし、こんなことは慣れたものである。
「あいつ、変な奴だな」
「また奇行だよ」
「気持ち悪―」
どこからともなく聞こえてきた。しかし、これも慣れたものである。
「こら、お前ら、静かにしろよー」
「はーい」
私はまわりのやり取りを静かに見ていた。
鶴は相変わらず私にだけうるさかった。
休み時間になり、私は一年の教室から出た。窓から散った桜の花びらを横目に見ながら、人気のないろうかの隅っこに佇んだ。その横手には例の鶴がいた。
「ねえ、どうしてさっきから無視するの?」
そういう鶴に私は初めて口を開くことにした。
「ごめんね、返事できなくて」
「あっ。やっと返事してくれた」
そう言いながら私の周りを飛び回る鶴は可愛らしかった。一種おとぎの国のような出来事であったが、実際にそんなものである。小さな鶴の妖怪に周りを飛ばれているのだから、おとぎ話である。
「あのね、私は無口なの。ごめんね」
「なんだ、そうだったんだ。僕、てっきり嫌われているんだと思った」
「そんなことないわよ。嫌ってないわよ」
そう言う私の左肩に鶴は止まった。大変愛嬌があって、頭を私の頬にスリスリさせていた。その頭を私はやさしく撫でた。
「じゃあ、遊ぼうよ」
「え? ここで?」
「そうだよ」
「ここはちょっと」
「どうしてなの?」
鶴は目をウルウルさせながら見上げていた。私の肩の上を先ほどの机の上と同じくしていた鶴は、同じように無視されるのを恐れているような表情だった。私は大きく息を吐いた。
「わかったわよ。遊びましょう」
「やったー」
「その代わり、少しだけよ」
「うん」
そう元気に返事する鶴は、元気に羽ばたいた。その舞う勢いは私の短い髪を上手に浮き上がらせ、それに乗せられて私はスカートを浮き上がらせるように舞った。私は一時舞い上がっていた。だからか、近くに人が通ることに気づいていなかった。私の様子を見るその人たちは、奇妙な目をしながら避けていった。私の意識は覚めていった。私の熱量は冷めていった。
「どうしたの?」
心配そうな鶴。
「ううん。なんでもない」
心配させない私。
「なら、よかった」
心配しない鶴。
帰宅する時も鶴はついてきた。無邪気に私の肩に止まっている。
あのあと約束したとおり、授業中は黙ってくれた。おかげで授業中に奇妙奇天烈な行動をしなくて済んだ。
でも、私が変な行動をとったことはすでに広まっていた。帰宅途中、私を遠くから悪口言う人たちがいた。
「どうしてあの人たちはおねえちゃんに悪口を言っているの?」
「さあね。ほっときましょう」
不思議そうな鶴に私は答えた。
「僕、あの人たち嫌い」
「そうね、私も嫌いだわ」
怒っている鶴に私も同意見だった。
と、石が私の額に当たった。さっきの悪口の人たちが投げてきたのだ。私は慣れたものだと額に手をやったら、肩から鶴がいなくなった。鶴は石を投げてきた人に向かっていた。そして、一人を突き飛ばした。
「お前たち、何をしている?」
鶴は黒く大きな姿になっていた。その愛嬌の1つもない声は私にだけ聞こえていた。状況が何もわからないだろう人たちはあたふたしていた。
「何をしている?」
それでも返事をしない人たち。当たり前だ、幽霊が見えないのだから。私は急いで見えているところに向かった。
「何をしていると聞いているのだ!」
鶴は尖った羽を叩きつけようとした。それを私は抱きついて止めた。振りほどこうとする鶴にへばりついた。
私は鶴と石投げの人との間に割って入り、ブンブン振り回されるわけだが、妖怪が見えない人からしたら、私が不自然な動きをしているだけにしか見えないだろう。
鶴はあっけにとられて、動きを止めた。
人々は恐れおののき逃げていった。
――少し時間が経ち、鶴が言う。
「どうして止めたの? あの人たちはおねえちゃんを傷つけたのに」
少しずつ白く小さな姿に戻っていく鶴を見ながら私はいった。
「怒ってくれてありがとう。でも、人を傷つけることはしたらダメよ。ごめんね」
「おねえちゃんは傷つけられているのに?」
「そうね。でも、あなたはダメよ。同じことをしたら」
「どうして?」
「どうしても。そうしないと、不幸になるわよ」
「ふこう?」
「そうよ、悪い妖怪になるわよ。だから、ダメ」
私がそう言うと、鶴は理解したのか、去っていった。
こういう別れも慣れたものである。
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