2023

Twinkle twentieth year



 その日はたまたま、家族全員が揃っていた。

 寒いからあたたかいものがいい、と誰かが言って、夕食はすき焼きになった。食卓でコンロに乗った鍋を五人で囲み、談笑しながらつついていた。


 そろそろ〆かという頃になり、


「あぁ」


 溜め息のように呟き、喜久子は箸をテーブルに置く。隣に座ったウィリアムが、傍らに用意されていたうどんの入ったざるを向かいの清海に渡しながら窺う。

「どうかしたのキクコ」

 それまで通りの別段何ともなさそうな顔で、喜久子は言った。


「これは生まれそうなんじゃないかな」



 そこからは、大騒ぎの大混乱であった。


 浄円寺家の清海・叶恵夫妻は、どちらも普段は落ち着きのある人物だ。

 清海はキャプターと情報売買の事業主を兼業しているため判断力を問われる立場にあるのと、元々性分が穏やかなこともあり滅多に取り乱さない。

 そして叶恵もそんな清海の身を護りサポートをする役目を担っており、厳しい家に生まれ育ったこともあってかどっしりと構えたところのある女傑である。


 しかし、このときばかりは流石に落ち着いていられなかった。何しろ娘の初産――初孫が生まれるのである。


 清海は来たるときのためにと準備していた最新式のデジタルカメラを探し回ったが、皆で家を出るときに間に合わず遅れて病院へ向かうことになった。聞けば探し当てるまでに一時間近く掛かったという。ちなみにすぐわかるようにと本当にわかりやすく自室の机の上に置いてあったのだが、全く目に入らなかったらしい。

 叶恵は大慌てでかかりつけの産婦人科に電話をかけようとして二度かけ間違い、その上喜久子の部屋に置いてあった入院のための荷物を取りに行き玄関に向かう途中で足が絡まり派手に転倒した。ちなみに相当強く打ち付けたらしく、後になって確認したら両の膝が痛々しく黒ずんでいた。



 そして喜久子の夫ウィリアムはというと――



「オゥ……オゥ…………オゥ……」



 いつもお喋りで騒がしい彼であったが、逆に言葉が少なくなっていた。しかし体と体の振りは大きいので、大変狼狽えているのがわかる。


 三者が緊張と困惑に陥っている中で冷静だったのは、


「お兄様、こうなっちゃったら貴方が唯一頼れる人だ。何かあったら頼んだよ」


 出産を間もなく控えた喜久子本人と、


「嫌だよ俺その子の父親でも祖父母でもねえんだぞ」


 全員を車で病院まで運んだ兄・篤久だった。


「そう言わないでよウィリーはともかくお父様とお母様までこうなっちゃうとは思わなかったんだよ、特にお母様なんて私たちを産んだ経験あるのにさ」

「自分が子ども産むのと自分の子どもが孫産むのとじゃ違うんじゃねえの、よくわかんねえけど」

「どちらにしろあの様子じゃ正確な判断を……う」

「お嬢様!? 生まれる!?」

「せんせぇよんできて……」

 喜久子の一言にそれまでおろおろとしていた三人が一斉に返事をして陣痛室から出ようとしたが出入り口で詰まり、

「俺が行くから待ってなさい!」

 結局篤久が医師を呼びに行くことになったのである。



     ☆     ☆     ☆



「まー、その後はカオスだったわ。喜久ちゃんはなかなか生まれそうにないからってウィリーにキレ散らかしてるしウィリーは何もできない上大好きな嫁に当たられて泣き喚いてるし、旦那様は落ち着かなくて部屋出たり入ったりしてるし、奥様はいつもそんなことしないくせに思い詰めた顔でブツブツ念仏唱えてるし。お前が生まれたの夜中の二時くらいだったから、ざっと六時間? ずっとそんな感じでさ。たまたま他に産気づいた妊婦さんいなかったからまだよかったけど、今考えてみれば相当迷惑な一家だったよな」

 ダイニングテーブルの上にケーキを置いた平田は苦笑しながらそんなことを言った。その向かいでアルバムを覗き込んでいた謠子と台所から紅茶の入ったポットと人数分のカップを運んできた鈴音は顔を見合わせ、またアルバムに視線を送る。

「お爺様とお婆様が……落ち着きなく……?」

「喜久子さん、キレ散らかすなんて、そんな……あの喜久子さんが……」

 写真の中の生まれたての小さな存在を取り囲む人たちは、みんなにこやかだ。とてもそんなことが直前に起きていたとは信じがたい。

「大体そんなもんじゃねーですか」

 謠子に並んでアルバムを覗き込む秀平がページをめくる。

「ヨリちゃんも美紅と純白よしあき産むとき人間じゃなくなってたし。いーちゃんとゆーまガクブルでしたよ」

「あぁ、双子じゃもっと大変だもんなぁ……ってか、優真はともかく、よく怒れる世利子に耐えきったじゃん金谷くん」

 僅かに怯える平田に、秀平はにや、と薄く笑う。

「他人事じゃねーでしょあんたもそのうち鈴音さんに罵倒されまくって心ボッコボコにされるんですよ、普段好き好き言ってくれるチョココーティングした角砂糖のはちみつ漬けみてーな女が突然の塩対応どころか五億スコヴィル値の唐辛子で目潰ししてくるんですよざまあみやがれ」

「……まだその予定はねえけど逆にそれはちょっと興奮するな」

「ほんっと気持ちわりーおっさんですねあんた」

 付属していた小さな蝋燭をバランスよくケーキに立てていきながら鈴音が秀平を睨んだ。

「私は絶対そんな醜態篤久さんに晒したりしません!」

「そういう人ほど、ねぇ~」

「んぎいぃ」

 実際には決してそんなことにはならないのだが今にも取っ組み合いが始まりそうな二人を謠子が制する。

「そこ喧嘩しない。……ねぇ伯父様、久しぶりにあれやって」

 姪の幼子のような期待の笑顔に、

「好きだなァお前」

 伯父は仕方なさそうにダイニングを出て行った。秀平がアルバムを閉じてテーブルの隅に寄せる。

「そういや何年もやってなかったですね」

「でしょ。電気消すよ鈴音さん座って」

 鈴音が定位置に座り、入れ替わるように謠子が席を立ってダイニングの照明を落とすと、入り口で何かがぶつかる音がした。

「ってェ! いきなり消すなよってか消すの早ェよ見えねえじゃん! ……ったくよォ」


 チッ、と小さな音がして、火花が弾けた。


 現れた小さな光は、ふわっと広がり、辺りをやわらかく照らす。


「ほれ座れお嬢様、ご所望のショーの始まりだ」

「うん」


 謠子が席に戻ると、再び真っ暗になる。


「ハッピーイイイィィィィ!」


 微かな摩擦音が数回。

 その数だけ、暗闇の中に細かな光線からなる火の花が咲く。


「バアアアアァァァァァッス!」


 音も光も大きくなった。バチバチと目映く輝く花たちは、ゆっくり上昇していく。驚くべきことに、一糸の乱れもない。


 一回、深呼吸をしてから。


「……デイッ!!」


 気合いの入った一言と共に、今度は急落下した。流星のように流れ落ちた火は、一瞬で蝋燭全ての上に収まった。おぉ、という三人の歓声と共に拍手が沸く。平田は、はぁ、と大きく息をついた。

「これで満足か!」

「うん。ありがとう」

 謠子は本当に満足そうににこにこしながら蝋燭の火を吹き消すと、また席を離れて照明を点けた。

「いやぁお見事、今年のは高低差で魅せてきたね」

「いきなりやれって振られる俺の身にもなれや、ちっさく派手に動かすのってむずかしーんだぞ」

「でもできるでしょ?」

「できるけど!」

 鈴音がくすくす笑いながらカップに紅茶を注いでいく。

「こんなふうに平和に使えるものなんですね、篤久さんの能力ギフト

「そうよ平和の力よ、線香に火ィ点けるときとかな。あー疲れた! トダ、ケーキ切って」

 右手の親指と人差し指に嵌めていた指輪型のファイヤースターターを外してスラックスのポケットにしまいながら平田が言うと、秀平は包丁を取りに席を立つ。

「戸谷ですけど承り~」


 それぞれの動きを見ながら、謠子は自然と顔が緩むのを自覚した。


 この人たちとこうやって祝うのはまだ片手の指の数には満たないが、何故か懐かしさのようなものを感じる。


 先程伯父から聞いた自分が生まれたときの話を思い返す。祖父母や両親が健在であったなら、こんなふうな空気だったのだろうか。


「はい、プレゼント。使ってもらえると嬉しいな」

 鈴音に小さな紙袋を差し出され、はっと我に返り受け取る。

「化粧品?」

「しなくても謠子ちゃん充分可愛いんだけど、そろそろ代表としてお外出るときにしてもいいかなって」

「……ふふ、そうだね。この生業においては見目を整えるのもまた武装だ。ありがとう鈴音さん」

 素直に受け取ってもらえたのを安堵してか、鈴音は大きな溜め息をついた。

「よかった、女らしさの押し付けかなんて怒られちゃうかと思った!」

「鈴音さんがそんな思想でないのはわかってるし、何より鈴音さんが見た目も武器になることを示してくれているからね。堅苦しく考えることはないさ」

「はい、んじゃこれ俺から~」

 続いて平田が向かいの席の謠子に向かって腕を伸ばす。指先に挟まれていた折りたたまれた紙を取って広げてみると、領収書。

「……車?」

「明日納車な」

「必要になったら自分で買うのに」

「そんなこと言って結局二年近く乗ってねえだろ。せっかく免許取ったんだからペーパードライバーはダメだ、俺だっていつ乗せてやれなくなっちゃうかわかんねえんだぞ」

 そうですね、と秀平が相槌を打つ。

「雨降ったら俺もバイクの後ろ乗せてあげらんねーですからねぇ、合羽着て二人乗りは危なすぎて無理ですもん」

「今度の休み練習がてらドライブ行くぞ、決定。勘を取り戻せ」

 至極尤もな言い分に言い返せず、謠子は、はぁいと小さく返事をして領収書をケーキの皿の横に置いた。それを取ったのは秀平の手。領収書を再度広げて、じ、と見る。

「……これは俺も出す流れですかね」

 折り目に沿ってたたんで戻し、立ち上がる。そして居間のソファーの上に置いてある必要最低限のものしか入っていないくらいの小さなショルダーバッグから何かを取り出してきて、テーブルの上に、そ、と置いた。よくあるクラフト紙の封筒だ。

「これを」

「何?」

 飲もうとしていた紅茶のカップを置いた謠子は、封筒からそれを出し――


「本気?」


 呆れ返り、


「……!?」


 鈴音は言葉を失い、


「はァ!?」


 平田は腰を浮かせた。



 記入済みの婚姻届である。



 しかし三人の反応を見た秀平は、しれっと続ける。

「先輩の車一台に対抗するには俺自身がプレゼントになるしかねーなって。運と変な力しかねーですけど」

「そこは対抗しなくていいと思うよ」

 憤りに震えるが何とか我慢している平田を視線で制して謠子は笑う。


「前にも言ったけど、私の為にきみが人生を棒に振る必要はない」


 その言葉に、秀平は一瞬何か言いたそうな顔をした、ように見えた。


 が。

 

「……まぁそれは、いつものやつとして」

 ふ、と息をついてから謠子の手から婚姻届を取り上げて紅茶のカップの下に敷くと、代わりとでもいうように包装されていない細長い箱を手渡した。蓋を開けてみると収まっていたのは、濃い色と明るい色、二種類の緑の石と星形のパーツがあしらわれた、揃いのデザインのネックレスとブレスレット。

「久しぶりに頑張って作りました。素材もちゃんとしたやつです」

「……大丈夫、だった?」

 石に触れながら顔色を窺う。過去に関わった事件のせいで、彼はこういったものを苦手としていたはずだが。

「案外、何とか」

 表情も声色も変わらないところをみると、本当に大丈夫だったのだろう。謠子はほっとした。事件からはもう八年以上経ってはいるが、直後の反応を知っているだけに気を遣っていた部分もあったのだ。

「そっか。……ありがとう」

「流石にね、キャプター六年目ともなるといろいろ慣れますよ」

 少し笑いつつ席に戻ると、手を合わせてから切り分けたケーキを食べ始める。


 その横顔を見て。


「じゃあこれもとりあえずもらっておくね」

 謠子は秀平の手元にある人生の重要書類が入った封筒をするりと抜き取った。驚いた顔の秀平のフォークから、口に運ぼうとしたケーキの一片がぼとりと落下する。幸いにも皿の上。

「はい!?」

「何? まさかきみ、私を誑かそうとしたの?」

 秀平は詰まった。

「……そんな気はねーですし相手が貴女ならやぶさかじゃないですけどっ……いやでもそれは、いつものそういうアレで」

「伯父様、鈴音さん、証人のとこ記入よろしく」

 ぴっ、と向かいの平田に向けて封筒を飛ばすと、上手く受け取った平田は顔を顰めた。

「謠子お前」

「提出するとは言ってない」


 にこり、と、笑う。


「私が受け取ったのは彼の『覚悟』だよ」


 その一言に、平田の眉間の皺は更に深くなり、鈴音は隣のそれを見て静かに吹き出し、秀平はといえば、


「謠子さんかっこいい結婚して下さい」


 両手で顔を覆いより一層力のこもった「いつものやつ」を放つ。謠子はケーキの上に乗った艶やかな赤い果実にフォークを突き刺した。


「気が向いたらね」




     fin.




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J-record -Star of February 8- 半井幸矢 @nakyukya

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