安らかに眠る(「炎に包まれた屋敷の中」「トランプ」「触る」)


 その晩、村はずれにある貴族の邸宅が火事に遭った。立派な洋風建築の屋敷は炎に包まれ、熱気と黒煙が立ち込めている。じき、焼け落ちてしまうだろう。落陽のごとく燃えさかる屋敷を、村人たちは何もできないまま、ただ遠巻きに見つめていた。



 燃えつきていく屋敷の中。あちこちから火の手と上がり、煙がもうもうと立ちこめている。洒落た内装は見る影もなく、立派な調度品は壊れて床に散らばっている。壁や床は音を立てて軋み、今にも倒壊しそうに揺れていた。

 そのとき、一階の階段から上がってくる人影があった。一人の少女がよろめきながら、手すりにすがりつくように上がってくる。ベージュのワンピースはススまみれで、手足のあちこちに火傷や打撲の跡が見えた。

 足元も危うい様子で、少女は廊下に立った。苦痛に顔を歪め、しかしその目は光を失ってはいない。ふらつく足取りで、少女は炎の中を歩んでいく。


 少女はとある部屋の前で立ち止まった。扉は半開きになっている。少女は荒く息をついて、震えながら立ち尽くしていた。それは火事の熱や煙のせいだけではない。

 それでも少女は真鍮色のドアノブへと手を伸ばし、意を決したように、ゆっくりと押し開いた。


 そこは貴族たちの遊戯室だった。立派に装飾された樫のテーブル、金の刺繍で仕上げた本が並ぶ大きな書棚。幾何学的で不思議な模様が描かれた絨毯。

 異国の衣装をきたお人形に、きらきらしたアクセサリー。ぴかぴかに磨かれたブリキの動物たち。色とりどりのキャンディ。少女はそれらすべてを見たことがなかった。

 テーブルにはトランプが散らばっている。きっとお兄様のお友達が来ていたのだろう、と少女は思った。

 かつて、少女は扉の隙間から、この部屋を覗いたことがあった。綺麗で素敵なものばかりの遊戯室。禁じられていても、つい近づいてしまった。

 ポーカーで盛り上がっている兄様たちをうらやましく見つめていると、不意に背中を強く叩かれた。びくりとして振り向くと、お父様が怖い顔をして見下ろしている。

「二度と近づくんじゃない。わかったらさっさと掃除に戻れ」

 だから、少女はそれ以来、あの部屋に入ることは出来なかった。拾われ子の身では、屋敷の人たちには逆らえない。大人しく庭の掃き掃除や炊事洗濯をしながら、しかし心は上の空だった。あの遊戯室の、きらきらした世界が忘れられない。もう一度だけでいいから、ほかにはなんにもいらないから。わたしも、そこに行ってみたい。



 すぐ近くでガラスが弾けるような音がした。遊戯室にも煙が入り込み、喉を焼くような熱気が部屋いっぱいに満ちている。

 朦朧とする意識の中、少女は部屋の中をゆっくりと眺める。もうほとんど何も見えていなかった。しかし、少女は幸せそうに目を細め、笑っていた。

 柱や梁が燃え落ちて、がらがらと音を立て火花を散らしている。この部屋も長くは保たないだろう。

 少女はついに力尽きてしまった。意識が遠くなって、力無く床へと崩れ落ちていく。

 その体が、ふと柔らかいものに触れた。手を伸ばして確かめると、それは大きなテディベアのようだった。ふかふかとしたぬいぐるみが少女を包みこみ、やわらかな弾力が、ぼろぼろの体を優しく支えた。

 少女は最後の力を振り絞り、テディベアの背中へと両腕を回していった。そして、ふうと息をつくと、安心したようにつぶやいた。

「あったかい……」

 ぬいぐるみに抱きしめられて、少女は眠った。


 それは寒い冬の晩のことだった。

 夜空は高く澄んで、きらきらと星がまたたいていた。

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