三日月と二人語り(「三日月」「狩人」「船着き(波止場、港)」)

 森の中にある立派な屋敷。

 二階の窓際で、少女が本を読んでいる。姿勢よく椅子に腰かけ、ページをめくる手つきはたおやか。少女はこの家の箱入り娘だった。屋敷から出ることはめったに許されず、少女の数少ない楽しみといえば、本を読むこと、それともう一つ。時折やってくる「来客」を迎えることだ。

 窓の下の茂みから、がさりと音がして、一人の人間が素早く走り出てくる。彼はひらりと塀を飛び越え、壁のつたを登り、あっという間に少女のいる窓際へとたどりついた。窓枠に腰を下ろし、人のよさそうな笑みを浮かべている。

 少女はぱっと明るい顔になって、本を閉じて向き直る。

「ごきげんよう、狩人さん」


 ひとしきり打ち解けた会話が続いた後、少女は前のめりに言った。

「それで、今日はどんな話を聞かせてくださるのですか」

 若い狩人は、大仰なしぐさで顔に手を当て、考えるそぶりを見せる。

「そうだなぁ。ではこんな話はいかがでしょう」

 狩人は語り始める。いつもどおりの、突拍子もない冒険譚だ。


「私は今まで様々な場所を旅し、いろいろと面白いものも見てきました。山の火口に住むドラゴンや、豆粒ほどの小人たちの国のこと、大海賊の秘宝の話などは、今まで語ってきた通りです。しかし今回の話は今までとは比べものにならないほど、驚くべきものとなるでしょう。

 屋敷から出ることの少ないあなた様も、空に浮かぶ月は見たことがありましょう。日ごと登り沈む月。夜空にひときわ輝くあの月。

 本日お披露目するのは、私がその月を捕ってきたときの話です。どうですか。興味がわいてきたでしょう。それでは、お話しします。


 旅を続ける中で、私はある寂れた港町で一泊することになりました。宿のすきま風がひどくてなかなか寝付けず、私は真夜中の町を散策することにしました。

 ランタンを片手に、小さな家々のあいだを抜けていくと、潮の香りがしました。着いた先は小さな波止場でした。かすかな明かりの中で、木のボートがいくつかと、漁師小屋のようなものがあるのが見えました。なにか珍しいものはないものかと、私は小屋の扉を叩きました。

 出てきたのは老いた漁師で、訝しげに私をじろじろと見ましたが、やがて無言で首を振り、中へ入れと示しました。私が入るとそこには机や布団のほかに、大量の漁具が置いてありました。長さもさまざまの釣りざおに、丸めた網がいくつも並び、積まれた箱にはとりどりの釣り餌。私はそれを見て、良いことを思いつきました。

 老人に頼み込んで、釣り竿をひとつ貸してもらいました。私には釣りの心得はあまりありません。海中を縦横無尽に泳ぐ魚を釣り上げるのは、至難の業でしょう。それでも格好の獲物がありました。そう、月です。空に浮かぶあの月なら、お嬢様への良き土産になりましょう。

 波止場の端に立ち、釣り竿を構えました。その夜は三日月でしたので、釣り針もよくひっかかります。またとない好機に、私の心は踊りました。

 南の空、頭上高くの月めがけて、勢いよく竿を振りました。銀色の針は流線形を描いて、ぐんぐんと月へ向かっていきます。やがて針が三日月のふちに引っかかりました。それを見て私は意気揚々と糸を繰ります。三日月は少しずつではありますが、地上へと近づいてきました。

 そこからはもう簡単な仕事でした。なにしろ漁師というのは海の狩人のようなものですから、私にとっては、月を釣り上げるなど造作もないことです。しかし月はとても遠いところにあるので、糸を巻き上げるにはかなりの時間がかかりました。

 波止場のへりに腰かけて、星空を眺めながら、波の音とともに糸を繰る。そんな時間はなかなかに穏やかなものです。いつも危険と隣り合わせの冒険をしている私にとっては、良い休息となりました。

 そうして私は月を手に入れたのです。ここにそれをお持ちしました。見てください。綺麗な三日月でしょう」


 少女がそれを受け取ると、三日月型の石はつやつやとして、手にひんやりとした感触があった。

「これがその三日月なのですね。でもこの月は、夜空の月のように光ってはいませんね」

「それもそうでしょう。月とは太陽の光を受けて輝くもの。ためしに、その三日月を太陽にかざしてご覧になってください」

 少女は石を窓の外にかざす。三日月形の石は、太陽光を反射してきらきらと光った。少女はその様子に目を奪われている。

「綺麗! でも、月を捕ってきてしまって、もう夜空の月は見られないのでしょうか」

「大丈夫。新月とは「新しい」「月」と書くでしょう。月の見えない日が来ても、また新しい月が生まれるのです。一つくらい捕ってきても、なんともありません」

 少女は三日月の石を大事そうに両手に包んだ。狩人はそれを見てにっこり笑い、帰りの挨拶をして窓から飛び降りていった。午後には裏の山で鳥を射るのだろう。


 狩人の姿が見えなくなるまで、少女は窓際に立って見送っていた。

 それから、くすくすと笑って、つぶやいた。

「ほんとうに、あの人ったら、大ウソつきですね」

 少女が読んでいた、天文学の本。その本に書いてあったのだ。三日月は昼間の月で、日の入り後の西の空で見えるもの。つまり、真夜中に三日月が見えるなどありえないのだ。

 少女は狩人から受け取った石を手に、棚の方へ向かうと、引き出しを開けて中から鍵付きの箱を取り出した。

 鍵を開けると、中には大小さまざまのがらくたが入っていた。しかしそれらは少女にとってはがらくたではない。どれをとっても、その品が秘めた「逸話」について少女は事細かに思い返すことができた。

 少女は鼻歌を歌いながら、三日月の石を箱に納めた。石は光を反射してきらりと輝いた。

 明日もまた少女は窓際に座って、来客を心待ちにしていることだろう。


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