3センチメートルの物語集

あおきひび

だれも知らない昔話(「影」「井戸」「輝くかけら」)

 T村の辺りにはある噂があった。裏山を少し入ったところの井戸には悪しきものが住み着いて居り、近づくものに呪いをかけるという。村人たちは気味悪がり、その井戸の近辺には寄り付かなかった。

 裏山にはうっそうと木々が茂り、木漏れ日だけが辺りをわずかに照らしている。そんな木々の間を抜けて、一人の少女が歩いていく。みすぼらしい着物を着た、幼い少女だ。楽し気に鼻歌など歌いながら、軽い足取りで進んでいく。

 暗く細い山道を抜けた先に、少し開けた場所があった。そしてその中央には、例の井戸がある。井戸はかなり劣化しており、森の風通しの悪さや木々のざわめきが、その不気味さをかきたてる。

 少女が滑車の紐を引くと、きいきいと嫌な音が上がる。その音を合図にするかのように、井戸の底から「何か」が上がってくる。それは底の見えぬ井戸水の暗さよりもさらに暗く、深いところからみるみる上へ広がっていき、やがて外へとあふれだした。

 真っ黒な濁流が少女をたちまち飲み込んだ。かと思えば、少女はその場に立ったままで、目の前には「それ」が居た。体長は村の男よりもはるかに高い。その形は定まらず、炎の前の影のように揺らめいている。暗く吸い込まれそうな体には、眼のような二つの小さな白い明かりがあり、「それ」は無言で少女を見下ろしている。

 少女も「それ」を見つめたまま、笑顔を見せて言った。

「おはよう。今日はなにしてあそぶ?」


 その大きな影からゆっくりと何かが伸びてくる。少女に黒い両手を差し伸べ、ゆっくりと、その小さな腕に触れる。なでさするように黒い手が動く。少女の腕にはひどい痣があった。

 「やさしいね、くろすけ。でもだいじょうぶだよ」

 そう少女に言われてもなお、影はひとしきり腕をさすり、脚をさすり、腹をさすり、そして顔に手を伸ばして、土汚れをそっと払った。少女はその間じっと待っていた。

 それが終わると、影と少女は森の奥へと分け入っていく。そこで落ち葉拾いやら木登りやらかくれんぼやらをして遊んだ。少女は山のいろいろなものに興味を示し、はしゃいで駆け回っている。影はゆっくりとした動きでついていき、少女が何かにぶつかったり転んだりすればすぐに手当てをしてやった。影が傷に触れると、不思議なことにすっと痛みが引いていき、気持ちが落ち着くように感じた。こころなしか治りも早くなっているようだった。

 時間はあっという間に過ぎた。ここには少女と影を邪魔するものは誰もいなかった。にぎやかで、それでいて穏やかな時間が流れていた。

 夕暮れになった。少女は家に帰る前に、着物のたもとを探って何かを取り出した。その白く輝く石を差し出し、少女は言う。

「いつもあそんでくれてありがとう! あしたもまたくるね」

 影がそれを受け取ると、少女は慌てて走っていく。早く山を下りて帰らないと、少女は家の者にひどく叱られ、いつもよりひどい折檻を受けることになる。炊事に掃除、さまざまの雑用が少女には申しつけられていた。

 少女はきっと明日もまた井戸の前に遊びに来ることだろう。その小さな体にまた別の傷を増やして。


 影は去っていく少女の背をじっとみつめていた。そして少女にもらった白い石を強く握りしめた。握った手に小さな火種が生まれ、静かにゆらめいた。


 その日、Tの村は炎に包まれた。

 夜中に裏山で山火事があり、次々と村の家々に燃え移っていった。焼け跡は見るも無残な状態だった。わずかに生き残った者が言うには、あの日炎の中で、何か大きな影のようなものが、幼い少女を連れ去っていくのを見たという。

 あれは村に落ちた天罰だろうか、それとも例の井戸の呪いが降りかかったのだろうか。噂は噂を呼び、T村の火事のことは、いくつもの集落で語り継がれていくことになった。

 しかし本当のことは誰にも分からなかった。

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