第15話


 町内会で、町並みを保存する活動をしているために祖父母の家は建てられた当時の面影を割合残している。外観は必要な部分しか手を入れていないが、中は和風モダンにリフォームされている。

 かつてこの家に暮らした祖母はモダンな「おばぁちゃん」だったので、祖母が結婚してすぐにリフォームし、そののち、10年ほど前に年を重ねた祖母のために、バリアフリーで断熱に優れた家を目指して二度目のリフォームが行われた。

 古い家ではあるが、古民家の雰囲気を残しつつ、一歩中に入れば小さな中庭のある、町家づくりを踏襲した2LDKの一階と、洋間二部屋と和室一部屋を抱える近代的な二階部分という作りに変わった。今は智子の親友である梅沢真美の家族が二階に住み、一階は祖母と智子の部屋で、玄関とキッチンと水回りは一家と共同になっていた。


 真美は、伯父の会社で染物職人として働いている。夫の梅沢正芳は奈良で美術関係の修復プロジェクトに関わっていて、京都と奈良の二拠点生活をしている。プロジェクトが5年、10年単位なので当分この生活は続くだろう、と聞いている。真美が染色の仕事をしている以上、京都を離れるわけにはいかず、週末婚状態だが、夫婦仲はすこぶる良い。

 二人の間に生まれた春人は、ご近所でも有名なイケメンアイドルな保育園児だ。

 不意に訪れた智子に、真美は待っていたよ、と言いたそうに笑って迎えてくれた。正芳は相変わらず、一人息子の春人と一緒に笑ってお帰り、と言ってくれた。物静かな男で、いつもどんと構えている太さがあった。


 京都に向かう新幹線の中で、智子は休暇を申請した。土日を含めて5日間、水曜日までリセットする時間とした。必要な手続きと申し送りをスマホで済ませると、今度はさんざん悩んで真美にSNSを送った。

 仕事中だから返事は遅いだろうと思ったが、すぐに「四の五の言わずに帰ってこい」とレスがついた。

 もうそれで十分だと新幹線の中で電源を落とした。


 祖母の家の合鍵は持っている。「いつでも帰ってこい」というのは梅沢夫妻の定番で、彼らは常に智子から家を「預かっている」のだから、遠慮なくもっと帰って来いという。ありがたい言葉だった。

 だから、何も知らない正芳が帰って来た時、智子の顔を見てにへらっと笑ってまず言ったのは、「お帰り」だったのである。


 京都での日々は、落ち着いていた。

 真美一家といつものように起きて、祖母の遺したお気に入りの着物を着て梅雨時分の京都を散策し、春人と笑って遊んで家事をして、と穏やかな二日間を過ごした。当然、一日に数度、メールチェックで電源を入れるほかは、携帯には触っていない。

 高杉との約束を破ってしまったことは申し訳なかったが、それについてはここに来るまでの新幹線の中で謝っておいた。

 次の出勤日は木曜日。

 それまでに立て直さなければ、と思っていた。

 あの時、今は東京にいるべきではない、と突き動かされるように京都に向かった。

 リセットする時間が欲しい、と。

 それは智子にとっては必要な時間だった。


 それでも、京都にいれば黙って見ていられる人物ばかりではなく、月曜日の朝には伯父から連絡があった。こっちにいるならランチに来ないか、という。伯父とは火曜日の11時に待ち合わせる約束をした。

 叔父の会社は目と鼻の先であるが、帰ってきていると知っても伯父は顔を出さない。職人である真美と経営者である伯父は、仕事上良い意味の緊張感を保ちたいという意志もあるし、時に幼児との二人暮らしになる真美を気にはかけているが、梅沢の妻という立場もあることなのでやたらに顔を出すことはしない。逆に、真美の同僚のオッサンやオバサンがことあるごとに真美に声をかけ、家に寄ってくれる。

 智子が帰ってきたという話は、翌日にはもうわかってしまっていただろう、と智子は笑う。伯父の会社の中が活気にあふれ、順調にいっていることは真美の顔を見ればわかる。

 真美と春人をそれぞれ送り出した後、智子は家事を済ませてから人数分の和菓子を買いに行く。

 祖母お気に入りのアジサイのお菓子だけは、一つだけ多く買って仏壇に供えた。平穏な一日を迎えることがやわらかで、優しい時間だと思っている智子には至福の時間だった。


 夕方、真美は春人をピックアップすると戻って来る。

 職場からも保育園からも近いので、この家は便利だという。近所の人たちも梅沢一家のことを受け入れてくれている。

「悪いね、智子」

「居る時くらい、楽すれば?」

 智子は笑ってそう答える。

「とーもーこー、スマホ鳴ってるよ」

「あとでチェックするから良いよ、ありがとう」

 仕事用の連絡が来てはまずいと今日は電源を入れておいたのだ。真美はスマホの表示を見ると、高杉の文字に気が付いた。

「高杉さんだよ、良いの?」

「ん、あとでね」

「好きなんでしょ?」

「多分」

「多分?うそでしょ、本気でしょ?」

 真美は不躾にもストレートに智子を冷やかす。


 多分、そう思う。

 多分、好きなんだと思う。


 今の智子には多分、としか表現できないということは、逆に本気なのだろうと指摘している。それは智子の性格が慎重だからだと真美は言う。

「だったら、飛び込めば?」

「それが出来たら苦労はしない」

「明日の予定は?」

「伯父さんのところに顔を出してくる。今朝一番でメールが入っていたの。お昼を一緒に食べようって」

「相変わらず社長はマメだねぇ。だから営業がうまいうまい」

 ふざけて言っている真美と笑いながら夕飯の支度を進めた。


 それでも真美は、先ほどちらりと見えた智子の部屋に、お気に入りの利休鼠の単衣の着物がかかっていたことを知っている。

 智子は、伯父と食事をするときは大体着物を着る。

 それが、伯父への尊敬だということを知っているからだ。

 智子が仲立ちとなって偶然つながったこの縁(えにし)に、真美はとても感謝している。

「明日はお魚にしようか」

「ん?」

「角のスーパーの特売日なのよ、智子、買いに行ってよ。午後4時からのタイムセール」

 真美はチラシをひらひらさせた。

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