第11話


 三谷は智子のことを嫌っているということを全く隠さない表情で言葉をつづけた。

「君は見境なしに僕と連絡を取ろうとするし、僕の行く先々で現れる。会社でも時間があったらこっちのフロアに来るじゃないか。挙句、昨日はデート中に現れて、僕を殴りつけた!」

 ややヒステリックに、しかも端的に話を端折っていて、三谷の都合の良い部分だけしか切り取っていない、と高杉は頭を振った。

「何だよ、お前がぶちまけるのか?」

 高杉が呆れたように呟いた。

 当の智子は、怒りに飲み込まれそうな感情を必死に抑えていた。

「昨日の夜、君は駅前で三谷君を殴ったそうじゃないか。…三谷君の婚約者の前で、と聞いている。彼女も非常に精神的ショックを受けていると彼から報告があった」


 そりゃそうだろう、自分の婚約者がいきなりフタマタ野郎、と言われたのだからと智子は思う。でも一番悪いのは三谷だ。どう考えても三谷だ。


 智子の感情が渦巻く。


 三谷は、プロポーズしたのだ。しかも、昨年末の智子の誕生日に。イタリア料理店で。店の人たちからも祝福された。素敵なエントランスロビーで、記念撮影した時にはお似合いですね、と言われたのに。

 なのにそれを裏切った。

 例え、別れる原因が智子にあったとしても同時に交際して良いという話にはならない。


「君が謝罪して会社を辞めるなら三谷君は警察沙汰にはしないと言ってくれた。それ以前にも、三谷君が婚約を発表した後、君はストーカーのように彼の携帯に電話を掛けたり、仕事中でも付きまとったりしたと聞いている。君に心当たりがあるかどうか、まず事実関係を知りたい」

 平戸部長がやれやれ、というような顔で簡単に事情を説明してくれた。


「お言葉ですが平戸部長」

 智子は怒りにあふれそうになる言葉を押し込めて深呼吸する。

「まず、プライベートな関係を社内に持ち込むようなことはしたくはありません。彼がどういうつもりなのかは知りませんが、昨日の夜のことは社外のことですし、社内でわざわざお答えするような質問でもないと思います。第一、なぜ部長や課長が出てこられるのか、意味が分かりません。そこを明確にしていただきたいのですが」

「だから、もう無理だろう?話にならないんだし」

 三谷が投げやりにそういった。

「三谷君は君が殴ったと言っている。診断書もあるし、それを警察に持ち込めば、それだけで充分傷害罪が成立すると思うが。殴ったことは認めるかね? 傷害罪ともなれば、会社の評判にも関わる。警察に持ち込む前に、我々が事情を聞きたいというのは不思議ではないが」

「高杉課長も、その場にいましたよね」

 三谷がそう言った。証言しろと迫っているのだ。

「その場にいたとは認めたよ。だが、痴話げんかを会社に持ち込まれて良い気はしない。しかも関わっているのは月島だから余計に、君には、不快感を覚えるよ」

 高杉は言葉を区切って名指しで三谷を非難した。


「それは貴方の感情でしょう? きちんと話してください。俺が、彼女から一方的に暴力を振るわれたと」

「高杉、どうなんだ?」

 専務の柊が高杉を促した。

 柊にとって、かつての部下だった高杉も智子も信頼のおける人物だ。それに、智子に関しては先輩である北川からくれぐれもよろしく頼むと言われて預かった過去がある。二人の関係はよくわからないが、どうやら智子が子供のころからの知り合いらしいということだけは知っている。

 だからストーカーと言われても、にわかに信じがたい思いが柊にはあった。


「月島君は勤務態度もまじめだし、営業事務の間ではリーダー的存在だ。今まで真面目で浮いた話もなかったし、暴力沙汰を起こすこともなかった。三谷君にストーカー行為をしていたと聞いて、私も部長も本当に驚いているんだ。事の次第を聞いて正直驚いている。けれど、三谷君が警察に訴えたいと言っている以上、我々としてはまず事実関係を知らねばならんのだ。彼は、君が事実を認めて謝罪して、会社をやめてくれれば警察沙汰にはしないと。ストーカー行為をやめてほしいと言っても君が止めないから、間に入ってほしいというのが言い分だ」

 吉永が理路整然とそう言った。三谷が口にした、そこだけ切り取って都合よく主張すれば、三谷の言っていることは通るかもしれない。

「三谷さん、話を正確に伝えてくれませんか? 説明を求めた私に対して、一方的に話を切ったのはあなたの方でしょ?それに、ここは会社だからあなたの主義に反するんじゃないの?そして私はあなたの言い分がわからない。こういう状況になったのは何故なのか、説明を求めたのは私。月曜日、火曜日、水曜日、一日二回、朝と夜に説明してほしい旨のメッセージを送ったけれど、貴方は読んでいないんですか?理解できてないんですか?」

「いや、僕はもう君と話すのは無理だよ」

 はっきりとそう言った三谷は、ほとほと困った様子だった。

 困るのは智子の方だったが。


「つまり、あなたから話すつもりはないということですか」

「だって、婚約した僕に付きまとっているのは君の方だ。君からの連絡を無視したら、いきなり殴られた。僕が言えるのはそれだけだからね」

 しれっと、三谷は返した。

「はっきり言ってやったらどうだ? コイツは月島の思いやりなんて全然わかっていないぞ?」

 そう言ったのは高杉だった。

「あー、もうっ」

 智子はそう呟くと、深呼吸した。

「昨日の夜、三谷を殴ったのは事実です。私は大変後悔しています」

 吉永や、平戸がほっとしたような顔を見せた。

「ええ、たっぷり後悔してますから!」

事実なら、後は簡単だと言いたそうに全員の目くばせが飛び交おうとした時だった。

「一発だけじゃなく、あと2、3発殴ってケリまで入れておけばよかったと大変後悔しております!」

 営業部内が、凍りついた。智子の怒りのこもった、投げやりな一言だった。

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