第12話


「き、君は…反省していないと言うことなのかね?」

 吉永課長が確認するようにそう問いかけてきた。


「相手が重役のお嬢様で、わが社にとって光栄な婚約話ですから私が退社して光栄な婚約話が続く、話が丸く収まるという計算なら理解できます。会社にとって、私がいれば警察沙汰にもなりませんしね。そういった意味で会社にご迷惑がかかるというならば会社に対して謝罪いたします。それで責任取って退職しろというなら甘んじてお受けします。仕方ないです、ビジネスですからね。こうして会社に持ち込んで、仕事中の時間を使うことにも謝罪いたします。申し訳ありません」

 智子はそう言って柊はじめ、平戸部長や吉永課長、久世課長に一礼した。


 三谷に対しては頭を下げなかったが。


「ですが、三谷に謝罪するつもりはありません。絶対に。いやです。謝罪するのも退職するのも会社のため。絶対に三谷のためじゃない。それが私の気持ちです! フタマタかけられてどうして私がこのバカに頭下げなきゃいけないんですか。筋が通りません。理解できません」

 智子はそう言い切った。


 そしてその一言は、周囲に衝撃を与えた。


 営業部のオフィスが、しん、と静まり返って新たな緊張感が生まれた。それまで、落ち着いて推移を見守っていた営業部の面々が三谷に目をやった。

 確かに、智子は三谷の婚約発表の後、ひどく憔悴していし、様子が変だった。失恋したと聞いたが、仕事に支障をきたすような真似はしていないので、さすが月島女史、と言いあっていた時だ。それがこんな話になっているとは、おかしすぎる。智子はストーカーをするような人物ではないし、三谷と付き合っていたのが事実ならば、何かおかしいという疑念があった。

 それが営業部としての、智子への信頼だった。


「月島、誕生日にプロポーズされたって言ったの、何時だったっけ?指輪はないけど、花束抱えてプロポーズしてくれたって言ったよな、ナントカっていうイタリアンのレストランで」

 田辺がそう言った。三谷との交際は知っているし応援していた。だからプロポーズの時の記念撮影も、知っている。

「月島の誕生日は10月です。今年の夏か秋に結婚しようって計画していましたよ」

 補足したのは町田だった。デートの日の急な残業のフォローもしてきたから、その事実は知っている。三谷との付き合いが長いことも。一番おかしいと思うけれど、智子が納めてしまったことを掘り返すのはどうかと思い今まで黙っていたが。


「ちょっと待てよ。半年前に見合いしたって言ったよな?それって、プロポーズの後じゃん、おかしいだろ?」

 誰かの口から、三谷の言い分と智子の言い分が違う、と指摘があった。

「私たちの交際は二年前からです。去年の私の誕生日にプロポーズされました。指輪も何もない、口約束だけの婚約と言われればそれまでですが、少なくとも私は、結婚を意識しての交際で、その結果としてプロポーズだったと認識しています。ですから半年前、妊娠したときは驚きはありましたが、彼にその事実を告げることにためらいはありませんでした」

 プロジェクトルーム内がざわめいていた。

「フタマタじゃん」

「妊娠…て」

「え?プロポーズしたんだろ?」

 呟く声が漏れ聞こえてくる。


「その時は結局、すぐに結婚するということに踏み切れないから、入籍、結婚を夏か秋か、とにかく今年中にって。だから子供を諦めざるを得ませんでした。二人で出した結論として、子供を…。…けれど、今になって思い返してみれば、全く同じ時期に別の女性とのお見合い、しかも相手のお嬢さんは取引先の重役の娘と考えると、私の妊娠と言うのは喜ぶべき状況ではなく…」

 蒸しかえしたくない、事実だった。

 女性社員の冷たい目が、三谷に向かった。

「それでも、普通に交際はあったんです。でも、彼から、別れの言葉もなく、ある日突然、お嬢さんと婚約したことを知らされて。事実関係が知りたいと連絡を取っただけでストーカー呼ばわりされ、社内ですれ違っただけでも近寄るなとも言われました。私は会社内では事務担当です。経理のフロアに行くこともあれば、総務のフロアに行くこともあります。それをストーカー呼ばわりされたら仕事になりません」


 もう一度、智子は深呼吸した。

「昨日の夜、最寄り駅から一駅先の深夜営業のスーパーに行くためにその駅で用事を済ませました。その帰りに、会ったんです。つまり、三谷の言動からすると、フタマタをかけるには、女性の家が近いほうが何かと便利だ…ということも言っていますからね。隣同士の駅を利用する二人の女性。偶然とはいえ、彼にとっては好条件だったと言えます。逆に、昨日のようにばったり会った場合は、婚約者の前では付きまとうな、気持ち悪いと言うしかなかったんでしょうけどね。だから私が殴ったのかと問われれば、はい殴りました、です。殴ったこと自体に後悔も反省もしておりません。もう一発二発、殴っておけばよかったかと自分の行動を後悔し反省しているところです」

「高杉は、それを見たのか」


 高杉はどう言えば三谷にダメージを与えるか、ふと考える。それから、思いついたことをそのまま実行した。つまり、あの時の現場をプレゼンすることだ。


「見事な右ストレートでした。月島があんな仕打ちを受けて、ここ2週間ほど不安定だったことは事実です。ですが、それを仕事中に出したことはありません。恋愛と仕事は別だという、月島なりのけじめがあったからです。ただ、昨日の三谷はひどすぎました。道路の真ん中でいきなり月島を罵倒した。月島からコンタクトしたわけじゃないので、三谷は黙って通り過ぎることもできたわけです。なのに、公衆の面前でやったということは、意図的に月島を貶める意味があったんですかね? フタマタを正当化しようとか? 誰かが警察に通報してくれればそれこそ三谷の思うつぼだったのかもしれません。まぁ、月島は一発殴っただけでそれで終わりにしたので、そういう意味では騒ぎになりませんでした。だから、今朝になって会社で騒ぎを起こした。そもそも、二人の交際はオープンにしていないことなので社内で知っている人間は非常に少ないです。恋人がいると知っていても、それが誰かだなんていちいち詮索できるような暇な部署じゃないんで」

 高杉がひょうひょうとして答えた。

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