第6話
「小川本人がどう思っているかは分かりませんが、日頃の言動は目に余ることがありますので」
「パワハラじゃなくて?」
「モラハラだと思います。小宮に対して、服装や持ち物、考え方に至るまで干渉しようというのはモラハラだと思いますが。それとも、セクハラの方が良いですか?」
「例えば?」
「今回で言えば、執拗に出てくるように話を持ちかけてきたり、しかも最初は外で会う話だったようですけど。そこに至るまでの話も、ちょっと不審です。先ほど、彼女からざっとやりとりのSNSを見せてもらいましたが異様に感じました。本人には内容を保存するように言いましたし、あとで今日の部分をスクリーンショットにして私宛に送信するように指示しましたが。鳥飼さんはその話は知りません」
「あー、それ、俺のところにも送信してくれ。他には?」
「録音していませんが、服装のことをあれこれと。ブラウスの色一つ取って今日はデートですか、とか。社内では冷えるのでパンツスーツにしたら今日はスカートはかないの?とか。あとは、急に仕事を振ってきたりするのも本人は悩んでいましたね」
「あー、もしかして本人は悩んで悩んで会社に出てきたわけか。それで休暇中なんですし、フォローできる状態にしてあるのにどうしてですかって噛みついていたのか」
「みんなの前ではっきりさせた方が良いという判断だったんでしょうね。そこを豊橋さんにペットごときで有休を取るのはって言われたらへこみますよ。総務経験者ですからね、ある意味頼りにしていたんだと思いますよ」
「あー、悪かったなぁ」
「じゃなく、有休のこともそうだし、部内のそういう雰囲気も気を配るようにしなきゃいけない。有休の取得理由に意見するのはお門違いだ。反省しろ」
やってしまった、と豊橋は大いに反省した。
「すみません、明日一番で謝っておきます」
「この先の話は私の独り言ですので。彼女が長年飼っているペットが昨日亡くなりました。だから鳥飼さんは小宮さんの精神状態を考慮して二日間の有給を取らせたと言っていました。彼女にとっては大事な家族だったわけですから、たかがペット、と言われたら相当傷つくと思いますよ」
「そうだな、まずかったなぁ、馬鹿やったよ」
「月島、小川の事務業務の担当は小宮だったんだろう?」
「今、小川の業務を鳥飼さんが担当するように入れ替えています。必要があれば私も介入しています。しばらく、あの二人は距離を置いた方が良いかと思いまして」」
「小宮を育てるために修行の旅に出すと言っていたのはそういうことか。だが小川には今回のことはきちんと釘をさすべきだな」
「小宮は優秀です。小川のことがなくても、数週間のうちに他のプロジェクトを手掛けさせてフロア業務の経験を積ませたいと思っています」
「分かった。小川を会議室に呼んでくれないか。二人は業務に戻って良い」
高杉は指示を飛ばすと、豊橋と智子が外に出た。豊橋が二人に声をかけて、高杉は小川とふたりで話をし始めた。
「あー、彼女に悪かったな。知らなかったとはいえ」
豊橋が反省しきりである。
「彼女に一報入れておきますよ」
智子は残りの業務に戻る。豊橋も自分のデスクに戻り、仕事に戻った。
昼過ぎから始まったやり取りは、不可解極まるものだった。挙句に、小川は営業に行けないとごねたのである。間に入った鳥飼と智子の間でのやり取りも自分の意のままにならないとわかった小川は小宮に直接コンタクトを取った。根負けした形で小宮が出社してくると、小川はものすごい勢いで小宮をなじったのだ。
終業間際に出社してきてそれはないんじゃないかということから始まり、営業に支障をきたすとか、ペットごときで二日間の有給はない、となじられ、最後は智子との仕事比較が始まった。智子は仕事ができるが、小宮はそこまで出来ないとなじったのである。
どう考えても、入社7年のキャリアと入社1年未満のキャリアを比較するのに無理がある。全くの未経験で、智子や鳥飼は手取り足取り教えているとはいえ、時間的には歴然とした違いがあるのは否めない。しかし、差がでないように鳥飼はじめ他の事務方がフォローし、小宮の経験値を積ませるようにできる仕事は小宮に振っているのだ。なのにその言い分はないと怒ったのは鳥飼だった。小宮の努力を知っているからだ。
豊橋は話の中で、ペットごときで二日間の有給はないという部分に同意してしまったのだが、これが火に油を注ぐ結果となったところがある。そこは反省材料だった。
その一連の経緯報告を書き上げた智子は今日の業務を再開する。その最中に、先に帰った小宮本人と、一緒に帰って行った女性社員から大丈夫だというSNS連絡が来たのでほっとしたが。
智子の業務は複数いる事務方リーダーと協力して営業事務の全てを動かすことにある。だから営業方のリーダーやプロジェクトリーダーたち、更には彼らを統括するチーフである高杉とは緊密に連絡を取り合っている。もちろん、仕事上のことで言い争うことはあるが、今回のこの言い争いはちょっと問題だろうなと思う。
実際、事務方リーダーが連絡用に共有しているSNS掲示板には今の出来事が話題に挙がっている。智子は途中経過を含めて共有しなければならないことは共有し、以後はまた報告するとした。
一方で鳥飼と今後の小川の事務担当について簡単に振り分けを行っていた。もちろん、それも共有される。
その後、しばらく小川と高杉が話していたが、小川が先に出て行ってそのまま退社した。智子は机の上を片付け、退社準備をする。
職場内の言い争いも疲れるが、自分のことでも疲れていた。あれから本人からの連絡はない。つまり、もう終わったことだということだ。だからといって智子の腹立たしさが消えたわけではないが、いつまでも引きずっているのも智子の性分ではない。通常業務に加えてプロジェクトも山場を迎えているので余計なことは考えてはいられないのも事実で、悶々としている部分があった。
「田辺、月島」
「はい」
田辺と智子が顔を上げた。
「当面、小川と小宮の接触は注意してくれ。まぁ、そういうことだ。これで小川が反省して言動を改めればそれで良いが、そうじゃなかったら次を考える。今回はコンプライアンス違反に当たるので人事にも通告してそれなりの研修も課す」
つまり、高杉からも小川に注意をしたらしい。
小宮杏が抱えていた社内での不快な悩みに気が付けなかったことを反省する智子だった。
「俺も気を付けておきます」
田辺も名乗りを上げた。
「はい、私も気を付けます、申し訳ありませんでした」
「月島も災難だな。わざと鳥飼さんに付けたっていうのに」
「小宮に問題があったのか?」
「いえ、小宮ちゃんは、肩の力を抜くことを覚えてほしいから鳥飼さんに付けたのに、戻ってきてしまったら意味ないじゃないかという話です」
「そうなんですよね。小宮はペース配分が苦手な部分があるので、それが悩みで鳥飼さんに付けたんですけどねぇ」
智子はそう言った。
「そんなことまで考えて配置しているんですか?びっくりです」
豊橋が驚いたようにそう言った。
「人を育てるということはそう言うことだ」
「だから月島さんの信望者、多いんですよね、営業部に限らず。そうだったのか。すごいなぁ」
そう言ったのは豊橋だった。
「は?」
「あんまり浮ついた噂がないということもあるし、プライベートも仕事も程よく分けてますよね。年下だろうと年上だろうと、割と当然なんだけど、当然なことをはっきり口にできる人って、ほめられていますよ。信望者が他の課にいるというのは少ないですからね」
「そりゃそうだ、月島だからな」
「あ、うわ、今日のチーフは鬼やさしい。月島ちゃんと言えども、いつもはそんな言葉かけないのに」
豊橋が飛び上がる。
「誤解しちゃうし、誤解されちゃいますよ、チーフ」
「してくれしてくれ、って思っているでしょう?」
豊橋のツッコミに、田辺が答えるように茶化した。
「ノーコメントだ。それこそモラハラだぞ」
高杉はそう答えた。
「いや、この言い方は誤解を招くか。いや、どっちだ?」
高杉が悩んでいた。
「つまり、仕事上問題なく仕事をしてくれる同僚だし、女性としても魅力的な女性だということだ」
その言葉に、智子の感情があふれ出す。泣いてはいけないと思いつつ、涙が落ちた。
「すみません、失礼します」
智子はそそくさと荷物を持って部屋を出た。
「うわ、田辺、あとを頼む。月島、待て」
高杉もあたふたしながら智子を追った。
豊橋は、呆然と二人を見送った。
「あれ?俺、変なこと言いました?」
「先週、月島は失恋したばっかりだ」
「いやいやいや、彼氏とは結婚間近だったはずですよ。え?だって…」
「お前知っていたのか?」
「割と有名ですよ。社内恋愛中だから彼氏の名前は言わないけれど、交際は順調だと間接的に聞いていますけど? 未確認だけど、プロポーズもされているという噂もありますよ」
「相手も公表を望まないというのはわかるんだが、何か様子が変なんだよな」
「誰だろう?上のフロアの年上の男性、としか聞いていないからなぁ。お相手はウチの社員で独身。そう考えると、経理と総務と秘書課のバツイチと役員が対象になるじゃないですか。結構な数ですよ」
「確かにな」
「俺、今日は口が滑ってばかりだな」
「そうだな、気をつけろ」
「はい」
豊橋がシュンとなった。
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