第73話 あぢさか入道入水の一件
そんな一連の事件のあとの遊行は、文字どおり死出の旅路となりました。秋の日が西山に転がりこむように、時衆は衰微の一途をたどっていったのでございます。
7月のうちに2名の尼が、8月にはもう1名、9月に入りますと、僧と尼がそれぞれ1名ずつ、合わせて5名の時衆が果て、箱根の
この年、弘安5年(1282)も不作で、行き倒れや餓死者の
なれど、夕日が没する駿河湾のかなたを浄土と仰ぎ、そのふもとの三島神社を目ざして苛烈な旅路に堪えて来た時衆には、この清らかな聖地で憧れの往生を遂げられますことは、なにものにも勝る喜悦であったのでございます。わたくしもまた、いっそう痩せ衰えた身体がいつ果てるやもしれぬと覚悟を決めておりました。
けれども、最後の最後まで旅はつづけねばなりません。
新たに2名の尼を加え、26人になった時衆は、相変わらず才槌頭を振り立てる一遍上人さまに率いられ、東海道を西へ、ひたすら浄土へと進んでまいりました。
*
こうして一歩進むごとに、山頂に白雪をいただいた霊峰富士が、圧倒的な迫力で迫ってまいります。その裾野をめぐって念仏賦算を行ううちに、霊峰に源を発する富士川の畔に至りました。その川岸にふたりの下人が途方に暮れてたたずんでおりました。一遍上人さまが訳を問いますと、口々に驚くべきことを申し立てました。
三島神社を発った翌日、わたくしたち時衆の「踊り念仏」を誹謗しながらも入門を申し込んで来た半俗半僧の武士がおりました。むろん、上人さまはお断りになったのでございますが、「あぢさか入道」と呼ばれるその武士は諦めきれなかったと見え、わたしたち一行に先まわりして富士川畔で待ち構えていたのでございます。
けれども、なにを思ったのか「あぢさか入道」はわたくしたちの到着の一刻前、「南無阿弥陀仏を称えながら入水すれば、弥陀のお導きで浄土へ往生できよう」と呟きながら、乗っていた馬の手綱を解き自分の腰に巻き付けたそうにございます。
そして、手綱の一方を下人に握らせると、「わしが往生を果たすまで引き上げてはならぬぞ」と厳命し、声高に念仏称名しながら入水……。のちに引き上げると、入道は合掌の手も乱さず、天晴れなすがたで往生していたというのでございます。
一遍上人さまは入道の
――こころをば にしにかけひのながれ行 みづのうへなる あはれ世の中
そして、亡きあぢさか入道に終阿弥陀仏の法号を授けられましたが、「時衆過去帳」には、常一房のときと同じ「不」の一字を黒々と認められたのでございます。
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