第70話 一遍上人への具申




 そのうちに、わたくしには片瀬での滞在が長いように思われてまいりました。

 

 ――もしや、上人さまは再び鎌倉入りをお考えになっているのでは?

 

 そういえば、以前にもつぎのようなことを呟かれておいででございました。


「わが祖父・通信の二番目の妻は北条政子さまの妹、すなわち征夷大将軍・源頼朝さまの義妹に当たる方。同じく三番目の妻は鎌倉の有力御家人・二階堂行光さまの娘。さらに、ほかならぬわが母上も鎌倉の御家人・大江氏の出自であられる……」


 まさかと存じますが、あれほど忌んでいらした政治権力と結びつき、幕府の庇護を受けようという下心がおありになるなら、それは時衆への裏切りでございます。


 思い悩んだ末に、ある日、わたくしは意を決して申し上げました。

「片瀬に留まり3か月。そろそろ溜まり水も澱んで来るころではございませんか」


 なにも言わず瞑目されている上人さまはに重ねて申し上げました。

「もはや鎌倉はわれらが足を踏み入れる場所ではございません。これ以上この地に留まっていても、得るものはございません。速やかに出立すべきかと存じます」


 時衆もいっせいに耳をそばだてております。

 きびしい叱責は覚悟のうえでございました。


 緊迫した空気のなか、やがて上人さまは微笑を浮かべて仰せになられました。

「超一房の申すとおりじゃ。どうやらわれらは長居しすぎたようじゃ。さあ、みなの衆、出立しようではないか。念仏札を受けて往生したいと、衆生が待っておる」


 一同に歓喜のざわめきが広がりました。 

 それはとりもなおさず、わたくしから指摘されたあやまちを子どものように素直にお認めになった一遍上人さまへの、さらなる深い帰依の証明でもございました。

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