第58話 信濃から陸奥への旅路





 一挙に人数が増えた時衆の一行は、大きな才槌頭を振り振り、つんのめるようにして先を急ぐ一遍上人さまに率いられて、一路、奥州江刺を目ざしました。


 伊那から佐久へ引き返して、ご一家で帰依された大井さまに再びお世話になり、となりの上野国を経て下野国の小野寺という里にさしかかったとき、ぱらぱらと雨が降ってまいったと思う間もなく、見る間に土砂降りに変わりました。


 途中で念仏賦算を行っているあいだに祖父・通信さまご供養の旅路は手間取り、季節は秋に入っておりました。雪より冷たい秋雨に尼たちは悲鳴をあげて荒れ寺の軒下に駆けこみました。法衣の裾を尻っぱしょりした僧たちもあとにつづきます。


 肌に張り付く法衣を脱ぐと、いっそう寒気が募ってまいりました。寒くて惨めで、野良犬のようなわが身が情けなく、口をついて出るのは愚痴や溜息ばかり。


「だから春まで待てばよかったのじゃ。大井さまがあれほど引き留めてくださったのだから……」尖った声に同調する尼もいます。上人さまは静かに諭されました。


 

 ――ふればぬれ ぬるれば かはく 袖の うへを 

   あめとて いとふ 人ぞ はかなき


 

 先途に予想される困難は、自然の脅威にあるのではなく、じつは時衆の胸にこそあることを、このとき上人さまは予想され、心を傷められたのでございましょう。


 心低き弟子たちの非難の視線を一身に受けながらも、弁解ひとつなさらず一心に念仏を称えておられる一遍上人さまを、わたくしはハラハラ見守っておりました。

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