Sour 高校生・女子

第3話 Sour(前)

 九月一日、私の高校生活は折り返し地点を迎えた。

 一年前の四月に入学したのだから一説には十月を以て折り返し地点とも云われるが、殆ど登校しない高三の三学期は無きに等しいので、実質的には高二の二学期が始まる今日を以て折り返し地点と考えるべきだと私は主張したい。

 はや半分を浪費してしまったいま、いっときも時間を無駄にするわけにはいかないのである。高校生でいられるいまこのときは、なにものにも代え難いのだ。女子高生を妙に特別視する向きには正直うんざりだけど、早く大人になりたいと願う一方で、できるだけ長く成年と幼年の狭間で揺蕩たゆたっていたいとねがうのもまた真情なのだと思う。


 ちなみに十月折り返し説を推すのは、いま私の目の前でパン選びに余念のない典子ちゃんだ。

 学校帰り、駅の隣のパン屋さん。縦の成長はずいぶん前に止まったけれど、横にはまだ膨張する気十分らしい我儘放題な身体からだを抱えて、私たちには部活のあとの間食が欠かせない。思春期の食欲は残酷だ。



 パンを選び終えて、彼女はのたまった。

「二戦二敗なんて、恥ずかしいなあもう」

「二けじゃないの?」

けよ、敗け」


 なにが敗けかというと、昨日連れていかれた合コンの話なのである。

 急に来られなくなった友人の代打でのこのこ出てった私たちふたりは、賑やかな男の子たちと二時間ばかり喋って、連絡先を問われることも延長戦を申し込まれることもないまま帰ってきた。私にとっては生まれて初めての合コンだったが典子ちゃんはこれが二回目。前回も延長戦のお声はかからなかったのだそうだ。


「告って振られたんならそりゃ敗けなんだろけど、告られなかっただけで敗けってことないんじゃない?」

 だとしたら女の側は判定がからすぎる。フェアじゃない。

 けれど私の抗弁は一言の下に却下された。

だよね、女って」


 そんな駄洒落じゃ私は納得しない。ぎりぎり譲って、限りなく敗けに近い引き分けなんだと思う。



  ***



「合コンで声かけられなかったら敗け? あはは、面白いねえ典子ちゃん」

 ベッドに寝っ転がって漫画を読むお姉ちゃんがけらけら笑う。

「でもねえ」

 いったん漫画は枕許に置いて。

「しょうもない男だったら、変に声かけられても面倒だよ? むしろ声かけられるチャンスを潰して、逃げ切ったら、勝った! って私は思うね」


 そんな勝ち組の自慢はいらない。ほしいのは負け組が逆転勝利するための特効薬だ。

 私よりほんの少しだけ顔のいいお姉ちゃんを、じっと見つめた。

「なに?」

「大差ないと思うんだけどな」

 なのに、お姉ちゃんには彼氏がいるし、高校のときも今とは別のがいた。


 思うに彼女は、思い切りがいいのだ。引っ込み思案の私と違って、いつも思い立ったら行動している。勝ちだ負けだなんて私たちが言ってる間に彼女はとっとと男に告って、振られれば未練なく次の男を目指すのだろう。


「声かけられたきゃ、ちゃんと隙を作ることだね。超絶美人なら鉄壁ガードでも男は言い寄るんだろけどさ、そうじゃないなら、こっちから誘いを入れないと」

「そんな技術スキルないって」

「ま、経験を積むこった。あと、予習ね」

 と言ってお姉ちゃんが貸してくれた大量の漫画を、私は今うんざりしながら読み倒している。ちょいとえっちな青年漫画だ。


「男の気持ちが知りたけりゃそりゃ青年漫画よ。少女漫画のなかに答えはない」

 お姉ちゃんは断言した。男の本音がここにある。


 これが男の本音なら、ろくなもんじゃねえぞ、と私は思う。なんだこの理不尽なまでの巨乳三昧は。こんなバカみたいなドジっ子を演じてられるか。うゎ、このセリフ言っていいのは、いい女だけ。でも自分がいい女だって自覚して喋る高慢ちきもどうかと思う。そんな女で本当にいいのか、男性諸君。

 その後も露出狂一歩手前の格好した女たちが頻出する青年漫画を読み続け、一晩私は身悶えるはめになってしまった。


 そして得た結論はこうだ――こんな女にならなきゃ男に声かけられないってんなら、一生声かけて戴かなくって結構。


「ふぅん? それならそれでいいけど?」

 糖質オフの朝食をばくばく食べながら、お姉ちゃんは私の結論を鼻でわらった。

「じゃ、がんばって花蓮かれんから声かけることね」

 それができれば苦労しない。お姉ちゃんの考えは私には参考にならない、と思う。



「お姉ちゃんなんかいらないのに」

 教室で弁当を食べながらため息をいた。

「それよか、溺愛してくれるお兄ちゃんがいればよかった」

 はあ? とばかにした顔する典子ちゃん。

「それか、やたら私を慕う弟。できればジャニーズ」

「どんな妄想よ」


 そしたら彼氏がいなくても平気だったのに。たぶんみんなが私を羨む。イケメンのお兄ちゃんか可愛い弟。そうだ、恋なんていらない。

「思う存分ブラコンになってやるんだ」


 お兄ちゃんや弟とは、どこまでイケるのかな。ハグは全然OKだし、添い寝ぐらいはしたげるし、なんならお風呂でニアミスとか! キス……は唇をそっと合わせるぐらいなら、いっか。

「ばっかじゃないの?」

 典子ちゃんは、思い切りさげすむ目。

「いいよね、男兄弟いない子は。そんなキモい妄想して平気なんだから」

 ああ。

「そういや典子のりちゃん、お兄ちゃんと弟くんがいるんだっけ?」


 実際兄やら弟がいたら、絶対そんな気にならないと典子ちゃんは言う。

「でも、プレゼント買ってきてくれたりしたら、うれしくない?」

「買ってこない。てか、買ってきたらキモい。すぐ捨てるね」

「溺愛は?」

「しねーよ。万一しやがったら、ストーカーで警察に訴える」


「じゃ、お兄ちゃんか弟くんか、どっちかくんない?」

「あー、どっちでも好きな方持ってけ」

 せいせいするぜ、と典子ちゃん。

「その代わり、いったん受け取ったら返品不可だから」

「クーリングオフは?」

「ない」

「悪徳商法だなあ」

 さすがに返品不可はおおごとなので、商品説明を求めると、次の日しっかり持ってきてくれた。典子ちゃんのこういう律儀なところ、私は好きだ。



 途中経過をすっ飛ばして結論を述べると、この商談は成立しなかった。

 写真を見るとイメージと違ったし、やっぱり返品不可は面倒だ。

 そういやむかし、一年だけ犬を飼っていた。飼いたいってお姉ちゃんと一緒にさんざんねだって、世話もするって約束したのに、一年で世話しなくなって、今はお祖父ちゃんに引き取られている。それでも私は一年は世話した。お姉ちゃんは九か月だった。


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