第32話 推しがいる日常
主任が死亡した後、心弥たちの住む町を管理していた正義の使徒はしばし混迷の様相を呈していた。
本人が名乗った『主任』という肩書き以上に影響力のある人物だったようで、組織の中が色々とバタついてしまったのだ。
一応、この地区を管理していた人物である九条は普通に生きているので、彼が引き続き町に残ってはいるのだが……。
主任の命令でこの町に集められていた異能者たちは元の場所へと戻され、現在主だって魔物に対処しているのはほぼココナだけになってしまっている。
まぁ魔物対策に関しては心弥が手伝っている関係上それで特に問題が起きてはいないのだが、問題は町全体にかけられた常識改変の洗脳についてだった。
本部のなんらかの意向(恐らくは、未知の超越的戦力である『心弥』をこれ以上刺激するのは現時点では好ましくないと判断した)によって、正義の使徒は町の管理統制から殆ど手を引いてしまったのだ。
つまり、心弥のいる町の洗脳は解除されてしまった。
結果として、町は二つに分断されてしまう。
ほんの一ヶ月の間に、地球人の住まう地区と異世界人の住む地区に分かれたのだ。
どうやら洗脳中の記憶は普通にあるようで大きな混乱や争いまでは起きなかったが、やはり洗脳の力なしですぐに共存をするようなことはできなかったらしい。
更に言えば、異世界人側が正義の使徒――ひいては地球人を拒んだ、ともいえる。
何しろ、世界同士の衝突時、異世界側の浸食が少なかった日本において異世界人の存在はそれなりに希少だったわけだが、その少ない異世界人を捕らえて洗脳、あるいは実験に使っていたのは間違いなく地球人側なのだ。
犠牲になった異世界人も少なくない。
もっとも、世界中に目を向ければ異世界人側が地球人に対して非道な行いをしていた事例も腐るほどある。
要するにお互い様なのではあるが、そんなことはこの町に住む異世界人にとってはどうでもいいことだ。
そうして、この町で見られた異世界人と地球人の入り交じった不思議な日常は、一旦の終焉を迎えたのだった。
「なんか久しぶりな気がするねぇ。こうやってのんびり外を歩くのも」
「あぁ~、そういやそうかもなぁ」
地元商店街をぶらぶらと歩く心弥と、その頭に乗っかっているシノ。
彼女の言うとおり、ここしばらくの心弥はとてものんびりはしていられなかった。
魔物の対処は勿論のこと、異世界人と地球人の間で起りかねない混乱を収める必要があったからだ。
もっとも、町の住民同士の諍いを納め、スムーズに住む地区を分けることを主導したのはココナとリリルであり、心弥はその手伝いをしただけの立場だったのだが。
「ココナちゃんとリリルのお陰で、町も随分落着いたしな」
「そだねぇ。二人とも頑張ってたもんねー。必死に皆を説得したり、正義の使徒の……え~っと、なんだっけ?」
「九条って人だろ」
「あぁそれ。それを脅して色々手伝わせたりとか。ほんと、病み上がりなのに忙しくあちこち駆け回ってたもんねぇ」
東堂との戦いで重症を負ったリリルとココナだったが、シノの回復魔法の効果によってすぐに全快していた。
一度は消滅してしまったココナの相棒であるミミすらも復活を遂げている。
シノに言わせれば、ミミはそもそもココナの異能の一部なので、本人を回復させるついでみたいな感じで簡単に復帰できるようなものだったらしいが。
それでも、ココナは泣きながらシノと心弥に礼を言い続けた。
「別に責任を感じてる、とかいうわけじゃないけどさ。この町がこうなった切っ掛けは俺だし。二人のお陰で変な犠牲者が出るようなことがなくて、本当よかったよ」
「ふ~ん。責任ねぇ」
心弥としては、この町から正義の使徒がほぼ手を引いたことに関して良いとも悪いとも思っていない。
正義の使徒の管理と洗脳は確かにこの町に平和を与えていた。
しかしそれは偽りの平和であり、特に異世界人にとっては尊厳を著しく損なうものでもあったとリリルは語っていたのだ。
更にいえば、正義の使徒が裏で行っていた人体実験やらのこともある。
実際、心弥が地上へと引き摺り下ろした人工衛星をシノが感知で調べたところ『人の形をギリギリ保っている』ような有様になった異能者が何人も組み込まれていた。
ココナが九条に直接掛け合い、その実験体だったであろう異能者たちを手厚く治療、看護できる施設に送ることを約束させたのだが……実際のところその後どうなったのか詳しくは分からない。
因みに、東堂や他異能者も正義の使徒本部に回収されたわけだが、その後のことは不明である。
「ま、心弥が気にしてもしょうがないことだと思うけどねぇ。心弥だって分かってるんでしょ? この世界は、こんなもんだってこと」
「……まぁな」
『世界を救うなんてのは、この世界が愛おしくてしょうがないような奴がやればいいだろ。俺はそんな責任を負うほどの愛着は持ってないし、根性も信念もないよ』
シノと出会った当初、心弥が言った言葉。
今でも変わらずそう思っているし、これからもきっとそう思ったままだろう。
この世界はどうしようもないくらいにどうしようもない場所で、ここで起こることにいちいち責任だの愛着だのは言っていられない。
ただ、それでも――。
「そんな世界で頑張っている推しがいるからなぁ。俺も、それなりのことはしようって思っているだけだよ」
「なるほどなるほど。結構なことだよ心弥。だからさ、そろそろいいんじゃない?」
「あん? なにが?」
「出会ったころに言ったでしょ。世界、救ってみない?」
「……あ~」
シノが心弥に接触した元々の目的は、世界にこれから先起こりうるであろう魔力災害を心弥に防がせることだった。
心弥が非協力的だったので今までは保留されてきたことだったのだが。
もしも心弥が『推し』と呼ぶ二人を守ろうと思うのなら、魔力災害とも当然向き合わなくてはならない。
「まぁ、ぼちぼちな」
「あははっ。いいよ、そんなくらいで。心弥らしいし」
シノは呆れたような、それでいて安心したような、どことなく母性すら感じさせる表情で笑った。
「まぁ、まずは世界よりもこの地元商店街をなんとか救いたいくらいだけどな。色々あったせいでシャッターだらけだし、これじゃ買い物に支障が……あれ?」
「ん? どしたの心弥?」
ブラブラと歩いていた心弥が突然足を止めた。
商店街で営業していた店は結構な割合で異世界人が経営していたのだが、住む地区が分断されたせいで今は閉めてしまった店も多い。
当然、エルフが経営していた心弥行きつけのパン屋もシャッターを下ろしていた――のだが。
「開いてる……?」
パン屋のシャッターが、開いていた。
心弥はまるで吸い寄せられるようにしてパン屋の扉をくぐる。
すると、中はパンの良い匂いで満たされていて、他に客はいないが間違いなく営業していた。
「いらっしゃいませぇ~」
そして、中にいたのはエプロン姿のエルフのお姉さんその人。
心弥は彼女を見てぽかんとした表情で立ち尽くした。
「あ、チョココロネのおにーさんじゃないですかぁ。久しぶりねぇ?」
「えっ? あっ、はい! え?」
混乱する心弥に構わず、エルフはニコニコと話しかけてくる。
「しばらく営業できなくてごめんなさいねぇ? 例のあの時から、自分の記憶が曖昧なことに気が付いて……色々なことが思い出せない事に混乱しちゃってたんですけど。最近は落着いてきたから、またパンを焼き始めたんですよ~」
例のあの時――というのは、洗脳が解かれた日のことだろう。
強制的に洗脳をされていた異世界人たちの中には彼女の様な記憶障害や、人格障害を発生させてしまっている者たちが一定数存在していた。
当然、それを自覚し、ショックを受けていまだ日常生活に立ち直れない者達も多い。
「落着いてって……記憶、戻ったんですか?」
「ん~。正直、殆ど思い出せないわねぇ。家族のこととか、どんな風にこれまで生きてきたのかとか」
「そう、ですか。……え、えっと、だったらここじゃなくて、異世界の人たちが集ってる地区に行った方が、いいんじゃ……?」
現在、エルフなどの異世界人たちは地球人とは別の場所で集落を作っている。
つまり、この商店街にはもう同胞がいないはずなのだ。
記憶も無くし、周りは自分を洗脳した連中と同じ地球人ばかり。そんな町で暮らすことが辛くはないのか?
心弥のそんな心配をよそに、彼女はゆっくりと首を振った。
「確かに、私以外のエルフは皆さん別の場所へ引っ越ししちゃいましたねぇ。でも、私はここでパンを作るのが好きなんです。だから、ここに残ろうって」
「別に、ここじゃなくてもパンは作れるんじゃ……?」
「それはそうです。けど、ここで私のパンを買ってくれていた常連さんには、ここでしか会えないでしょう? 例えば、あなたとか」
「…………っ!」
彼女を含めた異世界人達は全員、自分たちが洗脳されたいたことを説明されているはずだ。
そして、洗脳されている間の記憶もちゃんと残っている。
「私はですねぇ、エルフにしては結構なおしゃべり好きなんです。勿論、ここでも沢山の常連さんとお喋りしました。だからね、分かるんです。皆、そんなに変わりはないの。私たちも、あなたたちも」
エルフの彼女は、本当に楽しそうに笑って。
「同胞とも、異世界のあなたたちとも私はおしゃべりしたいですからねぇ。それに、やっぱり美味しいパンは世界共通ですし。これからは私の世界のパンもバンバン並べちゃいますから!」
腕まくりでもしそうな雰囲気で自分の店を見渡した。
「……凄い、ですね」
「え?」
「いや、なんか、凄いなぁって。俺らは全く別世界の存在だし、洗脳のこととかもあったし。その、怖いとか、恨んでいるとかないのかなって」
心弥の問いに、エルフの彼女はくすりと笑う。
「うふっ。おにーさん今、自分が怖がられてると思いますかぁ?」
「え? いや……あんまり?」
「全然、です。寧ろおにーさんの方がいつも私に緊張してませんかぁ?」
「へっ!? いや、その、それはですね」
「ふふ~、分かってますよ。私が美人すぎて緊張しちゃってますねぇ?」
「それはっ、えっとっ」
その通りですけど!?
などと、はっきり言えるわけもなく。
完全に彼女の掌で遊ばれている状態である。
エルフの彼女はまたクスクスと笑って。
「私はね、ここでパン屋さんをやっているシャーティアっていいます。これからも、是非パンを買いにきてね?」
心弥の手をそっと握った。
「――はい。俺の名前は、心弥っていいます。その、チョココロネ、ください」
心弥も、ちょっとだけ、その手を握り返すことに成功した。
「はぁ……シャーティアさん……いいわぁ」
パンの袋を抱えつつ、ほくほく顔で家路を歩く心弥。
その頭の上には、ふくれっ面のシノ。
「はいはい、よかったっすね~。お手々にぎにぎしてもらえて~」
「うん……よかった」
「ケッ」
心弥は良い感じに頭の中が幸福なのだが、シノは寧ろご機嫌斜めを通り超して不機嫌直滑降である。
「これはもうあれかも。三人目の推し発見かもしれないぜ」
「またぁ? 心弥の推し判定ガバガバすぎない?」
「いやいやっ、ココナちゃんとリリルとはまたちょっと別種っていうかさ!? もっとこう、町の看板娘的ポジションっていうか、アットホームな意味合いの推しっていうかね!?」
「あ~あ~、そうですか~。心弥さんはほんと可愛い子に弱いこって~」
「……さっきからなんでそんなやさぐれてるんだ?」
問いかけに反応し、頭の上からシノがくるんと心弥の目の前に降りてきた。
ジト目で睨みつけられつつ、妙な緊張感に包まれる心弥。
「いい加減さ、ウチのことも推してくれてよくない?」
「……は?」
「だ、か、ら! ウチのことも推し認定してくれていーんじゃないのって! なんでパン屋の娘っ子が推しになるのにウチはスルーなのさっ」
あ、あぁ……それで怒ってたんかぃ……。
思いもよらない理由が飛び出したことで一瞬マジで驚きを隠せなかった心弥だったが、事態の解決を図るためにすぐに頭を働かせ始める。
「え、え~っと。あれだよあれ。なんていうか、推しってこう、アイドルを応援するような感覚が混じるっていうかさ。シノはもっと身近っていうか、隣にいるのがもう極自然っていうか。唯一緊張しなくてすむ女の子っていうか」
頭を働かせたところで碌な弁解が出てこないところが心弥なのだが、しかしシノはその言葉にピクリと反応してみせた。
「女の子……女の子かぁ。ふ~ん、えへへ~」
「な、なんだよ」
「べつにぃ。それよりも、緊張しなくすむ女の子、ねぇ? これでもそんなこと言ってられるかなぁ?」
「はぃ?」
訝しむ心弥の目の前で、シノの体が突然掻き消える。
――次の瞬間、心弥の隣に、美少女が立っていた。
「……へ?」
薄ら輝きすら放つようなプラチナブロンド。
まさに神の造形といってもいいようなプロポーションと美貌。
完全無欠の美少女は、ひょいっと心弥の腕を取った。
「ほれほれ~。これでも緊張しないのぉ? 心弥?」
「お、おまっ――」
「ふふん~。力が結構戻ったから、これくらいはね。全快すれば最終的に怪獣くらいまで大きくなれるはずなんだけど」
それはならなくていい。
とは思ったものの、等身大になったシノの可愛さに完全に度肝を抜かれる心弥。
挙句腕にでっかい胸を押しつけてくるもんだから、まるで頭が回らない。
「ね、心弥。ウチのことも、推してくれる?」
「そ……それは……」
「それは?」
「それはぁ……っ」
「それ――あっ」
「あ?」
突如、心弥の腕から柔らかい感触が消え失せた。
同時に、顔の横にちっさい影。
「あ~、やっぱまだこのくらいの時間しか無理かぁ。ちぇ~。もうちょっとで心弥を陥落できそうだったのになぁ」
「お、お前……お前なぁ……」
マジで心臓に悪かったぜぇ……。
などと、心の中で盛大にため息をつく。
実際問題、あともうちょっと踏み込まれていたら何を言っていたか自分でも分からなかった、と心弥は思った。
「次、次にもっと力が戻ったら、今度こそ心弥のこと骨抜きにするから!」
「いーよ! もう十分だよっ」
「それはどういう意味のいい? どういう意味の十分? ねぇ、どーゆー意味?」
「やまかしぃ! 髪ひっぱんなっ」
シノに纏わり付かれつつ、心弥は家へと帰った。
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