第25話 結末
リリを地面に下ろして跳び上がった心弥は、取りあえず巨人の胸あたりへと狙いを定めた。
「よい、しょっと!」
空中で不安定な体勢のまま蹴りを放つ。
ズシンッとまるで山が動いたかのような重低音が響き渡り、ビルのような――元がビルなので当り前だが――巨体が山なりにぶっ飛んだ。
「なッ、なんだ!?」
巨人の頭部で巨人と一体化していた男が戸惑いの声を上げる。
まさかちっぽけな人間一人に蹴られただけなどとは想像すらできない。
しかし、現実だ。
「ぐぉあ……ッ。こ、これはっ。あの少年、ここまでの……!?」
巨人はかなりの距離を吹き飛ばされ、背後にあった無人の丘へと叩きつけられて地震のような揺れをおこした。
どうやら、リリたちに危険が及ばないように誰もいない場所へと心弥が蹴り飛ばしたらしい。
巨人の胸には大きな陥没後ができていた。
このレベルのダメージを何発か食らえば、魔術の構成が破壊されて修復不可能になるだろう。
「おのれぇ……邪魔はさせん。ここまできて……! 平和は、理想の世界はすぐそこまで来ているんだ!!!」
巨人が倒れた体勢のまま、両腕を空に掲げる。
すると、巨大な……まるで月がもう一つ増えてしまったかのような巨大な魔方陣が上空を覆った。
「あ、あれはっ……まさか、シンヤ一人に対して!?」
「うわぁ。凄いね、あの魔力量」
巨大すぎる魔方陣は、心弥から離れた場所にいるリリとシノにも当然見えている。
「本来なら世界中の人たち相手に行使する予定だった幻術の一部……それこそ何億人分かの魔力量を心弥相手に撃ち込むつもりだね」
「シンヤ、逃げッ――」
遠すぎて届くわけがないと分っていながらも、思わずリリは心弥のいる方へと叫ぶ。
いや、叫ぼうとした。
しかし、魔術の発動の方が速い。
空を覆う広大な光の円が一瞬にして人間一人分ほどの大きさに収縮。
その直下にいる心弥目がけて光の柱を発生させた。
「うぉ眩し!?」
攻撃魔術ではないのでほぼタイムラグなしで到達する魔術の光。心弥も流石に避けることはできなかった。
「ふははははっ!! 覚めることのない夢に溺れて消えるがいいっ! …………ふぅ。これで、また予定が狂ってしまったが、それでも世界の大半を救うことができるはず――」
「あ、収まった」
「――ッな!?」
魔術の光が収まると、心弥は倒れることもなく普通に立っていた。
勿論、立ったまま眠っているとか目を開けたまま寝てるとかそういうのでもない。
「あ~、なんか、ほんの一瞬だけリリさんとココナちゃんに両側から抱きつかれてる夢をみたような気がするわ……超よかった」
一応、魔術の効果もありはしたようである。
あまりにも短い時間ではあったが。
「えっ……え……? シンヤは、どうなったの? 普通に立ってるけど」
「あ~。あれね。心弥の力が強すぎて一瞬でレジストされたんでしょ。大っきなプールにスプーン1杯程度の砂糖を入れたって味が変わらない、みたいな感じ」
「対数億人分の魔力が、スプーン1杯……?」
リリにはまったく理解の追いつかない話であったが、魔術を撃ち込んだ男の方はそれ以上に混乱し困惑し当惑していた。
(なんだ、なんなのだこいつは!? 人間、いや、生物なのか……!? ありえない、こんな、こんな存在がなぜ……ッ)
精神的にこの上なく追い詰められた男が取った行動は。
「最早容赦はせん!! 肉体ごとちり一つ残さず消し去ってやる!!!」
心弥の物理的抹殺だった。
巨人が体を起こすと、空へと跳び上がった。
それだけで地面が陥没し、地割れが発生する。
遙か上空から落下しつつ蹴りを繰り出す巨人。
質量差は圧倒的。
更に、内包された魔力が攻撃用に転換され足部分の魔方陣が激しく発光している。
地面に突き刺されば、それだけでこの辺り一帯が消失してしまうほどの威力がこめられた一撃。
「死ねぇえええええええ!!!」
月の光を覆い隠すようにして迫る巨体に対し、心弥は一瞬どうしていいのか分らなくなった。
当然だが、こんなでっかいモノと戦った経験なぞない。正直ビジュアルからして普通に怖いし絶望的過ぎる。といって逃げ場もない。
何しろ今の心弥の背中には推しの命運も乗っかってしまっているのだ。
「あああぁっもう、なるようになれやあああぁぁ!!」
かなりヤケクソ気味なノリで、心弥がジャンピングアッパーカットを放つ。
中空で激突する巨大な足と小さな拳。
猛烈な衝撃波が夜空を駆け抜ける。
次の瞬間。巨人の外郭を成していたビルが変質した部分、それらが足下から全て砕けて、剥がれながら上空へと消し飛んだ。
残ったのは、巨大な人の形をした魔方陣の塊。
まるで抜け殻のようになった巨人のなれの果ては、ゆっくりと地面に倒れた。
「――――なんだ、なんなのだ、お前は」
巨人が倒れたことにより、魔方陣と一体化していた男は心弥のすぐ近くに落ちてくる。
その魔方陣も、支える外骨格を失ってゆっくりと大気の中へほどけて消えていった。
「世界が平和になるところだった……あとほんの少しだった……なぜ、なぜ邪魔をしたぁ!!?」
男が慟哭と雄叫びを上げる。
「誰も悲しまない! 皆が幸福でいられる! この世界を、救える!! 僕は真なる救世主だった!! なぜだ!? 貴様はなぜこの世界から救いを奪う!!!」
最早完全に泣きが入っている状態の男の言葉を聞き、心弥は気まずそうに答えを返した。
「え? いやー、ちょっとなぁ、人が死ぬみたいな部分のイメージが悪かったっていうか……。あ、でも全体としてはマジでいいアイディアだったと思うから、次はその点改善してもっかいやってほしいかな! なんならまた俺も手伝うし」
まるで持ち込み原稿をあっさり突き返す漫画編集者みたいな返答をされ、男の顔から感情がすーっと抜けていく。
魔方陣も完全に消失し、取り込まれていた魔術師たちも全員地面へと開放された。
どうやら全員気絶しているようだが、死人は出ていない。
残ったのは、放心状態になった男が一人。
「なんだ……なんなのだ……これは? 僕の今までの苦労は? こんな、こんな理不尽なことがあるのか……?」
なにやら自分はえらいことをしてしまったようだ、という事実をようやっと理解してきた心弥だったが、どう声をかけていいのかよく分からずオロオロするしかない。
そんなところに、シノがやってきた。
「お疲れ~、心弥。どうかしたの?」
「え? いやあの、なんかあの人が凄いショックを受けててさ。悪いことしちゃったみたいだなぁって。まさか、あそこまで落ち込むとは……」
「そりゃねぇ。例えるなら、すんごい苦労して作ってたドミノ倒しをほぼ完成寸前だったのによく知らん奴が入ってきてぶっ壊した、みたいなもんだし。そりゃショックでしょ」
「そう言われると俺ってただのマジキチ過ぎる嫌な奴じゃん……」
実際、男にとってみれば間違いなく心弥は悪魔や鬼そのものではあるのだが。
「でもしょーがないと思うよ? 向こうだって、良い悪いは置いておいて世界中の人間を勝手に巻き込もうとしてたわけだし。身勝手なあいつと身勝手な心弥がぶつかって、弱い方が負けたってだけだよ」
「え、えらく弱肉強食な意見だなぁ」
「えー? 世界ってそういうものでしょ?」
「とってもスパルタンな神様だぜ……うちの女神様は」
心弥がシノの精神性に戦いていると、後ろから少しヨタヨタとした足どりでリリがやってきた。
魔力は多少回復したらしく下着姿ではなくなっている。とはいえいつものドレスはまだ纏えないようで、黒色のワンピースみたいなものを身につけているだけだが。
「……シンヤ」
「リリさんっ。体はもう大丈夫なんです?」
「えぇ、なんとかね」
心弥の前まで来たリリは、放心状態になっているかつて上司のような存在だった男を一瞥すると自嘲気味な笑みを浮かべた。
「なんだか、本当に馬鹿みたいな話だわ。世界だの救いだのと大仰なことを言ってここまできて、結末はこのザマ。結局、全部シンヤが片づけてくれた。やっぱり私には、誰も救うことなんて……」
「え? そんなことはないのでは?」
暗い表情のリリに対し、心弥はあっさりと言葉を返す。
「今回結構良いところまでいってたのは間違いないし、何事も一回で成功するってあんまりないだろうし。リリさんなら次はもっといい方法が見つけられそうな気がするっていいますか。ねぇ?」
「……どうかしら。今回の件で気が付いたけど、私の理想論は結局、自分が救われたいからってそれを世界に押しつけていただけなのかもしれない。誰かを救いたいなんてただのついで、本当は私自身を憐れんでいただけなのかも……」
今のリリは明らかに自分の芯が揺らいでいた。
己のしたかったことは本当はなんだったのか?
理不尽な世界のへの反抗、そんな想いの果てがこのどうしようもない結末だったのではないのか?
しかし、そんな細やかというか、繊細な部分の悩みを察する対人コミュニケーション能力など心弥にはないのだ。幸か不幸かはさておいて。
「いや、別にそれでいいと思うけどなぁ。理由はどんなものであれ、困ってる人や不幸な人は助けられたら嬉しいだろうし。あ、なんなら今度は希望制にしてさ、希望者だけ幸福な夢の世界に行けます! みたいな計画にしたらどうっすかね? 俺も勿論手伝いますし! あの男の人ももっかい手伝ってくれるなら魔術の仕様も細かく変更して――」
「心弥、心弥っ」
「んぁ? あんだよ」
リリに具体的な次案を語り始めようとする心弥の頭をシノがぺしぺしと叩いて止めると、耳元で騒ぎ出した。
「あのねぇ。女の子はこういう時、具体的なこと言ってほしいんじゃないの! もっとこう、黙って話を聞いて、落着いてきて、感情のわだかまりがなくなってきたらそこでようやく具体案がそっと出る……くらいじゃないと」
「えぇ!? そ、そうなのかっ? え? 要するにどういうことだ?」
「まずは優しくスマートに慰めるぐらいしろって言ってんの!」
「あぁ!! なるほど! って、そんなの俺にできるわけあるかっ!」
シノと心弥のやりとりをポカンとした表情でみていたリリが、思わず吹き出したように笑い出す。
「ほらぁ、心弥があまりにデリカシーないから笑われてるじゃん!」
「ええぇっ!? えっと、リリさん、あのー、あれです。とにかく元気だしてっていうか、落ち込み過ぎると色々アレっていうか、お布団の中にしばらくいると元気になるかもっていうか、ほら俺そういう経験豊富なんで?」
パニックになっていらんことを口走り始めた心弥を、笑いながら手で制するリリ。
「いい、もう大丈夫よ。慰めなら、今ので十分だわ。……ふふっ。そうよね、なんだかんだいって、今回は犠牲も悲劇もなかった。シンヤと出会えただけで儲けものだったわ」
涙の滲んだ目元を拭って、リリが心弥に向き直る。
「――ありがとうシンヤ。色々、助かったわ」
すっきりとしたリリの笑みに、心臓鷲づかみ……を越えて完全に撃ち抜かれる心弥。
いい加減トキメキ慣れしてきそうなものだが、いつでも新鮮に心臓を不整脈にされている。
「い、いやいやいや、全然、全然っす! リリさんならもう、いつでも呼んでくれれば、協力でもなんでもしますんで!」
「だから、その舎弟みたいなノリはいい加減やめて。私はあなたと……対等の関係になりたいの。そこのシノみたいなね」
シノが自分を指さして「ウチ? ウチは心弥の保護者っていうか、守護神みたいなもんなんだけどなぁ」などと言っているが、心弥はとりあえず無視した。
「た、対等。対等っていうとその」
「名前も呼び捨てでいいわ。もう知ってるだろうけど、私の本当の名前はリリノワール。好きに呼んでちょうだい」
「リリノワール……じゃ、じゃぁ、リリさ……り、リリ……リリ、のわ、る?」
「心弥、今マジでちょっとキモいよ?」
「うるせぇ!!」
顔を真っ赤にして挙動不審になっている心弥を見て、またリリがツボに入ったのか笑い出す。
「ふっ、くふふっ。あはははっ。なるほどね。シンヤの正体、なんだか分った気がするわ」
「心弥に正体もクソもないと思うけどなぁ」
「え? え? 何、俺がなんだって?」
自分の話題のはずなのに何故か蚊帳の外に置かれている心弥が不安げに聞きただすが、リリは答えることなくびしっと指をつきつけた。
「いいから、早くシンヤは私のことをちゃんと呼びなさい。リリでもリリノワールでも、或いは貴方なりの呼び方があるならそれでもいいわよ?」
「だって。ほらほら、ファンとしての気概が問われるところだよ心弥。オリジナリティのある呼び方したら推しに認知して貰えるよ?」
ファンとして、と言われたら心弥も退くことはできない。
羞恥に赤く染まりそうになる頬を感じつつ、リリへと口を開いた。
「よ、よし、じゃぁ……今後ともよろしく、リリル」
「あっはははは!? やっぱセンスないね心弥!」
「やかましいわ!」
シノに爆笑されている心弥を微笑ましそうに眺めつつ、リリルは口を開いた。
「ん、よろしくね、シンヤ」
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