第175話 ある少女の小さな願い

 とても見目麗しく、儚げな少女。彼女を表現するのであれば、誰しもがそう評するだろう。金色の髪はまるで絹糸のように細くしなやか。潤んだ翡翠色の瞳に覗き込まれれば、まるで湖の中を見ている気分になる。


 華奢で触れれば壊れてしまいそうなその少女は、一体の人形を相手にママゴトをしていた。何か話しかける様は、それはそれは可愛らしい。


「ねえ、お姉様。……でしょう?そうしましょう?」


 物陰からそっと様子を見守っていた侍女は、小さく頷きその場を離れる。昔から活発に動き回ることをしない少女なら、少しその場を離れてお茶の用意をしても問題ないと判断したのだ。


 無論その少女もその気配に気がついている。そして侍女がいなくなったのを見計らい、そっと人形の目に布を巻いてしまった。


「この目はお姉様の眼。同じ目は嫌だわ」


 本当は自分だけの人形が欲しかった。そう呟く。しかし、歳の離れた姉にはもう不要だからと、父は自分に姉のお下がりをよこしたのだ。確かに人形を作るのには時間もお金もかかる。だが自分だってこの家の娘。後妻の子供とはいえ、この家の血がちゃんと流れているのだ。


「この人形はお姉様なのよ……わたくしじゃない」


 お姉様の人形。大好きな、大好きなお姉様。でもこの目は嫌。この髪の色も嫌。嫌。嫌。嫌。ポツリポツリと呟く声は誰の耳にも届かない。

 だから隠してしまいましょう。髪の色は無理でも、瞳は布を巻いてしまえば見えないから。そうすれば大丈夫だって、教えてもらったの。


「ふふふ。ああ、お姉様はやく会いたいわ」


 人形を抱き上げてクルクルと回りだす。そうしていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。少女は慌てて人形の顔から布を外すと、可愛らしい声で返事をする。


「はあい。どなた?」

「私だよ。サティ。入ってもいいかな?」

「ええ、大丈夫よ。お父様」


 サティと呼ばれた少女は、扉を開けるとその前に立っていた父親に抱きつく。人形と、あのことを除けば何でも願いを叶えてくれる大好きな父親。

 鼻の下に貯えた髭は白髪まじりで、それなりに歳をとっていることが窺える。遅くできた子供だから、自分は甘やかされているのだろう。それにこの容姿も甘やかされる要因の一つだと自覚していた。


「サティ、実はお姉様が具合が悪いそうなんだ。だから王城に会いに行こうと思うんだが、サティもいくかい?」

「まあ!本当に?もちろん行くわ!!お姉様は出産の時も里帰りされなかったもの……きっと、後宮で寂しい思いをされているに違いないわ」

「そうだね。一応、王太子殿下に面会して体調を聞いてからになるが……私は無理でも、サティなら会えると思うんだ。会って、お姉様を元気づけてあげなさい」

「もちろんよ!それにお姉様の赤様にも会いたいわ」

「そちらはどうかな?赤子というのはなかなか扱いが難しいからね」


 父親にそう言われると、少女は唇を少しだけ尖らせる。さも不服、と言うわけではなく、そんな酷いこと言わないで、と言うように。


「お父様、わたくしは小さな子供ではないのですよ?赤様に会ったからと言って大きな声ではしゃいだりしないわ。すこーしだけ見せてもらえれば良いのよ?」


 お父様だってどんなご様子か知りたいでしょう?と言われれば、父親は苦笑いを浮かべるしかない。未だ人形を抱き抱えたままの少女だが、もう十五になるのだ。いつ結婚の話が出てもおかしくはない。


 事実、娘の美しさを聞いた者から茶会の誘いは来ているのだ。ただ一般的なラステア人からすれば体が弱い少女を嫁に出すのは少々憚られる。


 もちろん父親としての欲目もあるのだが。この美しく育った少女を、その辺の男に嫁にやるのはどうも気が進まない。長女が王太子妃になった、ということもあるがこれだけ美しい娘であるなら長女のように王族に嫁がせることが可能ではなかろうか?と。


 そんな欲が出てしまうのだ。長女はさほど美しいわけでもなく、王太子の妻となった。それならば、この縁を使って王弟殿下の妻にすることはできないだろうか?その方がこの愛しい娘は何不自由なく暮らすことができる。


 そんな打算も込みで、父親は少女に声をかけたのだ。王城へ行かないか?と。

 長女の体調を心配する気持ちもある。あるが、大抵のことは何でもこなしてしまう可愛げのない長女よりも、誰かに頼らねば生きていけぬようなこの儚げな次女の方が可愛いのだ。


 出来の悪い子ほど可愛い、とは誰が言った言葉だろうか?そんなことを考えながら、何も知らないで王城に行けることを喜んでいる少女を目を細めながら見つめる。その少女の心の内を、何も知らないまま。




 ***


 美しく着飾った少女はとにかく愛らしかった。

 透けるような白い肌に、ほんのりと頬が高揚で赤く染まっている。そして小さな唇とまなじりに赤い紅をさし、金糸の髪を頭上で結いあげていた。

 その髪を飾る紐も簪もどれも一級品。着ている衣服も少女の華奢な体を引き立てるとても美しいものだった。


 そんな少女の前を歩く父親はどこか誇らしげだ。それもそうだろう。少女の姉は、ラステア国唯一の王太子妃。つい先ごろ生まれた子供は男児で、いままでパッとしなかった家門に突然の幸福をもたらした。


 その父親にはまだこんなにも美しい娘が残っているのだと、その場に居合わせた貴族達も色めき立つ。ラステア人には珍しく、後妻を娶ってその後妻との間に生まれた子供だが正しく家門の血を引いている。

 それに、この家には後継の男児はまだいない。かなりの好物件と言えるだろう。


「レイティア侯爵、御息女のサティ様が参られました」


 父親の前を歩いていた侍従が、一つの扉の前で声を張り上げる。すると、扉の前にいた衛士が入り口を開けた。

 侍従はそのまま真っ直ぐ部屋の中に入っていく。続くように二人も部屋に入っていった。その先にいたのは、ラステア国唯一の王太子ウィズ。


 彼は二人の姿を見つけると、立ち上がり父親に手を差し伸べる。


義父上ちちうえ、お久しぶりです」

「お久しぶりです、殿下。ご健勝そうで何よりです」

「ありがとうございます。サティ嬢も久しぶりですね」

「お久しぶりです。お、おにいさま」


 そう言うと少女は恥ずかしそうに俯いてしまう。そんな姿を見た父親は、微笑ましそうな視線をおくった。家族以外の人間と触れ合う機会は少ない。そんな少女の初心な姿はきっと王弟殿下の庇護心をくすぐるに違いない、と。


 部屋へと案内した侍従も一瞬見惚れてしまったほどだ。それほどに美しい少女はチラリと、ウィズを見上げそしてまた俯く。しまいには父親の影に隠れてしまった。


「こらこら。殿下に失礼だろう?」

「も、申し訳ございません……」

「いや、構わない。さ、椅子に座ってください。お茶の用意をしましょう」

「ああ、申し訳ありません」


 父親は頭を下げると、少女と共にテーブルにつく。茶の用意はウィズ自らがおこなった。それはラステアの王族も、他の貴族と同じように自分のことは自分で、と教育を受けているからに過ぎない。


 少女はその姿をうっとりとした目で見つめていた。洗練された動きはそれだけで一つの芸術品のようだ。ずっとずっと眺めていたい。

 しかしそんな願いは長くは続かないもの。


「それでその、娘の体調はいかがでしょうか?会えますでしょうか?」

「義父上、申し訳ないが今はサリューを休ませてやりたい。父親といえども遠慮してもらえると嬉しい。特に子供を産んだばかりだからな」

「そう、ですか。ではこの子はどうでしょう?サティはサリューとも大変仲の良い姉妹です。お側に置いてはいただけませんか?」

「わ、わたくしからもお願い致します。お姉様のことが心配なのです」


 少女は一日の少しの時間だけでも慰めになりたいのだ、とウィズに訴えた。その姿に誰もが姉思いの妹だと思ったことだろう。思惑を抱えた父親もそれに追随するようにウィズに頼み込む。


 ウィズは少しだけ考え込み、口を開く。


「申し訳ないが、それには及ばない」


 少女の願い虚しく、申し出は拒絶されたのであった。



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