第116話 悲しみが訪れるとき 1
————いつだって、その知らせは突然来る。
ひたり、ひたりと背後から忍び寄ってくるのだ。そら、お前の不幸が来たぞと言わんばかりに、私の前に訪れる。
パカリと口を開けて、嘲笑われている気さえするのだ。実際、今回の件はそうなのだろう。彼らは、彼らにとって人の命とはこんなにも軽い。こんなにも、無価値。
自らの欲に忠実な者は、その糸を切ることに躊躇いがない。
まるで死神のようにカマをもって、盛大に切り捨てていく。自分たち以外に何も価値がないというように————
その知らせが来たのは、ラステアで過ごしてから一月半ほど経った頃。
余程急いできたのだろう。クリフィード領からラステア国まで早馬で駆けてきた騎士たちは、王城に着くころにはフラフラの状態だったらしい。
そんな状態では体が持たないとひとまず休むように留め置かれたが、それでも早く会わねばならないと聞かず、ランカナ様と私への謁見を望んだ。
私はその日ちょうど外の魔力過多の畑をカーバニル先生たちと見に行っており、一気に慌ただしくなった王城のことなど知らずに過ごしていた。
そして王城からカッツェに乗ったコンラッド様が私を迎えにやってくると、直ぐに城に戻って欲しいと言われ、先生とお互いの顔を見合う。
「一体、何が起こったのかしら?」
「良い知らせじゃないのだけは確かねぇ……」
先生の言葉に私は眉間に皺を寄せる。そんな私の肩をポン、と叩きアリシアがひとまず戻りましょうと声をかけてきた。
アリシアの言葉に素直に頷き、この一月半で一人で乗れるようになった飛龍————ラスールの背に乗ると、コンラッド様と一緒に先に王城に戻る。
本当は部屋に戻って着替えてから謁見に立ち会うのが礼儀だが、今回はクリフィード侯爵家の騎士たちが疲労困憊なこともあり会うことを優先させた。
飛龍を預け、コンラッド様と一緒に長い回廊を歩いていく。
謁見の間に近づくにつれて、心臓の音がドクドクとうるさいぐらいになり始めた。なにがクリフィード領に起こったのだろう?
お父様への手紙にはクリフィード侯爵が悪いわけではないと書いたけれど、やはり王族を狙った犯人を逃した罪は重いと言われているのだろうか?
フィルタード派の貴族たちがクリフィード侯爵を追い落とそうと画策したとも考えられる。
フィルタード侯爵家と新興のカナン侯爵家。その二つをバックにしているのであれば、古い侯爵家を追い出し、自らがその地位に座ろうと考えてもおかしくはない。
殺すことに失敗した者たちですら、彼らにとっては自分たち以外を貶める材料になるのだ。もっと、作戦を練ってからお願いすればよかったかも……そんなことをいまさら考えても仕方ないのだが、それでも考えずにはいられない。
「ひめ……ルティア姫……ルティア姫!」
「え?あ、はい!」
「大丈夫ですか?」
「は、い……はい。大丈夫で、す?」
大丈夫、と答えようとして足元がふらりと揺らいだ。その瞬間にコンラッド様が体を支えてくれたので、転ぶことはなかったけれど。
考え事をしながら歩くのは良くないかもしれない……チラリと隣にいるコンラッド様を見上げれば、優しい眼差しが私を見下ろしていた。
「考え事をしながら歩くと危ないですよ?」
「そうですね。でも……」
「なにがあったのか、ですね?」
「はい。クリフィード侯爵に何かあったのではないかと思うと、胸の奥がザワザワするのです」
「ラステアまで早馬で駆けてくるくらいですからね。心配になるのはわかります」
そっと肩に手を置かれ、手を差し伸べられる。私はコンラッド様の手に自分の手を預け、一緒にランカナ様とクリフィード侯爵家の騎士たちが待つ謁見の間に入った。
***
足元から崩れ落ちる、とはこのことをいうのだろう。
「う、そ……」
「残念ながら……」
「だって、お元気だったわ。それにポーションだって……」
ポツリとこぼれた言葉に、クリフィード侯爵家の騎士たちは緩く首を振る。そして間に合わなかったのだと、力なく呟いた。
私たちがラステアへ旅立ってから、クリフィード侯爵はすぐさま王都へ向かいお父様に謁見を求めようとしたようだ。
その道中、ライルが私に渡したブローチから異変に気がつき、お父様の命令でクリフィード領へ向かう騎士たちと合流したらしい。侯爵は事のあらましを彼らに説明し、私がラステアへ無事に旅立ったことを告げ、彼らと共に王都へ向かった。
その途中で死んだのだと、クリフィード領に連絡が入ったのが侯爵が亡くなってから三週間後のこと。なぜそんなに間が空いたのか、と問えば土砂崩れに巻き込まれ救助に時間がかかったからだと説明されたそうだ。
救出された時には息をしておらず、防腐処理を施すためにもと他の巻き込まれた遺体と共に王都へ運ばれたらしい。
「王都から、クリフィード領へは確かに普通に旅程を組めば二週間かかる場所にあるけれど、それでも三週間後に訪れるのは遅すぎでは?」
「いろいろと、調査をしていたと……」
「調査?」
「……姫君を、害した者をみすみす逃した責を負って自害したのでは、と」
「そんなわけないわ!!」
思わず私は叫んでしまう。そんなことあるはずない!だって、だって……アレは私たちがシュルツ卿に頼んでやってもらったこと。
その事実を知っているクリフィード侯爵が自害なんてするわけない。それも他の人を巻き込むような方法をとるなんて!!絶対にありえない!!
「わ、我々も……我々もそう思います。そんな無責任なことをする方ではありません。侯爵様は、とても責任感のあるお方でしたから」
ほろり、と騎士の一人から涙がこぼれる。すると他の騎士たちも小さく嗚咽を漏らし始めた。
私も泣き出したい気持ちでいっぱいだけど、ここで一緒に泣くわけにはいかない。私は、涙をグッとこらえながらさらに質問を続ける。
「……亡骸は、今どこに?」
「侯爵様と騎士たちの亡骸は今、王都からクリフィード領へ移送中です」
「そう……」
「クリフィード侯爵には妾もよう世話になった。哀悼の意を表する。そなたたちは、わが国でしばし休むがよい」
「……はい」
騎士たちは小さく頷くと、文官たちに連れられ謁見の間を後にする。
私はまるで目の前が真っ暗になったような気持ちになった。これが、故意であるとしてもクリフィード侯爵が自らするなんてありえない。
巻き込まれたのはクリフィード領の騎士たちだけ。王都の騎士たちは難を逃れたらしいし、そこに作為的なものを感じる。そう簡単に王都の騎士たちだけ巻き込まれずに済むとは思えない。
少しの間、茫然自失としていると、視界の隅でランカナ様がヒラリと扇を振るのが見えた。
直ぐに部屋の中にいた官吏たちが部屋から消える。そして謁見の間には私とランカナ様、そしてコンラッド様の三人だけが残った。
ランカナ様は玉座から私の顔を見下ろすと、ツイ、と扇を私に向ける。
「ルティア姫、そなたはこのことをどう思う?」
「わた、しは……事故ではないと、思います」
「故意であると?」
「はい。でも、クリフィード侯爵が自らやったとは思えません」
「そうよの。侯爵は領の騎士たちが言うように責任感が強かった。自らの役目を放棄して自害なんぞするわけがない」
「では……フィルタード派の貴族が原因でしょうか?」
私はその問いにわからないと答えた。
責任を問われる立場のクリフィード侯爵を王都へ入れない理由がわからない。フィルタード派にとってみれば、侯爵の立場を蹴落とす機会になると思うのだ。
自分たちの有利性を捨ててまで、殺すことはありえるのだろうか?
「侯爵が、逃げた者から何かを聞いているかもしれぬ、と思ったかもしれぬのう」
「え?」
「何かを聞く前に犯人が逃亡した、と言われて心にやましいことのある者が信じるかえ?たとえ真実そうであったとしても」
「それは……」
「誰が何を聞いているかわからない。そして侯爵は急いで王都へ向かっていた。それ故に、殺害を試みたのやもしれぬな」
「そんなっ……!!」
「何が最大の利となるかは、実行した者でなくばわからぬものよ。それに侯爵の跡を継ぐ者はまだ若い。そちらの方が取り込みやすいと思われてるかもしれんな」
権謀術数とはそんなものよ、とランカナ様は呟く。
その為に大勢の人を死なせるのだろうか?死なせて、口封じをして、自分たちはまた高みの見物をするのだろうか?
「王都からクリフィード領へは二週間程度かかりますから、まだ侯爵や騎士たちの亡骸が領に届くまでには時間がかかりますね」
「そう、ですね……」
「ラステアからも侯爵の葬儀に使者を出そう。コンラッド、そなたが行くがよい」
「はい」
「ランカナ様……?」
王族が亡くなった時なら兎も角、侯爵が亡くなったというだけで王弟を派遣するなんて普通はない。いくらお世話になった人でも、だ。それなのにランカナ様はコンラッド様に使者になれという。
「これでも多少は役に立つ。おつかい」
「でも……」
「姫よ、そなたはまだ幼い。幼く、悪意に晒されることに慣れておらぬ。そなたがラステアへ行くことを優先させたのをよく思わぬ者もいるかもしれん」
「でも、それは!私が考えて決めたことです」
「そうよ。トラットへ行くことより、ラステアを選んだ。なれば妾はその意思に報うだけよ」
ランカナ様は優しく笑うと、クリフィード領の騎士たちと共に戻るとよいと言ってくれた。
「いいえ。私はまだ、この国でやるべきことがあります。それはクリフィード領のためにもなることです。彼らと共に戻るわけには……」
「なに、ラスールも一緒に連れて行くといい。そうすれば葬儀に出た後でこちらに戻るもよし、そのまま王城へ戻るもよし」
その言葉に私が小さく頷くと、コンラッド様が首を振る。
「ルティア姫、一度王都へ秘密裏に戻られた方がいいかもしれませんよ?」
「コンラッド様……」
「手紙をクリフィード侯爵に託した、と言っていたでしょう?」
手紙、と言われてハッとする。直接的なことは書かないように、とクリフィード侯爵にいわれていたから書いてはいないが……それでも、あの手紙がフィルタード派の目に触れたと考えるべきだ。
クリフィード侯爵と私が懇意にしていると取れる内容。フィルタード派にとってみれば侯爵家の一つが三番目である私に付いたように見えるかもしれない。
「お父様に、手紙が渡ったか確認する必要がありますね」
「ええ。クリフィード侯爵がルティア姫に付いたと見るでしょうし、次のクリフィード侯爵は狙われるでしょうね」
「派閥に取り込もうと?」
「派閥に取り込み、姫を監視するように言うかもしれぬの」
「それが無理なら————また、手を出してくるかもしれません」
可能性を考えだしたらきりがないが、クリフィード領よりも離れた場所にいる私たちにはあらゆる可能性を考える必要がある。
残念ながら、侯爵の死を悲しんでいる時間はあまり残されていないのだ。
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