第117話 悲しみが訪れるとき 2

 ランカナ様とコンラッド様はまだ話し合うことがあるらしく、私はラステア国で充てがわれている部屋に一人戻る。


 ファティシアの離宮にある部屋とは違い、蒸し暑い日を考慮された風通しの良い部屋。中の調度品は、ファティシアの自室と全く違う。それでも、この1ヶ月半ほどで慣れ親しんだ部屋だ。


 その部屋の中にある、衝立で隠れているベッドまでトボトボ歩き、そのまま倒れ込む。まだ実感がないのは、直接この目で遺体を見ていないからか?それとも信じたくないからだろうか?


 親しい人の死は、お母様以来かもしれない。もっとも、お母様の時は幼すぎて、その別れを死であると認識することはできなかったけれど。


 クリフィード侯爵は、どうして死んでしまったのだろう?

 殺す理由は何?

 どうして?どうして……?


 何度繰り返しても答えは出ないし、返ってくることもない。それはそうだ。私には簡単に人の命を奪う人の考えなんてさっぱりわからないし、わかりたいとも思わない。


「……ルティア様、如何されました?」

「……ユリアナ、リーナ」


 衝立の影から伺うように、ユリアナとリーナがこちらを見ている。二人の顔を見た瞬間、私の目からポロリと涙が溢れてきた。


「姫様?」

「ルティア様!?」

「ど、どうしよう……!!」

「どうされたのです?」

「ユリアナっ……!!クリフィード侯爵が……」

「侯爵様が、どうかされたのですか?」


 ボロボロと泣きながら話す私に、ユリアナが根気強く話を聞き出す。

 私は侯爵が亡くなったこと、それが事故や自殺ではなく、殺されたのではないかと思っていることを伝えた。


「それは……まだ何が起こったかは把握できていない、ということですね?」

「そう、そうね……本当に殺されたのかもわからないわ。事故って可能性もゼロではないもの……」


 グスグスと涙を手のひらで拭い、鼻水をすすりながらそう答える。

 例えどんなに低い可能性でも、可能性がゼロではない限り殺された、と確定するのも危険な考えだろう。絶対的なものはないのだ。目の前で殺された場面を見ていない限り、全て推測の域を出ない。


「ひとまず、皆様に情報を共有しましょう。そして国へ一度戻るかも、その時に考えましょう」

「私、戻るわ……」

「いいえ。ルティア様お一人で決めてはいけません」

「どうして?だって、私は……」

「例えどんなに理由があろうとも、今のルティア様は視野が狭くなっております。それでは相手の思うツボですよ」


 視野が狭くなっている、と指摘され私は口籠る。

 相手が私の性格を理解した上で、罠を仕掛けていたら……私はノコノコと罠にかかりに行くようなものだろう。


「でも、悔しい……私、何もできないんだわ」

「何かを成し遂げる、と言うのは難しいものです。簡単にできることなら誰しも努力なんてしませんよ」

「もっと努力が必要ってこと?」

「そうですね。戦うための力は何も純粋な力だけではありません。知恵も立派な力です。そして、人を味方につけることも」

「————私に、できることはまだあるのね?」

「もちろんです。ルティア様にしかできないことは、この先もきっとたくさん出てくるでしょう。その時に求められる判断をするのは簡単ではないかも知れません」


 ユリアナがジッと私の瞳を見る。

 他から顧みられることのない三番目。それが私の今の立ち位置。そんな私でも、私にしかできないことはあるという。


「私は、私にしか出来ないことなんてないと思ってる。でも、きっと私が動くことで変わることもあると信じたい」

「ええ。その通りです」

「……リーナ、みんなを集めてちょうだい。話し合わないと。ファティシアに戻るにしても、ちゃんと話し合って決めないとダメだわ」

「承知いたしました」


 スッと頭を下げて、リーナが部屋から出ていく。私はユリアナから渡されたタオルを受け取ると、涙でグシャグシャになった顔にあてる。

 泣いて、泣いて、泣いて……それでも立ち止まるわけにはいかない。ここで思考を止めて、何もしないまま蹲るのは楽だろうけど。それはきっと許されないし、そんな自分を許したくもない。


 タオルから顔をあげ、両手でパチンと自分の頬を叩く。


 私の命は、私を助けてくれた人達のおかげでここにある。

 それを忘れない為にも、私は立ち止まらない。蹲るわけにはいかない。




 ***


 私の部屋に、カーバニル先生、アリシア、シャンテが集まる。

 クリフィード領の騎士達がもたらした知らせを三人に話し終えると、みんなの顔を見回した。


「なんてこと……」


 先生は椅子に寄りかかりながら、はあ、と大きなため息を吐く。アリシアとシャンテは青ざめた顔をして、私と先生の間で視線を彷徨わせている。


「ランカナ様が葬儀にコンラッド様を派遣すると仰ってるの。だから私も一度、一緒にファティシアに戻ろうと思ってる」


 素直な気持ちを告げれば、先生は少し難しい表情を浮かべた。そして、トン、トン、と数回テーブルを指で叩く。


「……一つ、聞いてもいいかしら?」

「……はい」


 先生は口元に手を当てて、戻る手段に飛龍を使うつもりかと聞いてきた。私はその問いに頷く。

 ファティシアの周辺国で空路を使っているのはラステア国のみ。言い換えれば、陸路よりも空路の方が早い上に安全なのだ。葬儀に参列し、密かに王都へ戻る。そしてお父様に侯爵からの手紙を見たかを確認しなければならない。


 それらを説明すると、先生は片手で顔を覆いまたしても深いため息を吐く。


「正直な気持ちを言ってもいい?」

「もちろんです」

「アタシは、アナタにファティシアに戻って欲しくないわね」

「それは、どうしてですか?」

「これは可能性の話だけど……侯爵の手紙が、フィルタード派の手に渡ったか、もしくは見られた、と仮定するじゃない?そうすると、アナタには立派な後ろ盾ができた、と見做される」

「でも……後ろ盾になってくれる侯爵は亡くなってますよ?」


 アリシアがポツリとこぼす。


 もしも、クリフィード侯爵が生きていたら————私に王位を狙うつもりはないけれど、いずれは後ろ盾と見做されたかもしれない。

 ラステアへ行くために通る場所ではあるけれど、何度も行き来すれば交流が頻繁に生まれる。それはフィルタード派にとってみれば、あまり嬉しい交流ではないだろう。


 クリフィード侯爵は実直で、民を思いやる、とても良い方だ。フィルタード派の貴族とは考えが合わないはず。

 そして私の王城内での立ち位置や、これまでの境遇を知れば……いくら普段は中立を保っている侯爵家でも、後ろ盾になろうと考えるかもしれない。


 もしかしてそれが殺すに値する理由だろうか?


 まさか、と思いながらも、その程度の理由でも許せないのか?それとも、出る杭は予め抜いてしまうべき、と考えたのか……?と、考え込んでしまう。

 そんな私を眺めながら先生は侯爵が亡くなっても、フィラスタさんが私の後ろ盾になるだろうと言った。


 私はその言葉に驚いて目を丸くする。


「忘れたの?ライラ夫人を助けたのは誰?向こうにとってみれば死ぬかもしれなかった人を救ってくれたのよ?命の恩人を無碍に扱うわけないでしょう」

「それは……危険、では?」

「危険も危険よ」


 シャンテの言葉に先生が軽く手を振りながら答えた。


「で、でも!そしたら尚のこと、危険だって言いに行かないと!!」

「その危険だって場所にアナタがノコノコ現れたら相手の思うツボなわけよ」


 そう言われると言い返す言葉がない。現状のフィルタード派にとっての、私の立ち位置がどんなものになっているのか。それがわからない限りは、私がファティシアに戻るのはどうやっても危険なことに変わりはないからだ。

 そしてその危険な立場になるのは私だけとは限らない。フィラスタさんや、ライラさんにも危険が及ぶ可能性もある。


 クリフィード侯爵家の立ち位置。


 中立であれば、今までと変わらず。私の後ろ盾となれば命を狙われる。私の後ろ盾となることで命を狙われるのであれば、それは私の本意ではない。

 私は王位に就くつもりはないのだから。今の立場では歯痒いこともあるけれど、それでもこの立場だからこそできることもある。


「そしたら、どうすれば良いですか?私、このままじゃファティシアに戻れないじゃないですか」

「実際問題、アナタがファティシアに戻る時はそれなりに準備して戻らないといけないわね。それにラステアとの交渉とか諸々もまとめておかないといけないし」

「ラステアとの交渉は、まだ終わってないんですよね?」

「そうね。まだ終わってないわ」


 本来の目的を終えて帰るのであれば、葬儀には間に合わないだろう。できることなら葬儀に出たい。そしてフィラスタさんたちに警告と、私のことは気にせずに中立の立場を守って欲しいと告げねばならないのに。



「————一つ、姫様がファティシアに戻れる方法があります」



 それまで黙って私達の話を聞いていたリーナが、小さく手を上げて提案してくれた。その内容は、お互いに少なくない危険を孕むけれど……私の望みを叶えてくれる提案でもあった。





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