第110話 再会 1
ライルからもらったアジサイのブローチには、光の魔術式が入った魔石もあった。私はそれに少しだけ魔力を入れて、ユリアナと一緒にテントを設置する。
真っ黒なテントは暗い闇の中では、敵に見つかりにくいし、中の光も漏れない安心設計だ。ただし、自分達で設置するには明るいうちでないと見え辛い。
ちょっと設置に手間取ったけど、何とかテントを形にすると中に入る。マジックボックスから地面に直接敷くシートを取り出しユリアナに渡すと、ユリアナは手慣れた動作でシートを敷いてくれた。
それを敷いてもらっている間に、私はフカフカのラグを取り出す。これでそのまま座ってもお尻が痛くならないはずだ。
「あとこのラグを敷けば大丈夫ね。それに毛布もあるから」
「これはかなり快適な……」
「野生の龍が住む場所は、山の上の方なんですって。ラステアは温暖な場所だけど山の上は寒くなるって聞いてたから」
「確かに山の上でしたらある程度の装備は必要ですね」
ただし、姫様が直接用意する必要があるかと言われると悩むところですが……といわれて私はユリアナから視線を逸らす。
だって楽しみだったんだもの。
ラグを敷き、毛布を取り出すと、後はお茶が飲めるように小さなテーブルを設置する。その中央に炎の魔法石が組み込まれたコンロと小さなお鍋を用意すると、水の入ったボトルを取り出し、お鍋にうつす。
ティーポットとカップをテーブルに並べ、軽食用のドライフルーツの入ったケーキを準備すればちょっとしたおやつの時間だ。
「そうだ。先にポーションも飲んでね?さっき自分でも飲んだけど、これは大丈夫だから」
「ですが……」
「ユリアナもたくさん走ったでしょう?」
そういうとユリアナはポーションを受け取り飲んでくれた。
すぐにカーバニル先生や、クリフィード領の騎士達が探しに来てくれれば良いけれど、崖の下に落ちたわけだしそんなにすぐには見つけてもらえないだろう。
そうなるとなるべく体を休めないといけない。心臓はまだドキドキするし、眠れるかといわれると微妙だけど、それでも体を横にして休まないとダメなのだ。
いざという時に動けない方が困る……と、前にヒュース騎士団長が言っていた。もしも遭難したら、なるべく動かず、動くのであればちゃんと体が動けるように休む時は休んでください、って。
「あ、お湯沸いたわ」
「お茶をお淹れしますね」
「うん。お願い」
慣れた手つきでユリアナが紅茶を淹れてくれる。その香りにホッとしながらも、亡くなってしまった護衛騎士を思い出す。
私を殺すためだけに、彼は死んでしまった。もっと、もっと早く魔術式を展開できれば防げたのではないかと思えてならない。
「……姫様、お腹が空いていると良くないことばかり考えてしまうものです。食べて、お茶を飲んだら休みましょう」
「ユリアナ……でも、でもね……」
「魔力をどんなにたくさん持っていても、万能ではありません。聖属性の力があっても、です」
「それは、わかるわ。神様でもない限り、絶対なんてあり得ないもの」
「その通りです。それに神様だって間違える時はありますよ」
神様でも間違える時はある、といわれ私は首を傾げた。
「神様も完璧じゃないってこと?」
「その通りです。神様も完璧ではありません。もしも完璧ならば、人はもっと慈悲深く、欲など持たず、争いもないでしょう」
確かにそうかもしれない。暗君も生まれず、国同士の争いもない、誰かに命を狙われることもない世界があったはずだ。
「皆平等で、争いのない世界というのは理想論ですね。それではきっと、新しいものは生まれず、停滞し、ゆっくりと滅びていくだけでしょう」
「どうして?」
「向上心があるから、争いが生まれるわけです」
「……競い合うってこと?」
「ええ。国同士の争いや、領地を巡る争いは人々の生活に直結しますから……あまりいいことではありません。ですが、良いものを作ろうという時のライバルは得難いものですね?」
ユリアナにそういわれて私は頷く。
「神様はわざと不完全な人を作ったのかしら?」
「そうかもしれませんね」
私は紅茶の入ったカップを手に取る。カップから伝わる熱はジワリと私の冷えた両手を温めてくれた。
「さあ、こちらも召し上がってください。そしたら休みましょう?姫様も走り回ってお疲れでしょう?」
「うん……そうね」
「彼の騎士を思うのであれば、姫様が無事に皆と合流することです」
「……それだけで大丈夫なのかしら?」
「現状は、それが一番大事です。彼とて姫様に危険なことをしてもらいたいわけではありません」
確かにそうかもしれない。私が危険なことをすれば、周りにいる人たちも危険な目に合う。自由に動き回るにはそれなりに準備も必要なのだ。
————それでも、と思う。
彼はもう、大事な人を抱きしめることも、温かい紅茶を飲むことも、美味しい食事を食べることも何もできない。それだけがただ、悲しかった。
***
お腹の中が満たされて、体が温まるとやはり眠気はやってくるもので……私はいつの間にか眠ってしまった。
どのぐらい眠っていただろうか?ユリアナに肩を揺さぶられ起こされる。
「姫様、お目覚めを……!」
「……ユリアナ?」
「今はまだ夜です。そう簡単にこのテントは見つからないでしょうけれど、近くで複数の人の気配がします」
その言葉に一気に目が覚めた。
「もしかして、見つけに来てくれたのかしら?」
「それなら良いのですが……」
「まだ、敵がいたかもしれないってこと?」
「小規模の旅団とはいえ、八人も紛れ込ませていたのです。別の場所に更に控えさせていたとしてもおかしくはありません」
「物取りに見せかけるつもりだったみたいだし、他にも人を用意しててもおかしくないってこと?」
「ええ……いくら体がうまく動かなくても、八人だけでできることではありません。特にカーバニル様がいらっしゃいますし」
「先生?」
「ええ。あの方はとても優秀な方なのですよ」
確かに教え方はとても上手だし、優秀な先生なのはわかっていたけれど、普段の状態がアレなので何となく凄く見えない。
だってシャンテのお母様であるロックウェル魔術師団長と同じで、魔力や魔術式に関することには目の色を変えて研究するのだ。まるで実験動物にでもなったようで、ちょっと怖い。
「……あ、そうだ。ライルがくれたアジサイのブローチに救難信号が入った魔石があるの。それを発動すれば目眩しになるかな?」
「それは最後の手段にいたしましょう。今は何もしなければ相手から見つけられないはずです」
真っ黒なテントは相手が松明を持っていても見えづらいはずだ。念のため、ブローチに魔力を流しつつ、直ぐに対処できるようにする。
「————さまー!ルティア姫様ー!!」
「私を探してる……?」
「ええ。ですが……」
「そうよね。クリフィード領の騎士とは限らない」
もしかしたら彼らを装った敵かもしれない。崖に落ちたことを知っているのは、私たちを追いかけていた男たちだけのはず。
ユリアナがテントの隙間からそっと外を眺め、警戒している。本当に迎えに来てくれたのだろうか?それともまた敵なのだろうか?
そういえば、アリシアたちはどうなったのだろう?自分のことばかりですっかり忘れていたが、アリシアたちが敵の手に落ちたなんてことになったら大変だ。
「そういえば、アリシアたちは無事かしら?」
「あちらはカーバニル様が残られてますから大丈夫ですよ」
「本当?」
「ええ」
ユリアナは安心させるように頷く。それなら大丈夫だろうか?
「今は御身の無事を考えてください。逃げる準備をしましょう」
「うん。テント以外の荷物はマジックボックスに仕舞ってしまうわ」
「お願いいたします」
ユリアナに見張りを頼み、私は一度出したものをマジックボックスの中にしまっていく。全部仕舞い終わると、ユリアナの服を軽く引っ張った。
ザッ、ザッ、と足音が近づいてくる。
「……鎧、あの紋章はクリフィード領のもの……しかし、見つけるのが早いわ」
ボソリとユリアナが呟く。
確かに私たちの居場所を特定するには早い気がする。早く助けに来てくれたのなら嬉しいけれど、救難信号だけで崖の下まで探しにくるとは思えない。
「姫様、最大級の警戒を……」
「わかったわ」
私はギュッとアジサイのブローチを握りしめた。全部を確認したわけではないが、ライルがくれたこのブローチには色々な魔術式が入っている。きっとまた助けてくれるはずだ。
「……のはずです」
「しかし、見つからない」
「ですが……」
誰かがボソボソと話をしている。しかしその声はよく聞こえない。
心臓が早鐘のように鳴る。敵なのか、それとも味方か————!!
不意に、バサリと大きな羽音が上空で聞こえた。
「ルティア姫ーー!!ご無事かーー!!」
よく通る声。大きな羽音と重量のあるものが地面に着地する音もする。
「ルティア姫ーー!!」
この声は、声の主は……!!私のよく知っている人の声。
じわりと涙が溢れてくる。どうしてここにいるのだろう?まだ会うのは先だったはずなのに。色々な感情が溢れて、思わず私は叫んでしまう。
「っ……!!コンラッド様!!」
「姫様っ!」
思わず名前を呼んでしまい、ユリアナが私の口を塞ぐと焦ったように外を見た。そして、直ぐに私を見ると小さく頷く。
「ラステアの龍騎士隊です」
「ラステア、の……?」
テントの中から飛び出ると、辺りには松明を持ったラステアの龍騎士隊と、クリフィード領の騎士たち、それにリーナがいた。
「ルティア姫!」
突如現れた私にコンラッド様は驚いた顔を見せる。私は思わず駆け寄ると、そのままリーナに抱きついた。
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