第107話 波乱の予感 2
真っ暗な森の中、頼るものは月明かりのみ。息を殺すことすらできずに私は走り続けている。
後ろからはまだ、複数の人の声と気配がした————
「ほんっと、しつっこい!!」
私を殺すことで、何かが有利に働くのだろうか?心当たりは全くないが……いや、いるだけで目障りとかいわれたらもう仕方がない。仕方なくはないけど。
それでも私は死ぬわけにはいかないし、彼らの思惑通りになるのも癪に触る。
「せんせ、たち……無事かな。アリシア、シャンテも……」
リーナやユリアナも心配だ。私が走りだしたことで、彼らは私に着いてきたけれど、全員着いてきている保証はない。
誰かが残って、みんなに危害を加える可能性もある。カーバニル先生が、直ぐに動けているといいのだけど……
それに迎えにきて、とはいったけど本当に迎えにきてもらえるかな?一抹の不安が心の中を過ぎる。今の状態で直ぐに迎えにきてもらうのは、きっと難しいだろうし……
考えごとをしながら走っていたせいか、ガクン、と何かに足を取られた。その反動でふわりと体が浮き、勢いよく地面に転がる。
「っっっ〜〜〜〜〜!!」
なんとか悲鳴をあげるのを我慢できたが、膝がものすごく痛い。
私は体を起こすと、辺りの気配を探る。何かが動く気配も、影もない。木の影に隠れて、ウエストにつけていたマジックボックスの中から初級ポーションを取り出す。
これは自分で持ち込んだもの。流石にそこまでは彼らの手も入っていないはず。
このマジックボックスは常に私が身につけていたものだし。
「もしも、毒だった時は……自分で治せばいいのよ。うん」
聖属性の魔術式は目立つからあまり使いたくはない。彼らを引き寄せてしまうだろうし。でも、もしもの時は……仕方ない。見つかるかもしれないが、死ぬよりマシだ。
恐る恐る、膝の傷にポーションをかける。ポーションはいつもと同じように、スッと傷を消していった。しばらく様子を見ていたが、体調に問題もない。
残りは飲んでしまおう、とポーションを煽る。これで少しは体力も回復したはず。
ガサリ、と近くで葉の擦れる音がした。
追手か、それともこの森に住む魔物か?
息を殺して、相手の出方を待つ。
「おい!見つかったか!?」
「まだだ……クソッ!どこいった!!」
「だから最初から毒で殺しておけば良かったんだ。下手に手の込んだことするからこんなことに……」
「仕方ねえだろ!あちらさんが切り刻めっていったんだから!!」
切り刻めとは随分な依頼だ。そんなにも私は恨みを買っていた、ということだろうか?そこまで恨まれるようなことはしていないのだけど、価値観と見解の相違というものかもしれない。
価値観の違いというのはとても大きいのだ。あの立派な縦ロールをした伯爵令嬢のように、長年刷り込まれた価値観を変えるのは難しい。
いやしかし、それでも腹は立つ。
私一人を殺すために、あの護衛騎士は犠牲になったというのか!!人の命をなんだと思っているのだろう!?
あまりにも腹が立って、怒りを抑えるために服の胸元をギュッと掴む。ふと、手に触れる物に気がついた。それは何だか熱を帯びていて、思わず首を傾げる。
そこに付けているのは、ライルからもらったアジサイのブローチ。花の一つ一つに小さな石が……石、そうだ石!
慌てて服を引っ張りブローチを見る。そしてそっと魔力を流すと、私の魔力に反応を示した。
「これ……全部ませ、き……?」
「ああ————こんなところにいたのですね?姫様」
猫撫で声、とでもいうのだろうか?ゾワリとする声が近くで聞こえた。顔を上げると、さっきまで共に旅をしていた護衛騎士の一人がニタリと笑っている。
怖い。怖いけれど、こんな奴らに怯えた姿なんて見せてなるものか!
私は、不敵に笑う。
「あら、未だに私を殺せない
「なんだとっ!!」
「誰に頼まれたか知らないけど、そう簡単に私を殺せるなんて思わないことね」
「はっ!ガキ一人に何ができるっっ!!」
「いいから早く殺っちまえ!!」
彼らの殺気が一気に私へと向く。私は目をギュッと閉じると、ライルからもらったアジサイのブローチにありったけの魔力を流し込んだ。
目を閉じていてもわかるほど、辺りは昼間よりも明るい光に包まれる。そして、救難信号が空へと打ち上がった。それも幾つも。
そして私の体を温かい空気が包む。
「通りで、眠そうな顔していたのね……」
小さく笑うと、私はまた駆け出した。彼らの目が回復するには時間がかかる。回復するまでの間に、距離を稼いで逃げなければいけない。
それに、これだけ派手に救難信号が上がったのなら、クリフィード侯爵領の騎士たちが異変に気がつくはずだ。
闇雲に手を振り回していたのか、それとも近くにいすぎたからか……誰かが駆け出そうとした私の髪を掴む。
「いっ……!!」
「にが、すかっっ……!!ギャッ!!」
悲鳴が聞こえると、掴まれていた髪から手が離れた。振り返ると、私の髪を掴んだであろう男の腕に深々とナイフが刺さっている。
しかし誰が投げたかなんて確認している暇はない。走らなければいけないのだ。
私はまた駆け出した。
走って、走って、誰かが後ろから追いかけてくる音に怯えながら走り続ける。
走りながらブローチに手を伸ばし、他にどんな魔術式が入れられているのか確認していると、急に開けた場所に出た。
「え、嘘っ————!!」
「姫様っ!!」
聞き覚えのある声。柔らかな手が私の手を掴んだ。
でも、遅かったのだ。人間急には止まれない。私は、いや、私たちは……崖の下へそのまま落ちていく。
ギュッと体を抱きしめられた。私を守ろうとしているのだ。それは私も同じ。このまま死んだりなんてしない!
アジサイのブローチに魔力を注ぎ込むと、ブワッと水の膜が私たちを包む。崖の下に落ちることは止められないが、この魔術式が私たちを傷つけないことは五年に身をもって知っている。
『姫、様……!!』
『大丈夫よ、ユリアナ!これはね、すらいむの魔術式なの!』
そういって私を守ろうとしてくれたユリアナに笑いかけた。私を追いかけてきてくれていたのはユリアナだったのだ。
崖の下まで辿り着くと、ボヨン、ボヨン、と私たちを包むすらいむは跳ねる。あの時からだいぶ改良されて、使い勝手が良くなったすらいむの魔術式。
それを入れておいてくれたライルには感謝しなければいけない。遭難前提で魔石に魔術式を入れていたのは、少しだけいただけないが……
————暗い谷の底。
月明かりが落ちてきた崖との距離を教えてくれる。随分と深い所まで落ちてきたみたいだ。魔物でも出てきそうでちょっと怖い。
でもずっとすらいむの魔術式を使い続けるわけにもいかず、私は魔力を注ぎ込むのを止める。長期戦になった時、魔力を使えないと困るからだ。
それから、私はユリアナの顔を見上げた。ユリアナは泣きそうな顔で私を見ている。
「ユリアナ、探しにきてくれてありがとう」
「姫様……申し訳ございません。姫様を危険な目に合わせてしまって」
「仕方ないわ。相手が巧妙だったのだもの。それよりも、他のみんなは?」
「姫様のお陰でみな無事です」
「そう、それなら良かった」
みんなが無事と聞いてホッと胸を撫で下ろす。これであとはクリフィード侯爵領から助けが来るのを待つだけだ。
朝になったら、もう一度救難信号を上げてみるのもいいかもしれない。
「……ライルにはお城に戻ったらお礼をいわなきゃ」
「ライル殿下、ですか?」
「そう。さっきの光も救難信号もライルがくれたブローチのおかげなの」
そういって私は胸元に付けていたブローチを外す。小さな花の一つ一つ、その中心に小さな魔石が嵌め込まれている。それら全てに魔術式が入れられていた。
こんなにたくさんの魔石に魔術式を入れるのはとても大変だっただろう。普通の宝石よりも、魔術式を入れるのに魔力をたくさん使うのに……
「でも……ライルったら、私が遭難するって思ったのね」
「姫様の普段の行動をよく見ておられますね」
「そんなに遭難するようなことしてないわよ?」
「遭難しそうだ、とお感じになられるぐらいには姫様の行動が予測できないと思われたのでしょうね」
「そうかしら?」
少しだけ口を尖らせると、ユリアナは小さく笑う。
「ね、もう追って来ないかしら?」
「裏切り者は全部で八人いました。あの場にいたのは四人……あそこにいた者はリーナがどうにかしたでしょうけど、残りの四人はまだわかりません」
「……そんなにいたのね」
「フィルタード侯爵家に手を貸す貴族は多いです。同じ侯爵家のカナン家ですら、フィルタード派ですから」
「本当に厄介な人たちね」
きっと、彼らを全員捕まえて主犯を聞き出そうとしても喋りはしないだろう。その前に殺されてしまうかもしれない。五年前の騎士たちのように……
「ひとまず、ここは見つかりそうにないし……少し休みましょう?」
「そうですね。流石に崖の下までは来ないでしょう」
「ここに落ちるってことは、死んでるって思われるものね」
私はウエストに付けているマジックボックスの中から、テントを取り出す。私とユリアナだけなら余裕で休める。
「……姫様、なぜテントが?」
「えーっとね、ラステアに着いたらに龍たちの住む場所を見せてもらおうと思ってて……」
「それで持ってきていたと?」
「実は、そうなの……だ、だって!今回は長めにいられるから、そしたら龍たちともっと仲良くなれないかなって!!」
「姫様……いえ、今は何もいいません。姫様がテントを持ってきてくださったお陰で、雨露をしのぐことができるのですし」
「ええっと……ご飯もあるわよ?お菓子とか……」
怒られる前に正直に告げると、それは大変良いことを聞きました、とユリアナは笑ってくれた。
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