第106話 波乱の予感 1


 朝日が登りはじめた早朝————


 前日から城に泊まりこんでいた、アリシアとシャンテ、そしてカーバニル先生と一緒に私は馬車に乗り込んだ。


 今回は輸出品目の見直しになる為、外務省だけでなく農作物を扱う農務省からも人が派遣されることになった。

 ラステア国に行く時は小規模な旅団で行くけれど、今回は人が増えたこともありいつもより馬車の数も多い。中規模とまではいかないけど、それなりの部隊ができあがっている。


「ルティア、大丈夫だと思うが……気をつけて行ってくるんだよ?」


 私は窓から顔を覗かせて、見送りに来てくれたロイ兄様を見た。


「大丈夫よ、兄様。心配しないで!」

「姫さんは平気でもアリシア嬢やシャンテ坊ちゃんが平気じゃないでしょうよ」

「へ!?わ、私たちですか??」

「私たちはそんなに危ない真似はしませんし」

「そりゃあ、お二人はね。でも姫さんがしたら止められないでしょう?なーにするかわかんないんですから……」


 ロビンの言葉にアリシアとシャンテがお互いの顔を見合わせる。そして揃って私の顔を見た。


「姫様……大丈夫ですよね?」

「ルティア様……」

「何もなければ私だって何もしないわよ!」

「何もないと良いわよねえ〜」

「カーバニル先生までそんなこと言わないで!!」

「ま、大丈夫よ。護衛騎士も強いし、他も大体顔見知りだしね。後はアンタが何もしなければ平気よ?」


 私の隣に座っているカーバニル先生はそういいながら笑う。私だって何もなければ何もしない。……たぶん。目の前で困っている人がいたらちょっとわからないけど。いや、困っている度合いにもよるが!


「元気すぎるのも考えもんですからね?たまには大人しく、ラステアまで行ってください」

「……いつも大人しく行ってるもん」

「寄り道とかしないでくださいってことですよ」

「わかってるわ。今回は早くファティシアから出ないといけないもの」


 そういうと、ロイ兄様は苦笑いをする。ちゃんとわかってるわよ?と私は唇を尖らせた。

 ロビンは私の言葉を聞くと後ろの馬車に移動して、リーナに話しかけている。そして何かを手渡し、リーナにひらりと手を振るとこちらに戻ってきた。何を手渡したのかとても気になる。


「リーナに何を渡したの?」

「まあ、色々です。色々」

「色々?」

「従者ですからね」

「ふーん?」


 従者同士何かあるのだろうか?すると、城の方からライルがアッシュと一緒に走ってきた。たまにしか見送りに来てくれないし、今回は朝も早いから来ないと思っていたのに……


 ライルは私の顔を見ると、少しホッとした表情を見せる。


「よかった、間に合いましたね」


 アッシュの言葉に私は窓から身を乗りだす。


「ライル!朝早いのに珍しいわね?」

「俺だってたまには見送りに来る」

「朝早いと来ないじゃない」

「それは、まあ……そんな時もある。でも、今回は……」


 歯切れの悪い言い方に首を傾げると、ライルは私に手を出せ、といってきた。いわれて手を出すと、手のひらにブローチが一つ置かれる。

 小さな花の集合体。その花の中央に一つ一つ小さな石がはまっていた。


「……アジサイ?」

「ああ」

「とっても可愛いわ!ありがとう、ライル」

「ま、たまにはな。それより、気をつけて行ってこいよ?」

「ええ、もちろん!ロビンにも釘を刺されたわ。寄り道しないように!って」

「寄り道ぐらいならまだ良いけどさ……」

「いや、良くないですからね!?」


 ロビンに突っ込まれて、ライルはポリポリと頬をかく。


「大丈夫よ!寄り道はしない!」

「……そうだな。それにシャンテやアリシア嬢もいるし平気だろ」

「そんなことより、私がいない間の畑のお世話をお願いね?ライルも忙しいとは思うけど……」

「ベルもいるし、大丈夫だろ」

「うーん……でもサトウキビもあるし」

「それこそベルの出番だ。俺たちじゃ手伝いぐらいしかできない」

「手伝うだけでもきっと助かるわ」


 私の言葉にライルは小さく頷く。そしてライルが何か言おうと口を開いた時、時間になったのか「出立っ!」と号令がかかった。


「それじゃあ、行ってきます!」


 みんなに気をつけて、と言われその言葉に頷くと馬車の窓を閉める。するとゆっくりと馬車が動き出した。

 いつもより、危険が伴うかもしれない。それはわかっている。

 でも不安な顔を見せてはいけないのだ。



 私は————絶対に無事に帰ってくるのだから!!









 ***




 旅路は順調だった。



 だった、—————つまり過去形だ。







 私は今、月明かりだけを頼りに森の中を逃げている。誰かに追われているからだ。その誰か、は見知った人で……にこりと笑いながら、私たちに牙を剥く。


 彼らは実に巧妙に旅団に紛れ込んでいた。本当に、直ぐ側に。


 騎士団に所属していた人もいたし、野営をする時に料理を作ってくれる人もいた。もちろん、外務省、農務省の中にも。


 クリフィード侯爵領に入る手前の森の中、私は全力で逃げている。本当ならその日中にクリフィード侯爵領に入れたのだが、馬車の車輪が故障して取り替えに時間がかかったのだ。


 思えばここから既に仕組まれていたのだろう。


 野営する予定ではなかったが、これではクリフィード侯爵領に辿り着くのは深夜になる。そうすると宿を探すのも大変だからと野営することになった。


 何度目かの野営。みんな手慣れた手つきで準備をし、食事をとって休むことになった。明日は宿のベッドでゆっくり休めるね、とアリシアたちと話しながら。

 いつもと変わらない明日が来ると思っていた。それほどまでに旅路は順調だったのだ。


 最初の異変は護衛騎士の一人が目眩がすると訴えてきたことだった。


 旅団全体をまとめている騎士が、目眩ぐらいでたるんでいる、と彼を咎めたので止めに入る。体調不良は気合いでどうにかなるものでもないからだ。それになんだか顔色も悪い。


 騎士という職業柄、王都からずっと気を張って過ごしている。もう一息でクリフィード侯爵領に辿り着けたのに野営になり、きっと溜まっていた疲れがでたのだろう、と持ち込んでいた初級ポーションを彼に渡すようにいった。


 彼は申し訳なさそうな顔をしたが、そのためのポーションなんだから気にしないで欲しいと告げる。騎士は体力仕事。明日に疲れを残してはダメだと。


 彼は私に深々と頭を下げると、そのまま受け取ったポーションを飲み干す。

 すると急に喉元を抑え、口からガバリと血を吐きだし、————そのまま絶命した。あっという間の出来事に私はなす術もない。


 目の前で起こったことなのに、私は現実を受け入れることすらできなかった。ふらりと、彼の体に近寄り、触れる。まだ、温かい。温もりはハッキリと残っている。


「どう、して……!?」

「ルティア姫!薬の瓶を貸して!!」


 異変に気がついたカーバニル先生に言われ、私は震える手で彼が持っていた瓶を先生に渡す。先生は瓶の匂いを嗅ぐと、眉間に皺を寄せた。


「……毒ね」

「……え?」

「持ってきているポーションを全部確認して!」


 先生の鋭い声に、ゆらりと数人が立ち上がる。しかしそれはポーションの中身を確認するためじゃなかった。

 ドサリ、と近くで旅団をまとめていた騎士が倒れる音。一体何が起こったのか……?


 尋常ではない事態に、彼らはにこりと笑った。


 王都からここまで一緒に旅をしてきた仲間が死んだのに、笑った。そして死んだ護衛騎士の横に立つと、つま先でその亡骸を蹴る。


 まるで本当に死んだのか確認するかのように。


「ああ、よく効く薬ですね」

「なにを……言っているの?」


 彼らの言葉の意味を図りかね、私は彼らに問う。すると急に目眩が私の体を襲った。

 グラリと傾ぐ体を先生が咄嗟に支えてくれたおかげで、地面に激突することは避けられたが、先生の体もなんだかグラグラしている。


「アンタたちっ、なにを混ぜたの!?」

「ええ、少し、身動きができなくなる薬です。ほら、賊に襲われたように見えないと不味いでしょう?」

「……何を言っているのか、わかってるの?」

「ええ、もちろん。役に立たない姫君が一人、死んだところで何も悪くはなりませんよ。侯爵家の令嬢も、伯爵家の嫡男も、代わりはいます」

「役に立たないですって!?ポーションがあるのは誰のおかげだと思っているのよ!食料だって、アンタたちが何不自由なく生活できるのはっっ!!」


 先生は彼らを怒鳴りつけたが、そのせいで目眩が酷くなったのか、地面に膝を付いてしまった。

 周りを見れば、彼ら以外の護衛騎士や文官、侍女たち、それにシャンテやアリシアも地面に倒れ伏せている。



 ————このままでは本当に全員殺されてしまう。



「先生、先生……私が、引きつけるからっ……!!」

「アンタ、なに言ってるの!」

「すぐにみんなを治すから、そしたら私は森の中を逃げるから……きっと、きっと助けにきてね」


 小さな声でそう呟く。だって、この中で聖属性の力が使えるのは私だけ。例えフィルタード派にそれがバレたとしても、このまま何もしないで殺されるよりずっといい。


 流石に彼らだけで治った人たちを全員殺すことは難しいだろう。もっとも、他に賊がいなければの話だが……


 それに馬で駆ければ、クリフィード侯爵領は直ぐそこだ。あそこならば私たちを助けてくれる。


 私はそこまで考えてから地面に手を当てると、広範囲の魔術式を展開させた。


 ピカリと眩い光が辺りを照らす。白い花が地面に倒れたみんなと私の体を包み、毒から癒していく。私は自分の体が動けるようになると、森の奥に向かって走り出した。


 後ろから誰かが叫んでいる声が聞こえる。でも振り返る余裕はない。



「絶っっ対……捕まってやるもんですかっっ!!」



 放置された、三番目。


 それは何も悪いことばかりではない。だって、私はこの森の中でも走っていけるだけの体力がある。普通のお姫様にはできないことだ。

 ガサガサと後ろから誰かが追いかけてくる音がするが、止まってやるつもりはない。このままどこかやり過ごせる場所を探さなければ……!!




 走って、走って、走って————




 木々の影から見える月明かりだけを頼りに、私は森の中を走り続けた。

 立ち止まるわけには、いかないのだ。

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