第105話 急げや急げ!

 ひとまず、明日の夕方か明後日の朝までには出立することになった。


 急がないといけないらしい。

 いや、急ぐ理由はもちろんわかっている。わかっているが、そんなに簡単に準備できるものなのだろうか?


 少数精鋭とはいえ、一緒に行くのは私だけでなく侯爵令嬢のアリシアに、将来有望視されているシャンテもいるのだ。

 準備不足で何かあっては困る。


「うーん……本当に大丈夫かしら?」

「陛下がヒュース騎士団長に依頼して、選りすぐりの騎士をつけてくださるとのことでしたが……?」

「でもね、前に事故にあった時だって選りすぐりの騎士たちがいたのよ」


 私は五年前の事件を思い出す。

 あの時だって、一緒にいた騎士たちはお父様を守るために精鋭が選ばれていた。それなのに事故は起きたのだ。アレを事故、と判じて良いのか悩むところだけれど……行方不明の騎士は死んでいたわけだし。


「しかし、今回はあまり選定に時間もかけられませんから」

「それはわかるんだけどね。念のため、カーバニル先生にもお願いして魔法石を多めに持っていってもらおうかな」

「それが良いかもしれませんね。私とリーナも準備万端にしてお供させていただきます」

「うん。お願いね」


 お願いとはいったものの、リーナはともかく、ユリアナが準備するものとは何だろう?リーナは従者だから、体術やら剣術やらと訓練しているのは知っているが、ユリアナは普通の侍女なのだ。


 そう。普通の侍女、の、はず……


 軽く首を傾げつつ、ユリアナの後ろ姿を見送り、私は自分のベッドにポテッと寝転ぶ。


 このまま何事もなく、ラステアに行ければいい。だけど、あのフィルタード侯爵が横槍を入れずにすんなりと送り出すとも思えないのだ。

 きっと私たちがラステアに行くことは既に知られているだろう。トラット帝国からの使者が来ることを考えれば、どうしたって引き止めておきたいはず。


 騎士の人選を邪魔するとか、馬車を故障させておくとかの間接的な邪魔から、直接王城に乗り込んでくることだって考えられる。

 それ以外にも、道中で邪魔してくるとかもあるかもしれない。その場合はとても危険な目に遭うだろう。


「ううーん……決定的な何かをしてくれれば良いけど、その何か、に他の人が巻き込まれるのは困るのよね」


 アリシアもシャンテも大事な友達だし、リーナやユリアナ、それにカーバニル先生や騎士たちも巻き込みたくはない。

 でも何かあった時のために目撃者も必要なわけで、私一人だけでどうにかできる問題でもないのだ。


 ずっと八方塞がりで、本当に早く何とかしたい問題だけど……


「お父様たちさえ簡単に尻尾を掴めないのに、私に掴めるわけもないかあ」


 本当に悔しいけど、フィルタード侯爵家はそういったことが得意なのだろう。貴族間の繋がりも幅広いし、暗躍するのであればそれ相応の人間も知っているのかも知れない。


 ベッドの上をゴロゴロと転がりながら、私は深いため息を吐く。

 ラステアに迷惑をかけることがないといいな、と悩みながらいつの間にか眠りに落ちていた。









 ***



 朝になり、いつものようにユリアナに手伝ってもらいながら身支度をする。


「……そういえば、また学校を休むことになるわね」

「まあ、今回ばかりは仕方ないかと」

「向こうに行っても勉強はしないといけないわね。アリシアとシャンテに頼まないとダメだわ……一人じゃめげそう」

「カーバニル様も行かれるのですし、直接講義を頼まれては?」

「魔術式は良いけど、経済学とか専門外の学科は難しいんじゃないかな」

「アカデミーを大変優秀な成績で卒業されてますし、大丈夫ではないでしょうか?」


 ユリアナにいわれ、私はうーんと唸り首を捻った。

 カーバニル先生は……こう、ロックウェル魔術師団長と同じ感じがする。一点突破な知識量で他をカバーみたいな?いや、それでも魔術式研究機関で責任ある立場だし、教えるのも上手いのだから平気だろうか?


「念のため聞いてみる。無理そうなら、アリシアとシャンテに頼むわ」

「そうですね……ああ、でも、ラステアに行かれるのならコンラッド様に頼まれてはいかがでしょう?」

「コンラッド様に?」

「ええ、大変わかりやすかったとおっしゃってましたよね?」

「そうね。すごく教え方が上手だったわ」


 それならばお願いしてみては?とユリアナはいう。前回もうちの都合でお願いしたのに、今回も頼むのはどうなのだろうか?

 いやしかし、まだ習っていない部分を勉強するわけだし……と心の中が揺れる。


「————迷惑じゃなかったら、頼もうかな」

「それが良いかと」


 そういってユリアナはにこりと笑った。

 私は軽くため息を吐くと、朝食をとりに部屋を出る。



 それからは、目まぐるしくラステアへ行く準備をし、夕方には城を出られるだろうとなった時———来た。

 フィルタード侯爵が、取り巻きの貴族たちを引き連れてお父様の元へ乗り込んできたのだ。


 本当に耳が早い。


 私は執務室に同席を余儀なくされ、無駄な言い争いを聞く羽目になった。このままでは明日の朝に出立することになるだろう。


「陛下!トラット帝国からの使者が来るかもしれない時に、姫君をラステアへ向かわせるとは何事ですか!!」

「ラステアとの輸出品目の件で色々と詰めることがあるんだ」

「色々……ですか。それに姫君が必要だとでも?」

「向こうからの指名でね。ランカナ女王はルティアをとても気に入っているんだよ」

「いくら女王陛下からの指名でも、本来であれば外交官と輸出に携わる部署の人間が行くだけで問題はないはず!それなのに何故、この大事な時に!!」

「ラステアからの要請が先だったからだ」

「早いもの順ではないのですよ!!」

「早いもの順ではない。確かにそうだな。私はトラット帝国にルティアを送るよりも、ラステアにルティアを送った方が有益だと判断した」


 お父様はキッパリとフィルタード侯爵たちに言い放つ。

 トラットへ行くには危険が伴うが、ラステアに行くのは有益だ、と。それにフィルタード侯爵たちは猛反発した。


「何を仰います!姫君とトラット帝国の若き皇太子が結ばれれば、ファティシアにとっても有益になります!!」

「結ばれれば、というがあの国の国力は今落ちている。そして、疫病が流行り国民が疲弊しているにも関わらず、王侯貴族たちは見て見ぬフリをしていると聞いているが?」

「そ、それを!皇太子殿下が立て直そうと……!!」

「立て直すために、我が国の富が必要だと攻めてきたら何とする?」


 そこまでいわれると彼らも黙るしかない。トラット帝国がどうやって領土を拡大し、そして従属化した国に対してどんな扱いをしているか知っているからだ。

 子供よりも、大人の方がずっと現実を知っている。


「し、しかしですね!!」

「そんなにトラット帝国と繋がりを持ちたいのであれば、ああ、君には年頃の娘がいたな伯爵」

「え、そ、そうですが……」

「君の娘をトラット帝国へ送ろう」

「そそそ、そのような!!恐れ多いことにございます!!」


 フィルタード侯爵の背後にいたチョビ髭の伯爵の顔色は途端に真っ青になった。

 ……さっきまで、トラット帝国に私を送ることは有益だ何だといっておきながら、自分の娘は送りたくないとかどの口がいうのだろう?


「あら、恐れ多いんだなんて……三番目の私よりも、そちらの方が良いのでは?私よりも娘さんは歳が上でしょうし?殿下と釣り合いも取れるのではないですか?」


 思わず口から出てしまった。

 チョビ髭伯爵はジロリと私を睨む。私はそれをにこりと笑いながらかわす。


「ねえ、お父様。他の方にも年頃のお嬢さんがいるのでは?それなら、その方々を送った方がよほど良いと思うのですけど」

「それもそうだな。ラステアはランカナ女王自らルティアを指名してきているが、トラットはまだも使者来ていない。もし指名されたとしても、いなければ代理を受け入れてくれるだろう」

「へ、陛下っっ!?」

「おや、トラット帝国と繋がりが欲しいのですよね?ああ、侯爵……貴方のお嬢さんも一緒にいかがです?」


 ハウンド宰相様が私たちの会話にのっかり、フィルタード侯爵にそう告げる。侯爵はヒクリと頬を引き攣らせた。


「む、娘はまだ……幼いので」

「幼い方があちらに馴染むのに早いのではないでしょうか?」

「そ、それはっっ……!!」

「そうだな。それが良いかもしれない。フィルタード侯爵はトラット帝国と懇意にしているようだし」

「陛下!」

「なぜ自分の娘だと慌てて止めようとする?繋がりができるのであれば、王家の姫でなくとも構わないはずだ」


 フィルタード侯爵はぐっと言葉に詰まったが、それでも姫と一侯爵令嬢では立場が違う、と文句をいう。


「今、ファティシアに公爵家はない。王家の次は侯爵家だ。全く問題ないと思うがね?」

「し、しかし……姫君を差し置いて……」

「ルティアはいないのだから仕方ないだろ?」

「陛下はトラット帝国との関係を悪化させたいのですか!?」

「ルティア一人が行かないだけで悪化するような仲でもないな。その程度の理由で、まだ来てもいない使者のためにランカナからの要請を断る気はない。話は以上だ」

「陛下っっ!!」

「以上だ、フィルタード侯爵」


 そういうとお父様は控えていた騎士たちにフィルタード侯爵たちを部屋の外へ出すように告げる。



「————陛下!後悔なされますよ!!」



 バタン、と扉が閉められるその隙間から、フィルタード侯爵のそんな言葉が滑り込んできた。私はお父様に視線を向ける。


「……陛下」

「ああ、護衛の騎士たちにはしっかりとルティアたちを守ってもらわないとな」

「きっと、大丈夫ですよ」


 私は気休めとも取れる言葉をお父様にいう。

 きっと、大丈夫。今までもなんとか乗り越えてきたし。それに一人ではない。いや、一人じゃないから危ないこともあるかもしれないけど。


 それでも五年前に比べれば、きっと、大丈夫。


「ルティア、くれぐれも無茶だけはしないように」


 お父様の言葉に私は苦笑いを浮かべる。


「それは約束できません」

「ルティア!」

「だって私は、カロティナお母様に似ているのでしょう?」


 なら多少の無茶は許して欲しい。そういうと、お父様は深いため息を吐いた。

 そんなところは似なくて良いんだよ、と寂しそうな呟きと共に……

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