第99話 その人が怒るとき(シャンテ視点)
————それは突然のことだった。
授業も終わり、みんなが席をたち帰る準備をしていた。私たちもいつものように、雑談をしながら帰ろうとしていた時のこと。
立派な縦ロールに、頭には大きなリボンを付けた女生徒がこちらに走り寄ってくる。そして、その勢いのままにルティア様の頬を叩いたのだ。
叩かれたルティア様はポカンとした表情をしている。その隣にいたアリシア嬢も。
私も突然のことで同じようにポカンとしてしまう。
叩かれた理由もわからなければ、そもそも王族である彼女を叩くなんて……
「貴女!一体なにをしましたの!!
肩で息を吐きながら、わけのわからないことを怒鳴りちらす。
それでもなにも言わないルティア様に、縦ロールの女生徒はもう一度その手を振り上げた。
私は慌ててその手を掴んで止める。
「なにをしているんだ君は!」
「離しなさい無礼者!!」
「いい加減にしろ!急に人に手をあげるなんて、王族相手じゃなくても失礼なのは君の方だ!!」
「なんですって!!」
シャンテ、とポツリとルティア様が私の名前を呼んだ。私は背に庇ったルティア様を振り返る。叩かれた頬が赤くなっていて、私は自分の呑気さを恥じた。
王城内や、畑でなら従者のリーナが側にいるけれど、生憎とここ、カレッジでは王族であっても従者を連れて歩けないことになっている。
共に学ぶ一般市民に配慮してのことだ。
従者を連れて歩くと、どうしてもいばり散らす貴族がでる。貴族子弟同士徒党を組まないわけじゃないが、それでもぞろぞろと従者を連れて歩くよりマシ、らしい。
だから本当は、私がもっと周りに気を回さなければいけなかったんだ。
騎士ではなくとも、訓練は受けている。
いざという時の盾になれずしてどうするのだ!
「離しなさい無礼者!!
「ただの伯爵令嬢ですよ。それ以上でもそれ以下でもなくね。一体、いつの間に伯爵令嬢が姫殿下より偉くなったというんです?そんな法はありませんよ」
なるべく淡々と告げる。
声を荒げる方がこういった手合いには不向きだからだ。縦ロールの女生徒は今度は私をキッと睨みつけてきた。
これだけ言っても彼女は自分の立場をわかっていないらしい。
「……貴女、カレッジを辞めさせられたといったけど?」
「そうよ!貴女がそうさせたんでしょう!!」
「生憎と、私はそんなことするほど暇ではないの。だから貴女が辞めさせられたのなら、別の理由だと思うわよ」
「そんなの嘘よ!」
「なぜ嘘だと思うの?貴女のように私が三番目だからと馬鹿にしてくる人は他にもいたわ。その人たち全員、今も普通にカレッジに通っているけど?」
個人的にいうならば、ルティア様が継承三位だからといって馬鹿にされる理由が理解できなかった。
いくら側妃であったカロティナ様のご実家が権力に興味がなくとも、王族は王族。軽んじる意味が分からない。
「ならどうして
「私に理由を聞くより、直接理事長に確認したら?」
「なんですって!!」
「だって私は理由を知らないもの。辞めさせた張本人に聞くしかないでしょう?」
この調子ならこの女生徒はよそでも問題を起こしていそうだ。
普段、カレッジやアカデミーといった学問に携わる場所は、皆平等に学ぶ権利があるとうたっているが……今までも問題を起こしていたのなら、王族にまで喧嘩を売ったわけだし、これ以上学園に通う価値なしとされたのかもしれない。
「……ふん!いいわ。
ああ、ダメだな……私がここの職員だったら完全に匙を投げている。
そのレベルでダメだ。
自分を特別だと思っている、いや、思い込んでいる人間にその地位は親のおかげであるし、親が没落すれば一瞬で消えるものだと理解させることは難しい。
本当に没落でもしない限りは、一生理解できないのだ。選民思想とは子供の頃からの刷り込み。本当に厄介なものだ。
「シャンテ、手を離してあげて」
「ですが……」
「かまわないわ。どうせ辞めるのでしょう?」
辞めてしまうのなら、今回だけは大目に見るということか……正直、甘い、と思う。
本来なら王族に手をあげたのだ。不敬罪で牢屋に入れられてもおかしくはない。私は小さなため息を吐くと、ルティア様の言うとおりに女生徒の手を離した。
また殴りかかろうとしても止められる位置に下がると、女生徒はとんでもない言葉を口にする。
「所詮は野蛮な国と付き合うしかできない、役立たず姫じゃない!!」
スッと、周りの気温が下がった気がした。
ルティア様を見ると、先ほどまでと違い、王族特有の蒼い瞳の色が濃くなったように見える。
「————いま、何と言ったの?」
「あら、気に障ったの?ラステアなんて野蛮な国と仲良くして、トラット帝国の皇太子殿下とのせっかくの婚約を無下にした役立たず姫!みんなそう言っているわ!!」
「ラステアが野蛮な国……?」
「そうよ。龍なんて野蛮なものと生活してるなんて……ああなんて恐ろしいんでしょう!!」
「貴女はラステアが野蛮な国で、トラット帝国が良い国だとでもいうのかしら?」
「当然でしょう!華やかで、とても偉大な皇帝が治めている国なのよ!!」
この女生徒は馬鹿なのだろう。トラット帝国が今までどうやって国を広げてきたのか知らないのだろうか?
知っていたらこんな台詞は出てこない。あんな血塗られた帝国を賛美するなんて。
「そう。貴女は戦争を繰り返し、従属化した国を搾取するだけ搾取する……そんな帝国が素晴らしいというのね?」
「そんなの!帝国に逆らうからよ!!」
「ファティシアが帝国に攻められても同じことが言えるのかしら?」
「貴女、バカなの?帝国がそんなことするわけないじゃない!!」
「無知とは、恐ろしいものですね。トラット帝国がそんな甘い国なわけないでしょう?」
「なんですって!!」
「貴女はトラット帝国の何を知っているんです?たとえ無条件に降伏したとしても、従属化した国は王侯貴族含め、全ての民が奴隷にされるんですよ?」
トラット帝国とはそういう国だ。
苛烈で、容赦がない。無条件降伏をした王の首を民の前で見せしめに刎ねたことだってある。
隙さえあればファティシアだろうと、ラステアだろうと攻めて自分の国とするだろう。その末路は考えたくもない。
「て、帝国はファティシアにそんなことしないわ!」
「そう。なら貴女が帝国に嫁いだらいかが?」
「え……?」
「帝国は素晴らしい国なのでしょう?」
「そ、そう、よ……」
「なら帝国で暮らしたらいかが?」
ルティア様の顔は、笑っている。笑っているが、その瞳は冷え冷えとしていて、まるで真冬の海のように濃く深い蒼になっていた。
私は————ルティア様とそれなりに長い付き合いではあるが、ここまで彼女が怒ったところを見たことがない。
チラリとアリシア嬢に目を向けると、彼女も青い顔をしてルティア様を見ていた。
「ねえ、お名前を教えていただける?すぐにでもレナルド皇太子殿下に連絡を取って、誰か見繕ってもらうわ」
「そんなこと、できっこないわ……」
「なぜできないだなんて思うの?私も王族だもの。それぐらい、————できるのよ?」
ヒッと女生徒の口から小さな悲鳴があがった。
普段はきちんとコントロールされている、ルティア様の魔力が周りに漏れ出しているのだ。それが威圧となり、女生徒を怯えさせていた。
私はチラリとアリシア嬢に視線を向け、ルティア様と女生徒の間にもう一度立つ。
後ろからヒリヒリとした魔力を感じるが、この女生徒では受け止めきれずに気絶してしまうだろう。
「……貴女が野蛮な国だといったラステア国は、国民がみな陽気であたたかな国です。他国から嫁いだ者も優しく迎え入れてくれるでしょう」
「な、なにをいっているの?」
私はにこりと笑うと、その女生徒の顔を覗きこんだ。
「トラット帝国は自国の貴族以外には厳しいのです。つまり、貴女が嫁いだらどんな目に合うか……保証はできませんね。でも、かまいませんよね?愛妾や、奴隷として扱われたとしても」
それだけ賛美した国に嫁げるのだから、かまわないだろう?と視線で問いかける。
後ろではアリシア嬢がルティア様をなだめる声がした。しかし漏れ出た魔力はまだ引いていない。もう少し、時間を稼ぐか?
そう考えていたら、教室の中に教師陣が慌てて入ってきた。
「ミス・クレモンテ、また君なのか!!」
教師の一人が女生徒の家名を叫ぶ。やはり彼女は他でも問題行動を起こしていたようだ。
「ミスター・ロックウェル、一体なにがあった?」
「彼女が突然、姫殿下を叩きました」
「なんだって!?」
「カレッジを辞めさせられたのは、姫殿下のせいだと言いがかりをつけてきたのです」
正直に告げると、教師たちは天を仰ぐ仕草をした。
「ミス・クレモンテ、君は次に問題行動を起こしたら退学させると通告されていたはずだ。それなのに問題行動を起こした。今回の処置は当然のことだ」
「わ、
「一般生徒に対する数々の嫌がらせ、貴族としてのマナーもない、そんなことも理解できないなんて……なんて情けない!」
「なんですって!!」
真っ赤な顔をして自分は伯爵令嬢なのだ、だから今までの行動は貴族として当然なのだと教師陣に食ってかかる。
しかし教師陣は呆れた顔をする者ばかり。その姿を見て、ああこれは被害者が多いのだなと理解した。
ふいに、ツンと服が引っ張られる。
視線を後ろに向けると、ルティア様が私を見上げていた。
瞳の色も元の澄んだ蒼い色に戻っている。
「ルティア様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ……でも、ありがとう」
「いえ、私の方こそ対処が遅れて申し訳ありません」
「いいのよ。シャンテは従者じゃないんだから。そんなことまでしなくて平気よ?」
苦笑いを浮かべる彼女に、自分は無力だな、と感じた。
もしもこの場にいたのがリーンだったら、叩かれる前に止められただろう。ジルだったら、止められなくともあの女生徒をもっとやり込めたかもしれない。
一番凡庸な自分が側にいたことで、余計にルティア様を傷つけてしまったのだ。
「さ、帰りましょう?」
「ですが……本当によろしいのですか?」
「別にかまわないわ。この程度でいちいち何かしてたら大変だもの」
そう言って教師陣に囲まれて尚、キャンキャンと喚いている女生徒を見る。
あそこまで選民思想に染まれるとは……いっそ哀れに思えてきた。
「姫殿下、お怪我はありませんか?」
そう言って教師の一人が話しかけてくる。ルティア様は問題ない、と答えそのまま帰ると告げた。
そして女生徒の側を通り過ぎようとする。すると、ルティア様はピタリと足を止めた。
「……ああ、クレモンテ嬢。決心がついたらいつでも言ってちょうだい。貴女をトラット帝国に送ってあげるから」
氷のような視線が向けられ、女生徒はぺたりと床に座りこんだ。
普段怒らない方を怒らせると怖いのだと、学んだ瞬間だった————
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