第95話 皇太子、帰還する


 —————長かった。


 日にちにすると十四日ほど。本来の予定より五日も多く滞在していった。

 そのトラット帝国の皇太子がようやく、ようやくっっ!!帰ったのだ!!


 もちろんその間に面倒なこともあったけれど!!私は彼らが乗り込んだ馬車をものすごく良い笑顔で見送った。花でも振り撒きたいぐらいに!


「いやあ、ようやく帰りましたね」

「これでようやくカレッジに行けるようになるわ!!」


 ポツリと聞こえた声に同調するように、思わず拳を空に突き上げる。すると後ろからプッと吹き出す声が聞こえた。

 振り向けば、カッツェを従えたコンラッド様が肩を震わせながら笑っている。

 さっきまでいなかったのに!!


「ご、ごきげんよう……コンラッド様」

「いや、うん。そうだね。学校に行くのは大事なことだよね」

「そうですよ!大事なことですよ!!」


 コンラッド様から教えてもらうのはとても楽しかったけど、王族としてはカレッジで学ぶべきことも沢山あるのだ。

 貴族との付き合い方だけではない。一般市民もカレッジには通っている。


 もちろん通えるのは裕福な子たちではあるけれど……それでも、通える子たちが増えている現状を考えると、国が豊かになっていると思って良いだろう。


「名残惜しいけど俺もラステアに戻るよ」

「そうですね。お仕事、溜まってますよね……きっと」

「そこまでじゃないと思うけど」

「いえ、その……ランカナ女王陛下に怒られたら、私も一緒に怒られるので」


 今回はファティシアの都合でコンラッド様に滞在してもらったのだ。そのせいでコンラッド様が怒られでもしたら申し訳ない。

 普段はいても一日〜二日。それが十四日もいたのだ。いくらカッツェに乗って直ぐに来られるとはいえ……一度も帰らなかったのだから、問題が生じてもおかしくはない。


「姉上はそんなことで怒るような人じゃないから平気だよ」

「本当ですか?ちゃんと言ってくださいね?」

「大丈夫、大丈夫」


 そう言うとコンラッド様は私の頭を撫でてくれる。

 優しい方だなあ。何かお返しでもできれば良いのだけど、子供の私にできることは少ない。今度ジャムでも作って持っていってもらおうかな。


「それじゃあ、俺もそろそろ行くね」

「はい。ありがとうございました。とても助かりました」

「うん。俺も楽しかったよ」


 コンラッド様がカッツェに飛び乗ると、カッツェはバサッと翼を広げる。


「ルティア姫、また今度」

「はい!また今度!!」


 ひらひらと手を振られ、私も同じように振り返す。するとグン、とカッツェが上昇してそのままラステア国の方角へ飛んでいった。


 その姿を見送り、私は小さなため息を吐く。


「……良いなあ、飛龍」

「そっちですか!!」

「ロビン!」

「あーロイ様の代わりに、コンラッド様を見送りに来たんですよ」


 と言うことは私が笑われた原因はロビンが呟いた言葉ということだろうか?


「……さっきのはロビン?」

「さあ、なんのことだか?」


 ロビンは良い笑顔を浮かべてとぼけている。その態度で自分だと言っているようなものだ。

 ぷくっと頬を膨らませると、ロビンは私の頬を両手で挟んで潰してきた。


「ロビンのせいで笑われちゃったじゃない」

「そんなところも含めて姫さんですからね。コンラッド様も気にしませんよ」

「そうかしら?」

「そうそう」


 おざなりな回答にロビンの脇腹をギュッと掴む。


「ギャッ!な、何するんですか!!姫さんのエッチ!!」

「ロビンだって私の頬を潰したじゃない!」

「もーそんなに膨らませていたら、元に戻らなくなりますよ」

「戻るもん!!」


 ロビンと言い合いをしながら、ロイ兄様の宮へ向かう。兄様はアカデミーに行っていてレナルド殿下の見送りに来ていない。

 あまり派手な見送りはいらない、とのことで私と要職についている者たち数名が見送りに来たわけだ。


 向こうとしてはまだ私との婚約を諦めていない。だがそのことをレナルド殿下の派閥以外の者に知られるのも具合が悪いのだ。

 大事なのは、私が見送りに来た、という事実。


 まだ婚約には至っていないけれど、それなりに友好的な関係を築けていると一緒に来ていたトラット帝国の人たちに見せたいのだろう。

 コンラッド様が言ったように、レナルド殿下の立場は盤石なものではないのだ。


「それにしても……あの皇太子様は婚約できないからって余計なもんを残していきましたねえ」

「そうね。まさか、うちと作物の取引をしたいなんて」

「マジックボックスが普及してるわけじゃないですし、採れすぎたものを他国に売るのは悪いことではないんですけど」

「相手がトラット帝国だからちょっと考えちゃうわよね」


 魔力過多の畑のおかげで、国内の食料自給率はとても高い。そして加工できる食品はいいとしても、そうでないものはあまり気味になってしまう。

 あまってしまった食料は市場価格が下がる。下がる分には買う人は嬉しいだろうけど、作っている人にとっては困ってしまうのだ。


「疫病が流行っているのは本当みたいだし、それで国民が困っているのも本当だろうけど本当に国民に回るのかが問題っすよね」

「そうなのよ。でも魔力過多の畑を作るみたいだし」

「ポーションができると困りません?」

「困るけど、病を治すためなら仕方ない気もするのよね」


 レナルド殿下たちの作る魔力過多の畑は、私たちが作るものに比べて魔力量が少ない。

 カーバニル先生が言うには、トラット帝国の人たちは総じて魔力量が控えめだったそうだ。つまり上級ポーションを作ることはできない。


「下級だけなら、そこまでの脅威にはならないってコンラッド様も言っていたし……それに病気の初期の状態なら、下級ポーションでもきっと治るだろうし」

「妥協するしかないですかねえ」

「そうね」


 トラット帝国が余っている食料を買い取るならば、市場の価格も下がり過ぎず丁度良い値段で保たれるだろう。


 向こうで安定的に魔力過多の畑が作れるようになって、食料を売る必要がなくなっても大規模なマジックボックスを作れるようになれば平気だろう。現在それの調整中なのだ。

 そうすれば国が買い上げて、もしもの時に配布できる。


 ただ作るのに魔力量と、繊細な作業が必要らしいので簡単に増やせるかは別問題だけど。


「マジックボックスの大きいサイズがたくさん作れればなー色々と保存しておけるのに」

「もしもの時に食料を貯蔵しておくのも大事ですしね」

「できればお祝い事の時に配れると一番いいわね」


 悪いことで配るよりも、良いことで配る方がずっと良いし。

 それに今のところその兆候はないけれど、トラット帝国の人たちが国に帰ってファティシアのことをどう報告するかわからない。


 戦争を経験したことはないけれど、人がたくさん死ぬようなことは起きて欲しくないのが本音だ。


「お祝い事ねえ……そういや、皇太子様は随分と整った顔をしてましたけど、姫さんのタイプではなかったんすか?」

「タイプ……?」


 ロビンの言葉に首を傾げる。


「お付きの騎士たちもみんな整った顔してましたけど、一番は皇太子様だったでしょう?」

「そう、なの……?」

「姫さん、もしかして男の顔はみんな同じに見えるとか言いませんよね?」

「い、言わないわよ!ちゃんと見分けつくもの!!」

「見分けがつくならあるでしょう?タイプみたいなの」

「タイプって言われてもよくわからないわよ」


 タイプってなんだ。タイプって!

 口を尖らせると、ロビンは、はあとわざとらしいため息を吐く。


「春はまだまだ先っすねえ」

「そりゃあこの間、終わったばかりじゃない」

「そう言う意味じゃないっすよ……てか、その調子だとコンラッド様の顔見ても普通とかそんな感じなんっすか?」

「コンラッド様?コンラッド様は優しい顔立ちをされてるじゃない」

「……皇太子様は?」

「……え、えーっと綺麗な顔をしているとは思ったわよ?」

「……なるほど」


 ロビンはうんうん、と頷く。


「じゃあ、コンラッド様と皇太子様はどちらが好きですか?」

「そんなのコンラッド様に決まっているでしょう?」


 なんだこの質問は?首を傾げると、ロビンはハンカチで目元を拭う仕草をする。


「良かったっすね、コンラッド様……」

「何が良かったの?」

「そのうちわかりますよ」

「何それ」


 ロビンは時たまわからないことをいう。ジッと見上げていると、学校のお友達と恋バナでもしてくださいといわれた。


「恋バナしてどうするの?」

「恋バナするとタイプとか、諸々がわかるようになります」

「そんなものなの?」

「そうですよ。大事ですよ恋バナ。姫さんを身近に感じてもらうチャンスです」

「そうなの?」


 なんだか誤魔化されているような気もするが、ロビンはこれ以上は教えてくれないだろう。昔からそうなのだ。自分で考えなさい、といわれているような気分になる。


「さ、そろそろロイ様もアリシア様と一緒に帰ってきてるでしょうし、急ぎましょう」

「そうね。アリシアにも悪いことをしたわ」


 毎日のように学校が終わってから寄ってもらっていたのだ。

 授業が進んでもなんとかついていけるのは、彼女とシャンテのおかげだろう。


 そうしてロビンと二人で兄様の宮に向かう回廊を歩いていると、慌てた様子の侍従に声をかけられた。


「姫殿下!ルティア姫殿下!!お待ちください!!」

「なあに?どうしたの?」

「じ、実は……少々問題が起こりまして」

「問題?」


 少し青い顔をした侍従は、お父様の元へ急いで欲しいという。

 なんだかとてつもなく嫌な予感がした。

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