第67話 我慢できない時もある
ロビンとロイ兄様に言われ、私は渋々アッシュとベルと一緒に葉の生い茂る果樹の影に隠れる。その果樹の手前にはアーチ状の支柱にもっさりと蔓野菜が蔓を這わせていて、私がしゃがむと完全に隠れてしまうのだ。
「なぜ隠れなければいけないの?」
「姫様は嘘が苦手ですからね」
そんなことないわよ!と言い返そうとしたけれど、大概嘘をついても見破られてしまうので、絶対に大丈夫とは言えない。
私は自分の頬をムニムニとつまみ、そんなにわかりやすいだろうか?と悩んでしまう。
今のままでは誰かに何かを秘密にしておきたくても、きっとすぐにバレて、嘘をついてますね?とか隠し事をしてますね?とか言われてしまうはずだ。
それはそれで良くない。
これから先、秘密にしておきたいことが増えないとも限らないのだ。フィルタード侯爵を前にしても秘密にできるようにしておかなければいけない。
「……ねえ、アッシュ。フィルタード侯爵ってどんな方?」
私の質問にアッシュはちょっとだけ視線を逸らした。そして少し間を置いてから私にフィルタード家について尋ねてくる。
「姫様はフィルタード侯爵についてどれだけ知ってらっしゃいますか?」
「私?私は……えっと、リュージュ様のお父様でライルにとってはお祖父様に当たる方よね。そして王城内の派閥の中では一番大きくて、この国ができた時からある侯爵家の一つで……あと何かあるかしら?」
そう言って首を傾げれば、アッシュはそれだけご存知なら大丈夫ですよ、と言う。それだけで良いのなら、わざわざ隠れる必要はないはず。でも、隠れる理由があるのだ。
実際に話したわけでもないし、人となりを知ってるわけでもないから悪い噂を聞いても、本当にそうなのか?と思ってはいるけど……
きっと会わせたくないだけの理由がある。
私が顔に出やすいと言う理由だけでなく、それ以外にもなにかあるのだ。
身内のはずのライルまでもが、良い人ではないと言うのであれば、もしかしたら性格に難あり、な人なのかもしれない。ただ話たこともないし、人から聞いた印象だけで決めつけるのは違う気がする。
今の私ではダメでも、いつか直接話すことがあればその時に決めようと思う。
「……姫様は、そのまま真っ直ぐ育ってくださいね?」
「え、なあにそれ……」
「いやあ……何を考えているか分かるって良いことですよ?俺達にとってはね」
まだライルの従者になって日の浅いアッシュにまで考えてることがわかってしまうなんて、私は余程考えていることが顔に出るらしい。
もう一度、自分の両頬をムニムニといじる。
「……顔に出さないようにするにはどうしたら良いかしら?」
「姫様はそのままでいいと思います」
「それだと困るわ」
毎回自分だけ隠れることになるじゃないか!そう口を尖らせていると、馬のいななきと馬車の車輪がガタガタとする音が聞こえてきた。
フィルタード侯爵が来たのだ。
私は見つからないようにしゃがみつつも、顔だけ出してそっと、ライル達のいる方を見る。
馬車の中から、お歳を召した方が下りるとライルがお祖父様!と呼びながら駆け寄って行った。
そして何か話をしている。
「何を話してるのかしら……」
流石に距離があるから何を話しているのかまでは聞こえない。すると急に口元が手で覆われた。
「姫様……絶対に、悲鳴をあげないでください」
後ろからベルの声がする。私はコクコクと小さく頷いた。
一体何があったのだろう?
不意に、足元をしゅる、と何かが通過した。視線だけ、下に向ける。
それは細長くて、ツルツルしていて、小さな頭に、カパリと開いた口からチロチロと赤い舌がのぞいている。
そして、つぶらな瞳と目があった—————
「ヒッ……!!!!」
「姫様、ダメです!」
思わず逃げ出そうとした私をベルとアッシュの腕がその場に押し留める。
そのつぶらな瞳の持ち主がトカゲだったら、きっとちょっと驚くぐらいで済んだはず。でもそのつぶらな瞳の持ち主はトカゲではない。
トカゲにとてもよく似ているのに、手足はないのだ!!
にょろり、と相手が動く。
声を上げてはダメなのはわかる。わかるが、私を抑えるよりもコレをどこかにやって欲しい。
チロチロとのぞく赤い舌。それは何を思ったのか、こちらに近づいてきたのだ。
あとちょっとで触れる距離。
もうダメ!限界っっ!!!!
私は二人の手を振り解くと、ソレを掴んで思いっきり遠くへ投げ捨てた。
***
「悲鳴をあげなかったのだもの……褒めてもらいたいぐらいだわ……」
みんなの前で私はポツリと呟く
私が投げたソレはフィルタード侯爵の真上に落ちた。
驚いた侯爵はそのまま帰ってしまったので、ごめんなさいと謝りたくても、もう無理だろう。
カーバニル先生はロイ兄様に挨拶もしないで帰ったことが不満だったようだが、流石に上からヘビが落ちてきたら誰だってその場にいたくない。
ヘビが苦手な人なら尚更だ。
私はと言うと一生懸命、水で手を洗う。
あのひんやり、にょろりとした感覚を無くすためだ。前回は細長い挟む物で掴んで投げ捨てたけど、今回は直接触ってしまった。
感触を思い出すだけでゾッとしてしまう。
「ヘビ、ダメなのに投げちゃったんですね」
細長くてにょろりとしたものが苦手なジルが微妙な顔で私を見る。ヘビはダメだ。確かにダメだが、あまりにダメすぎて側にいて欲しくないのだ。
毛虫もそうだけど、ヘビも同様に私は我慢の頂点に達すると自分の視界に入らないように投げ飛ばしてしまう癖がある。
「だって……こっちに向かってきたんだもの……」
「向かってきたものを放り投げるところが姫さんですよね。いやあ本当に、肝が冷えました」
「私だってわざとフィルタード侯爵に向かって投げたわけじゃないのよ?たまたま投げた先に侯爵がいただけなの!」
「まあ、おかげで直ぐに帰ってくれたし……良いんじゃないか?」
ライルがヘビも元気に逃げて行ったし、大丈夫だろうと言う。
しかし大丈夫と言われても、こちらが大丈夫ではない。
「流石に謝れないわよね……」
謝ったらわざわざ隠れていたことがバレてしまう。ロビンがクアドのせいになっていると言うので、クアドにも悪いことをしてしまった。
「ごめんね、クアド。あなたのせいになってしまったわ」
ロビンの肩に止まっているクアドはクアッと鳴く。
「おいしいおやつでもくれたら帳消しにしてくれるって言ってますよ」
「ロビンはクアドの言葉がわかるの!?」
私がロビンに聞くと、ロビンは横を向いて笑いだす。騙されたと知って私は口を尖らせた。
「まあまあ、姫様。次はちゃんとヘビを遠くにやりますから」
「そうね。そうしてもらえると助かるわ」
アッシュの言葉に私は小さなため息を吐く。ベルも同じように苦笑いをして頷いたので、次からはきっと大丈夫だと信じたい。
ミミーは平気でも、ヘビはダメなのだ。本当に!
「ところで、フィルタード侯爵は何しにきたの?」
「あ、ああ……なんか、伯父上に侯爵位を譲るらしくて、その手続きに来たって言っていた」
「フィルタード侯爵の息子、と言うと……リュージュ様の兄かな?」
兄様の問いにライルは頷く。
「えーっと、確か……伯父上の名前がダン・フィルタードで従兄弟達が上からエスト、リューク、エメルダの三兄妹だな。エストがルティアと同じ八歳で、リュークが俺より一つ下の六歳、一番下の妹のエメルダが更にその三つ下で三歳、かな?」
ライルが指折り数えながら教えてくれる。
まだ会ったことのないライルの従兄弟達。そう言えば、ジルとシャンテ、リーンはお友達としてライルと一緒にいるけれど、なぜ歳の近い従兄弟達はいないのだろう?
「ねえ、どうしてフィルタード家の子達はライルの側にいないの?」
私の素朴な疑問にライルは首を傾げた。
「そう言えば、何でだろうな?エストもリュークも俺の誕生日祝いのパーティーに来るぐらいで、遊んだりって記憶はないな」
「そうなの?」
「ああ。特に仲が悪いわけではないんだけど……」
ライルはどうしてだろうか?と考えている。何となく兄様を見ると、兄様も少し考え込んでいた。
そして考え込んでいた兄様は視線をあげ先生を見る。
「……カーバニル先生、何かご存知ではありませんか?」
「あら、どうしてアタシが知ってると思うの?」
「先生はフィルタード侯爵をあまり良く思ってないようなので」
兄様がそう言うと、先生は聞いた話よ?と前置きをしながら話だした。
「フィルタード侯爵も息子のダン・フィルタードも男の子二人にあまり関心がないのよ」
「子供に関心がないと、ライルに会わせないの?」
「そうね。普通の親ならそんなことは滅多にないのでしょうけど……末っ子のエメルダちゃんは女の子のせいか甘やかされている、とも聞いているわ」
従姉妹でなかったらライルの婚約者候補の筆頭に上がっていただろう、と先生は言う。
甘やかされている妹と関心が向けられない兄と弟。
つまり兄妹間で家族からの待遇に差があると言うことだろうか?
何だかおかしな話だ。
「お母様も同じなのかしら……」
「そっちは違うみたいだけど、でも義理のお父さんと旦那さんには強く言えないみたいね。教育面はきちんとしてるみたいだから、その辺は心配ないみたいだけど……」
「それは……心配がないと言えるのかしら?」
誰だって家族の関心は欲しい。しかも全員が平等に関心がないのではなく、妹だけが可愛がられているのであれば兄妹間で軋轢が生まれそうだ。
何となく上の二人が心配になってしまう。
「まあ、でも二人とも大人しいタイプの子みたいだから……今のところは平気じゃないかしら?カレッジやアカデミーで色んな人に揉まれれば、きっと自我も目覚めるわよ」
「そうだと良いけど……」
「確かにエストもリュークも大人しいタイプだったな。俺も挨拶ぐらいしか会話をした記憶がない」
ライルの言葉にもしかしたら、大人しすぎてライルに振り回されてしまうから選ばれなかったのかな?と考えてしまった。
今は兎も角、前はジル達三人をかなり振り回していたようだし。
「あ、そう言えば……最近、よく出入りしている女の子がいるって聞いたわね」
「女の子?」
「婚約者、なのかしら……でも男爵家の子って話だから……もしかしたら違うかもしれないわね」
「男爵家だとダメなの?」
私の質問に先生は身分に差があるでしょう?と教えてくれる。でも身分に差があっても、本人達が望むのなら良いのではなかろうか?
私を産んでくれたお母様は伯爵家だし、今のお母様も伯爵家だ。探せば男爵家から王家に嫁いだ人も出てくるだろう。
もちろん政略結婚があることは知っている。
アリシアの話の中では私はトラット帝国に嫁ぐことになっていたし、必要であればそう言うこともあるだろう。
「フィルタード家はどちらかと言うと、自分の家にどれだけ利益があるかを考えるのよ。今の奥様は伯爵家の中でも上の方で、実家が治めている土地も裕福な方よ」
「そう言うものなの……」
なんとなく変な感じがするけれど、それもまた良くある話の一つなのだ。多分。
でもそれと子供に関心がないのは別物のような気がする。体質であると言ってしまえばそれまでだが、ライルの従兄弟達が健全に育つのを祈るばかりだ。
「それにしても……代替わり、か」
「ライルのお祖父様はお歳なの?」
「幾つだったかなあ……?流石にお祖父様の歳までは知らないや」
「そう。お元気そうには見えたけど」
「元気は元気だと思う」
ヘビが落ちてきた時、もの凄い驚いてたし、怒っていたと聞いて申し訳ない気持ちになる。わざとではないとは言え、ヘビが落ちてきて気分が良いと言う人は稀だろう。
「ま、鳥は気まぐれなものですしね」
「クアドが落としたわけじゃないのに……」
「向こうはクアドが離宮で飼われてるの知らないんだから良いんですよ。どうせ代替わりしたって、ライル殿下が呼ばれることはあってもうちの殿下と姫さんは呼ばれないんですし」
そう言う問題なのだろうか?と思ったが、どのみち謝ることはできないのだ。
仕方ない、と諦めるしかなかった。
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