第66話 フィルタード侯爵(ロビン視点)
我らが姫さんの従者がようやく決まった。
名前はリーナ・ドット
黒髪、黒目で姫さんより四つ年上の女の子だ。とは言え、女の子だからと侮るなかれ。この子もカタージュ出身。
俺やアッシュと同じく、幼い頃から鍛えられている。
カタージュ————
東の辺境と呼ばれているレイドール伯爵家が治めている領地だ。
カタージュは古の魔術が残るレイラン王国との国境沿いにあたる場所だが、間に広大な森があり、魔物が良く出ることで知られている。
スタンピードが他の領地に比べて起こりやすい場所、なのだ。
だからカタージュに住む人間は子供の頃から自分の身を守るために訓練をする。
対魔物が基本ではあるが、今は対人も訓練していた。
自分が側で守ることはできないから、代わりに俺達に守ってもらいたいと旦那様が俺達に言ったからだ。
旦那様は豪快でとても強くて、大体物理で解決してしまう脳筋な部分があるけれど、領民を愛し、自分の孫達を心から心配している。
そんな方なのだ。
そしてカタージュ出身者と元々の離宮の人間を入れ替えた理由は、カロティナ様の件が大きいだろう。
陛下はカロティナ様の死に疑問を持っている。それはきっと旦那様もだ。
いや、カタージュにいるカロティナ様を知っている者なら誰でも疑問に思うはず。
なんせカロティナ様は強かった。
カレッジやアカデミーでは猫を被っていたようだが、カタージュに戻れば剣を片手に森に入り魔物を討伐しては「魔石取れた〜!」と喜ぶような方だったのだ。
病の方が裸足で逃げ出すような健康優良児が病で死ぬはずがない—————
それがカロティナ様を知る人間の見解だった。
とは言え、証拠は何もない。ない、と言うよりは証拠になりそうな者は密かに処分されていた。
カロティナ様付きの侍女。
カロティナ様が亡くなってから、少し実家に戻ると言ったきり王城に戻ってこなかったのだ。
探してみると家の近くの川で死体になって浮いていた、と。
自分が世話をしていた側妃が亡くなったことがショックで身を投げたのでは?と言われてしまい、それ以上、侍女の死が調べられることはなかった。
そんなことがあったから、旦那様はロイ殿下と姫さんの身に何かあってはいけないとフィルタード派で占められていた離宮の人間を少しずつ入れ替えたのだ。
最初のうちは陛下にすら知らせずにこっそりと。
徐々に人手を増やし、そうしてなんとかロイ殿下の離宮の人間を完全に入れ替えてから陛下に報告した。
こんな簡単に入れ替えられるのだぞ、と言うのも忘れずに。
ちょうどその頃、ロイ殿下が姫さんの淑女教育問題を陛下に訴えていたので陛下はこれ幸いと姫さんの宮にいたフィルタード派の人間をカタージュの人間に入れ替えた。
現在は若干人手不足ではあるが、もう少しすればライル殿下の宮もちゃんと機能するようになるだろう。
宮を守る近衛騎士までは流石に入れ替えるのが難しいが、侍従や侍女達だけでもこちら側の人間にしておけばある程度は安心できる。
そしてそのことに聡いライル殿下は気が付いていた。
逆に姫さんは人が入れ替わっているな、と気が付いてはいるが……特に気にした様子は一切ない。
これも淑女教育が遅かったせいなのか、まあ……知る必要ないことでもあるが。
そしてそんな鈍い我らが姫さんは畑仕事とポーション作りに精を出している。
今日も畑に繰り出して、魔術式研究機関のフォルテ・カーバニル先生に教わりながらポーションを作っていた。
本日の課題は『上級ポーション』
ポーションは薬草を作る工程でも魔力を大量に使うが、ポーションにする工程でも大量に使う。俺ぐらいの量じゃ、初級を作るので精一杯。
上級を問題なく作れそうなのはロイ殿下や姫さん、ライル殿下、あとリーン坊ちゃんぐらいか?
ジル坊ちゃん、シャンテ坊ちゃん、アリシア嬢は興味深げに四人の手元を覗き込んでいる。
俺とアッシュ、リーナは手が空いてるので、ベルさんと一緒に食べごろになった野菜や果物を収穫中だ。
これが今夜の夕飯なり、デザートになると思えばやりがいもあると言うもの。
新入りのリーナは最初不思議そうな顔をしていたが、今は黙々と作業している。
不意に、上空で鳥の鳴き声がした。
空を見上げると、一羽の鳥が俺めがけて急降下してくる。
俺は慌てて腕を差し出すと、直前でスピードを緩めて腕に止まった。コイツ、俺が慌てるんじゃないかと面白がってやってる節がある。
利口なんだが、利口すぎるのもたまに考えものだ。
鳥の名前はクアド
離宮で飼われている緊急連絡用の鳥だ。鶏ぐらいのサイズで、種としては魔鳥と呼ばれている。
魔物の中にはこうして人間に手懐けられているのもいるのだ。
もちろん大半は討伐対象だが……
「ロビン、どうした?」
クアドに気がついたアッシュが近寄ってくる。
「侍従長から手紙だ」
「侍従長が……?何だろ」
「さてね」
俺はクアドの足首に付けられた小さな筒から手紙を取り出す。するとそこには至急、の文字と要件が簡潔に書かれていた。
「不味いな……」
「フィルタード侯爵がこっちに来るってどんな風の吹き回しだろ?」
「さあな。それよりアッシュ、姫さん連れてどっか隠れてろ。リーナ!こっちきて姫さんと代われ!」
「え、は、はい!」
俺に呼ばれたリーナは収穫していた野菜カゴを持ったままこちらに来る。簡潔にフィルタード侯爵が来ると言えば、リーナは心得たように頷いた。
直ぐに
「ロイ様、ちょっとばかり不味いことになってます」
「どうしたの?」
「フィルタード侯爵が今、離宮に……侍従長が引き止めているようですが、こちらに来そうです」
「それは困るな」
「お祖父様が、来るのか?」
「ええ、今クアドが手紙を持って来ましたんで……そう時間はありません」
ライル殿下は眉間に皺を寄せた。聡い殿下のことだ。なぜ不味いのか気がついたのだろう。本当に、惜しい。
最初の印象から大分変わったライル殿下を見て俺はそう思った。
「何か不味いんですか?」
素朴な疑問をジル坊ちゃんが投げかけてくる。俺とロイ殿下、ライル殿下、そしてカーバニル先生は意味がわかっているのでお互いに顔を見合わせた。
「簡単に言うと、お祖父様はあまり良い人ではない」
悪い人、とは流石に言えなかったのかライル殿下がジル坊ちゃんにそう言う。
「王族がこぞって畑仕事をしていると知ったら問題ありですねえ」
「それはでも……ポーションを作る一環だし」
「一応、国中に広めるつもりではあるが、子供がポーションを作ってる、と言うよりは神官や魔術式研究機関の人間が作ってると言った方が聞こえは良いだろ?」
「それは……そうですね」
子供に全部任せているなんて、と非難されると困ると言う体を取る。そうすれば坊ちゃん達も納得するだろう。
「そんなわけなんで、姫さんはリーナと代わってください。アッシュと一緒に隠れていてくれると助かります」
「どうして?」
「姫さんは顔に直ぐ出るからですよ」
「そんなことないもん!」
口を尖らせて、そんなことはないと言うが100%顔に出る。ここで何を作ってるのかと問われて、誤魔化すのは難しいだろう。素直なのは美徳だが、欠点にもなりうるのだ。
「ルティア、ロビンの言うことを聞くんだ。アッシュと一緒に隠れてなさい」
「でも……侍女長にリーナを代わりにすることのないように、って言われてるもの」
「今は非常事態です」
「姫殿下、私と代わってください」
「姫様、ほら向こうに行きますよ」
俺達に言われ、渋々姫さんはアッシュと一緒に葉の生い茂る場所に隠れる。
姫さんのサイズなら丁度隠れて見えないだろう。
「我々はどうしますか?」
「一緒に勉強している途中だというので良いと思うよ」
「坊ちゃん達は薬草の勉強をしている。それで良いんじゃないでしょうか?」
「そうは言うけど……アタシはあまりこの畑の薬草を見せたくないわねえ」
「隠せるなら隠してくださいよ」
「そう簡単に言わないでよ!」
先生は何かあったかしら?と腰につけているマジックボックスの中に手を突っ込んで探している。その間にササッとテーブルの上を片付けて、前よりも立派になった小屋の中にある備え付けのマジックボックスの中に隠す。
「で、ありました?多分そんな時間ありませんよ?」
「待ってよ探してるんだから!!」
先生を急かすとあった!と声をあげて、一つの魔法石を取り出した。そしてそれに魔力を流すと、薬草畑の大半が普通の野菜畑に変わる。
見た目には、野菜類もテーブルの上に置いてあるし普通の勉強会に見えるだろう。多分。
そうこうしているうちに、王城の方から一台の馬車がこちらにやってきた。
馬車の前につけられている家紋はフィルタード家のもの。
「離宮で待ってりゃ良いものを……」
「多分、アリシア嬢との婚約の話を聞いてこちらに来たんだろうね」
「え、わ、私ですか!?」
急に話をふられたアリシア嬢は驚いて挙動不審になる。
「大丈夫ですよ、姫さんよりもちゃんと淑女教育受けているでしょう?ならいつも通り、挨拶すれば良いだけです」
「そうだね。特に気負う必要はない。君は侯爵家の令嬢なんだから」
「は、はい……」
不安げな表情で馬車が来るのを待つ。このお嬢さんも意外と顔に出るなあ。
リーナは姫さんに似た姿になると、ロイ殿下の直ぐ後ろに控える。
「ライル殿下、いつも通りでお願いします」
「前みたいじゃなくて良いんだな?」
「ええ、離宮で自分のことは自分でするようになって変わった、の方が人を増やされずに済みますんで」
「わかった」
アドバイスをすると、馬車から降りてきた老人にライル殿下は駆け寄った。
「お祖父様!」
「おお、これは殿下……お元気そうで何よりです」
性格の悪さがそのまま顔に出ているような、そんなタイプの老人だ。しかもこの爺様、かなり狡猾である。
名をドラク・フィルタード
リュージュ妃の父親で、ライル殿下の祖父だ。
俺達の中で共通の敵として認識している相手。しかし一切の証拠を残さないがために糾弾することもできない。
ロイ殿下や姫さん、それにこれから生まれてくるお子達にとって、とても危険な人物だ。
表向きとは言え、ライル殿下が王位継承一位なのは他の王族を守る事にもなる。あの件で継承権が取り消しにしなかったのは、そのせいもあるかもしれない。
ライル殿下の継承権がなくなったら、ライル殿下だけしか継げないようにすれば良い。そんな考えをしてもおかしくない相手なのだ。
それぐらい権力に執着のある爺様が畑にわざわざ来た理由はなんであろうか?
「なんで来たと思います?」
「さあね。人を増やしたい、とか?」
「後宮の人間も整理してますからね」
ライル殿下とフィルタード侯爵のやりとりを眺めながら、そんな話をロイ殿下とする。
このままこちらに来ないで王城に引き返してくれれば良い。
できるだけ早く!姫さんがうっかりこっちに出てこないうちに!!
心の中で早く帰れ!と念を送っていると、何かが侯爵に向かって飛んでいく。
細くて、長い……アレはヘビ、か?なんでヘビが飛んできたのか?
考えるまでもなく、ヘビが飛んできた方向には姫さん達がいる。きっとニョロリと現れたヘビを姫さんが投げたに違いない。
ヘビが飛んできた侯爵はそれは驚いて辺りを見回す。俺は咄嗟にポケットに入れていた小さな笛を吹いた。するとクアドが上空を旋回し始める。
クエーッと鳴く声に侯爵が気が付き、空を見上げながら何かをライル殿下に言っているようだ。きっとクアドがヘビを落としたと思ったに違いない。
侯爵はチラリとこちらに視線をむけ、ロイ殿下には何も言わずに馬車に乗り込むとそのまま王城へ戻って行った。
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