第45話 悪役令嬢、王太子に遭遇する

 衝撃の事実を知った「あの日」から、何度目かになるライルとの勉強会。

 ライルはこちらが想像していた以上に真面目に取り組んでいる。


 これは想像でしかないが、ランドール先生がライルに対して私と変わらず接してくれたのが大きいかもしれない。

 ライルは今まで王位継承一位として、周りの大人からチヤホヤされていたけれど、その裏で馬鹿にされていたことも知っていた。

 ワガママ王太子、と。


 子供だから気付かないだろうと思っているのかもしれないが、子供だからこそ、そう言った気配には聡くなるものだ。

 それに馬鹿にするような教え方をされれば誰だって気分は悪い。気分が悪いから授業をサボる。そしてまた分からなくなる。その繰り返しだったのだ。


 先生は一年前までの私の惨状を知っているので、知らないことが多くても家庭教師は教えるのが役目なのだから、と絶対に馬鹿にしたりしない。

 分からない前提で話してくれるから、知っていた時はちゃんと褒めてくれる。

 誰だってよく勉強してますね、と褒められれば嬉しいじゃないか。その方が勉強する気も起きると言うものだ。


「さて、今日はこのぐらいにしましょうか」


 先生の言葉に私達はペンを置いた。

 私とライルのできはそれほど変わりはない。ただ、私は計算が苦手で歴史が得意、ライルは歴史が苦手で計算が得意だった。他の科目はまあ同じくらい。

 おかげで分からないところは教えあえる。


「次はテストをしますから、今日までやった範囲をよく勉強しておいてくださいね」

「はーい」

「範囲は計算問題のこの部分と、歴史書のここからここまでで大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」


 ライルはきちんとテスト範囲を先生に聞いている。もしかして、私より良い生徒なのではなかろうか?

 その様子を眺めていると、ライルと目があった。

 どうかしたのか?と言うようにライルが首を傾げて見せる。


「ううん。何でもないの。ただ……ライルの方がやっぱり勉強はできるんだなって思っただけ」

「そうか?」

「うん。だって私と同じ所をやって理解できているんでしょ?」

「そうは言うが、一年でここまで出来るようにしたんだろ?」

「そりゃあ、必要だって言われればね……」

「両殿下とも大変よく学ばれていると思いますよ?」

「そうだと良いんだけど……貴族のマナーとかルールって嫌い」


 はっきり言って、貴族のマナーやルールは物凄く面倒だ。普通の勉強はまあまあ好きかもしれないが、一番楽しいのは庭を駆け回ったり、庭の手入れをしている時だろう。


「……お前にも苦手なものがあるんだな」

「そうね。多分、凄くいっぱいあるわ」

「父上から必要なことだって言われたんだから、諦めろ」

「こればっかりは仕方ないものね……」

「うん。そりゃ、庭を駆け回ってた方が楽しいけどさ。こればっかりはできないとダメだろ?」


 はあ、とため息を吐けばライルは苦笑いをする。なんだかライルの方が年上に見えるではないか!一年とは言え私の方がお姉さんなのに!!

 そんな私達のやりとりを先生はニコニコと笑いながら見ている。それに気がついたライルは少し恥ずかしくなったのか話題を変えた。


「そう言えば……今日から畑に行くんだよな?」

「うん。ロックウェル魔術師団長の予定が空いたから、今日から畑を直す作業をするわよ」

「汚れても良い服って言ってたから、ロビンにどうすれば良いか聞いたら兄上のお古を着ると良いと言われたんだが……着ても平気だろうか?」

「ロビンが良いって言ってるなら大丈夫。私も兄様のお古着てるし」


 ふと、何かを忘れていることに気がついた。

 そう言えば……今日は何か予定があったような?いや、なかったか……?軽く首を傾げれば、ライルは不思議そうな顔をする。


「どうかしたのか?」

「うんん。何か……忘れている気がするんだけど、気のせいよね」

「いや、俺に聞かれてもわからない」

「そりゃあ、そうよね……」


 でも何か喉元まで出かかっているのだ。

 そう、もうここまで————


 その時、部屋の扉がノックされ私は入室を許可する。

 ユリアナに連れられてロイ兄様と……アリシアが、入ってきた。

 そしてライルを見た瞬間、アリシアはパタリと倒れたのだ。

 幸いなことに後ろにロビンがいたので頭を打つことはなかったが、私は慌てて彼女に駆け寄る。


「あ、アリシア!?」


 彼女は直ぐに気がつき、そして私の腕を掴んだ。どこからそんな力が出ているのかと思うほど強く掴まれたのでちょっと痛い。


「る、ルティア様……わ、わた、わたし……死ぬんですかね!?」

「そんなわけないでしょう?」

「でも、でも、やっぱりシナリオの強制力が……!!」


 兄様に目くばせすると、兄様は心配そうにこちらを見ているライルの側に行ってくれた。私はアリシアの耳元にヒソリと呟く。



「アリシア———貴女、ライルと婚約してないでしょう?」




 私の言葉にアリシアはポカンとした表情をする。私はそんな彼女に肩をすくめてみせた。

 シナリオとやらが本当にあったとして、そのシナリオは既に崩れかけている。お父様は生きているし、アリシアはライルと婚約していない。

 ただし、あと二年の間に不足の事態が起こる可能性は否定できないけど。

 そこまでは言う必要のないことだ。現状、彼女は婚約者ではない。それが一番重要なことなのだから。


 落ち着きを取り戻したアリシアはロビンに支えられ何とか立ち上がる。

 私は大丈夫かと声をかけると、大丈夫だと返事が返ってきた。ただし、表情はまだ硬い。


 そう言えば、アリシアの話す物語の中のライルはどうしてアリシアが嫌いだったのだろう?今から二年後の魔力選定の儀式で、魔力量と属性の多さから彼女はライルの婚約者に選ばれた。

 アリシア自身はライルの7歳の誕生日パーティーでライルに出会って一目惚れしたそうだけど、ライル自身は婚約の挨拶に来た時、初めてアリシアに会ったはずだ。


 はどこにある?


「ルティア、アリシア嬢は大丈夫なのかな?」


 兄様の声にハッとして、私は大丈夫そうだと答えた。アリシアも大丈夫です、と小さな声で答える。

 私はライルにアリシアを紹介すべく、彼女の手を握ってライルの側まで連れて行く。


「ライル、彼女が私のお友達のアリシア・ファーマン侯爵令嬢よ」

「は、初めまして……アリシア・ファーマンと申します」


 綺麗なカーテシーをして見せた彼女を見て、ライルは口の中で彼女の名前を復唱する。そして、何かに気がついたようだった。


「君が、アリシア・ファーマン侯爵令嬢か……」

「はい……」

「俺はライル・フィル・ファティシアだ」

「はい。存じております……」


 何とも気まずい空気が二人の間を流れる。何故こんなにも気まずい空気が流れるのか?

 そこで私はもう一つ思い出したことがあった。そう言えば、私がベッドに押し込められていた時にライルが叫んでなかったか?アリシアと絶対に結婚しないと。


「ねえ、ライル。貴方、どうしてアリシアと結婚なんてしないなんて言ったの?」

「ひ、姫殿下!?」


 アリシアが悲鳴のような声をあげる。

 いや、だって重要なことじゃないか。お互い初対面のはずだ。それなのにどうしてライルは会う前からアリシアを嫌っていたのだろう?

 するとライルはバツの悪い顔をして見せる。


「その……優秀だって、聞いてたから……」

「優秀だからしないって言ったの?」

「だって、馬鹿にされたら嫌だし」


 私はその答えに首を傾げた。意味がわからない。優秀だと馬鹿にするのだろうか?そもそも私の隣にいるアリシアは……そこまで考えて、私は彼女を見た。

 青ざめた顔をしたアリシアは縋るような目で私を見ている。

 私はシナリオの強制力とやらを何となく垣間見た気がした。


「ライル、今の貴方はどうなの?彼女が貴方のことを馬鹿にするような子に見える?そりゃ、驚いて倒れてしまったけど……」

「いや、その……倒れたのは驚いたけど……俺、何か怖がらせるようなことをしたのか?」

「したかと言われると、したわね」


 ライルはキョトン、とした顔をしてから考えだす。そしてあ、と小さく声を上げた。


「シャンテとジルとリーン、だな?」

「当たり。彼らにあることないこと吹き込んだでしょ?」


 そう言うとライルは自分の顔を両手で覆う。心当たりがあるようだ。

 きっと周りの大人から吹き込まれたことをそのまま間に受けたのだろう。ライルはそろりと顔をあげると、アリシアに向かって頭を下げた。


「ごめん、君自身を知らないのに……勝手なことを言いました」

「あ、えっと……その……」

「アリシアはとても良い子よ。私のお友達なんだから、いじめたりしないでちょうだい?」

「うん……本当に、ごめん」


 素直に謝れるなら、きっとここから先の未来もまた変わるのだろう。

 しかし、シナリオとやらは何故アリシアを選んだのか?アリシアでなければいけない理由があったのだろうか?何だか釈然としない。


「さて、仲直りもできたことだし僕とアリシア嬢はお茶を飲んでるから、二人は早く着替えておいで」


 ポンと手を叩き兄様が私達に着替えるよう急かす。


「あ、そうね。ライル、早く着替えましょう?」

「あ、ああ……」


 今日はずっとの畑を元に戻す日。一先ずはアリシアとライルのことは置いておこう。

 多分、私一人で考えても答えは絶対に出ない。


 ロビンがライルの服を持ってきてくれたので、ロビンに空いてる部屋を使うように言うと、私は奥の部屋に引っ込んでユリアナに手伝ってもらい服を着替える。


 兄様達が待つ部屋に戻ると、同じタイミングで別の部屋でロビンに着替えを手伝ってもらっていたライルが出てきた。

 兄様のお古はライルにはまだ少し大きく、ロビンに袖を捲ってもらっている。


「まだ少し大きわね」

「仕方ないだろ?」


 確かに四つも離れているのだ。当然と言えば当然か。そう思っていると、ロビンが苦笑いしながら今のうちだけですよ、と言う。


「直ぐに大きくなりますよ」

「そうなの?」

「あっという間ですよ?ニョキニョキと伸びて見上げるようになります」

「本当に?」

「ええ、ロイ様も昔はこんなもんでしたし」


 そう言ってロビンは自分の胸より下の辺りに手をやってみせる。


「僕、そんなに小さくなかったと思うよ?」

「いいえ、小さかったんっすよ。まあ俺もですけどね」

「じゃあ俺もあと何年かすればもっと伸びるのか……」

「好き嫌いせずに何でも食べてれば伸びますよ」


 見上げるほど大きくなったライルは何だか想像つかない。今はまだ私よりも少しだけ身長が低いのだ。


「何だかあまり想像つかないわね」

「そうですか?俺は想像つきますよ。姫様の将来は特に、ね」


 そう言うとロビンは私を見て笑った。




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