第40話 懺悔
その日の彼女は大変焦っていたのだと言う。
離宮へ向かう回廊をカツカツと足音をさせて足速に歩く。普段の彼女なら絶対にそんな行動は取らない。それほど焦っていたのだ。
彼女の名はリュージュ・フィルタード侯爵令嬢。
先ごろ亡くなったフィラスタ・ロベルト・ファティシア王太子の婚約者だった。
フィラスタとは幼い頃から決められた婚約者。他の人よりは多少体が弱い彼を支えながらずっと過ごしていたと言う。
だからこそ前日に彼女の父親から告げられた言葉に納得なんてできなかった。
「ああ、なんてこと……」
普段の彼女らしからぬ動揺した姿は、幸いなことにあまり人の多くない離宮では誰の目にも触れることはなかった。
そして、当時唯一使われていた離宮に辿り着く。
彼女は扉の前で一度深呼吸をし、すがる思いで扉を叩いた。
中からは明るい声が入室を促す。
中に入ると、明るい茶色の髪に琥珀色の瞳をした大きなお腹の女性が幼い子供に膝枕をしながら微笑んでいた。そしてその隣では彼女よりも一段濃い茶色の髪に蒼い瞳をした男性が寄り添っている。
男性はアイザック・ロベルト・ファティシア
フィラスタの同母の弟で、隣のお腹の大きな女性はアイザックの最愛の妻であるカロティナであった。
常と変わらない二人の姿を見たリュージュは、ホッとして口走ってはいけないことを彼らに告げてしまったのだと言う。
「お願い、助けて!」
二人は顔を見合わせ、まず話をしようとリュージュをソファーに座らせた。
もうずっと、一緒になるのだと思っていた。フィラスタ本人もリュージュ本人も、このまま婚姻を成すのだと。
お互い思い合っていた二人は長い婚約生活の中で、ただ一度過ちを犯したのだ。
婚前交渉なんて本当はあってはならない。でも二人の結婚は本当なら半年も前に終わっていたはずなのだ。
フィラスタとアイザック、彼ら二人の父、先代の王が急死したことで婚姻が延期となった。
そしてフィラスタが王位に就くのと同時に式を上げる予定だったのだ……
そのフィラスタが、急死した。
原因は不明。リュージュにはどうしても信じられず、何度も医者に原因を調べるように頼んだが何もわからないと言われた。
フィラスタが急死したことにより、王城を離れて妻の実家である東の辺境地カタージュで暮らしていた弟のアイザックが王位に就くこととなり、彼が王城に呼び戻される。
フィラスタは大変優秀な王太子であったが、アイザックはその行動がいまいち読めない王子であった。
言うなれば何を考えているのかわからない。彼の中身を知っている者からすれば単純だと言うのだが、それを知れるだけの相手でもないからだ。
なんせカレッジの時に出会ったカロティナ・レイドール伯爵令嬢に一目惚れし、猛アタックの末にアカデミー卒業と共に結婚、そして彼女の実家があるカタージュへ早々に行ってしまったのだから。
普通の王族の取る行動ではない。
しかもちゃんと先代の王と東の辺境伯と呼ばれるレイドール伯爵にも許可を取り付けてたのだから、根回しは十分していたと思われる。
フィラスタはそんな弟の行動をお腹を抱えて笑っていた。
でもリュージュにはわかっていたのだ。
何故アイザックがそんなにも早く結婚して、カタージュへ行ってしまったのか。
カロティナと一緒になりたかったのも理由の一つだろうが、体の弱いフィラスタの為だったのだ。自分がいては、彼が王位につくのに差し障りがあるといけないと。
だからこそ、彼女はフィラスタが亡くなりアイザックの正妃になれと父親に言われた時に二人を頼った。
お腹の中にいる子供を守れるのは自分と、彼ら二人だけだったのだから————
***
リュージュ妃は淡々と当時のことを私達に語って聞かせてくれた。
お父様もその話を黙って聞いている。
そしてこの部屋にいるみんなも……
お父様は二つ返事でリュージュ妃が正妃になるのを了承したと言う。
彼女は幼い頃から正妃となるべく育ち、厳しい教育を受け、そしてフィラスタ伯父様を支えて実務に携わっていた。
お父様は伯父様が王位に就くと考えていたので、その辺のことは全て二人に任せ全く携わってこなかったと言う。
「兄上は……確かに多少、体の弱い方ではあったが……王位に就けないほど弱くもないし、それを補って余りある程の能力があった。それにリュージュが支えていたから全く問題はなかったんだよ」
「でも、あの方は急に亡くなってしまった……」
もしもフィラスタ伯父様の子供がお腹の中にいるとわかったら、無理矢理堕胎させられていたとお父様は言う。
リュージュ妃もそれに同意した。だからこそ、二人を頼ったと。
お父様は急に実務を継げと言われても勝手がわからない。それは亡くなった私達のお母様も同じだった。
正妃教育を受けていないのだ。直ぐに受けてなんとかなるものでもない。それにその時、お腹の中には私がいた。
「子供が産まれるのに、多少の誤差はある。それに半年も王位を空けていたんだ。これ以上、王不在のままにするわけにはいかない。だからこそ丁度良かった」
フィルタード侯爵はどうしても娘を王に嫁がせたい。ならば、アイザックが王位に就くと同時に、リュージュ妃を正妃として迎え入れることに難色を示すわけがないのだ。
「それで、私はライルを産んだの。あの人の子供だもの。蒼い瞳は絶対にでる」
私達の蒼い瞳は、王族の証でもある。
その当時から現在に至るまで公爵家はなく、蒼い瞳を持っていたのはフィラスタ伯父様とお父様、そしてロイ兄様、生まれる前の私とライルだけ。
誤魔化すのは容易かったとリュージュ妃は言った。
「陛下は、ライルをあの人の忘れ形見なのだからと王位継承一位にしてくれた。父にしてみれば、自分の後ろ盾があるからだと思ったでしょうね……」
「ライルは、本来兄上が生きていたら正しく王位継承一位だからね。ただ、それがフィルタード侯爵の派閥を増長させてしまった」
ファティシア王国には五つの侯爵家があり、そのうちの四家が建国当時からある古参の侯爵家だ。
フィルタード侯爵家はその古参の侯爵家の一つで、元々他の侯爵家に比べて発言力もあった。何より先代と現当主は権力に貪欲なのだとか。
先代の王へ娘を嫁がせる予定だったが、その娘が早くに亡くなり同じく古参のローズベルタ侯爵家の娘が嫁いで王太子を産んだ。
それがとても悔しかったのだろう。
次こそは!と意気込み、リュージュ妃を見事に王太子の婚約者へと押し上げた。
だからこそ、フィラスタ伯父様が亡くなったからと言ってリュージュ妃を正妃にすることを諦めるわけにはいかなかったのだ。
「リュージュはとてもよく尽くしてくれた。右も左もわからなかった私をカルバと一緒に鍛えてくれたんだ。私は本当なら、カロティナの実家であるレイドール家に入るつもりだったからね」
東の辺境伯、レイドール伯爵家。辺境伯と呼ばれているが、実際の所は普通の伯爵家よりは発言権はあるものの、レイドール家自体が権力に全く興味のない家風なので特に何するでもなく国境警備に取り組んでいる。
田舎者、と呼ばれても訂正しない。だからこそ侮られているのだが、レイドール家は全く気にしないのだそうだ。
そんなものは、有事の際に意味のないものだ、と……
「元々体を動かす方が好きだったから、カタージュは私にとってはとても魅力的な土地だったんだ。魔物を狩れば素材も取れるしね」
懐かしいなあ、とお父様が呟く。きっと本当に好きだったのだろう。もしや私のこの性格はお父様譲りなのだろうか?そう思っていたらお父様は更にとんでもないことを言い出した。
「カロティナなんて、子供の頃から国境沿いの森で遊んでいてかなりのお転婆でね?森の中では私よりもカロティナの方が強かったんだよ」
「カロティナ様はとても自由な方でしたね」
「だからこそ正妃には向かなかった。貴女はとても根気強く教えていたけどね」
訂正だ。多分、私の性格はお母様譲りなのだろう。
普通の令嬢は森でピクニックぐらいはするかもしれないが、森の中で強かったなんて言われない。
きっとカタージュで育っていたらお母様と同じ行動を辿っていただろう。
チラリとロイ兄様に視線を向ければ、ほんの少し生温かい目で私を見ている。
森の中ではなく、庭いじりなのだから可愛いものではないか。
「そうですね。公務で忙しい私に「私はお母さんに向いていて、貴女は正妃に向いている。適材適所だから、ライルのことは気にせず預けてくれ」と言ってましたから」
リュージュ妃は当時を思い出したのか苦笑いを浮かべる。ああ、この方はこんなにも柔らかい表情ができる方だったのか、と不思議な気持ちになった。
「実際、ライルはカロティナが亡くなる一年前まではロイとルティアと一緒に生活していたんだよ?覚えてないかもしれないが」
「ああ、やっぱりそうなんですね」
「え?」
兄様の言葉に私は驚く。
「そりゃルティアは生まれてから二年間だけだもの。覚えてないよ」
どうやら赤ちゃんが二人いた、と言う記憶だけがあって何故二人なのか?と不思議に思っていたそうだ。
ライルの面倒も見ていたのなら一緒にいても不思議はない。
「でも……そのカロティナ様も亡くなってしまった。私は貴方達を守る為に、後宮で一緒に育てるのではなく、離宮へと出し、ライルを手元で育てたの」
尤も、リュージュ妃は子供の頃から厳しく家庭教師達に躾けられていて、何が正しい子育てなのかわからなかったようだ。
だからこそ、家庭教師達にライルの教育を一任していたのだと。
ライルはその辺の事情を知らないから、厳しい家庭教師達、そして周りにいるライルに取り入ろうと甘やかす大人達、その両方に挟まれて混乱したに違いない。
「でももっと早くに、ライルに向き合うべきだった。こんなことになるのなら、私は陛下の申し出を受けるべきではなかった」
「リュージュ……」
「……お、れ……俺は……いらない、子だったのですか?」
ライルの言葉にリュージュ妃はいいえ、と頭を振りライルを抱きしめる。
「いいえ、ライル。貴方はフィラスタ様の子。とても大事な私の子よ。でも、貴方はしてはいけないことをしてしまった」
「俺は……」
「そうね、誰もそれを悪いことだと言わなかった。私も家庭教師達に任せきりで、貴方と向き合わなかった」
環境とは大事なものだ。良くも、悪くも作用する。
私と兄様の環境は良いとは言えなかったが、同じようにライルの環境も良いとは言えなかった。
お互いに羨んでいたのだ。向こうの方が、良いと……
「ライル、聞いて。あの近衛騎士達は貴方を守った。東のレイラン王国との間にある国境沿いの森は、魔物がよく出るの。特に最近は多いと聞いている。そこへ近衛をしていた人間が行く意味は、わかるわね?」
私はライルにそう問いかけた。ライルは私の言葉に青ざめる。
「彼らは、死にに……行ったのか?」
「本当なら直ぐにでも処刑されてもおかしくない罪を犯したの。お父様が私に下さった土地を害したのよ。そして何の罪もない、花師を殺そうとした」
「俺は……そんなことになるなんて思わなかったんだ」
「そうね。でも、それが王族がもつ言葉の力なのよ……」
「俺が、罰を受ければ彼らは助かるか?」
「それは無理。王家を軽んじる行動をした人を野放しにはできない。だからこれは、貴方が一生抱えていく罪なのよ。自分の行動が、人の命に直結するかもしれないってわかって」
もちろんこれは私にも言えることだ。
一歩道を踏み外せば、私がライルになっていた。ただ今回はそうならなかったと言うだけの話。
ライルは、ほんの少しだけ項垂れると私の目を見て「わかった」と返事をした。
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