第33話 王女の涙
ベルは傷をそのままに、王城の医務室へと運ばれて行った。
その姿を見送りながら、ベルがなぜ傷をそのままにして欲しいと言ったのかを考える。
きっと傷をそのままにしたのは、治してはそんなことはなかったと突っぱねられると困るから。例え、魔術師団に属する治癒師が治したとしても、治ってしまえば本当にあったかはわからない。
口裏を合わせていると言われてしまえばそこでお終いだ。それが一庶民であるベルと貴族の子弟からなる近衛騎士との発言の差。
本当なら今すぐ治してしまった方が良いのに。痛みが薄れても、傷が治ったわけではない。それでも治さないのは私のため。
怪我と言う証拠があれば何かしらの魔術式で証明できると思ったに違いない。
荒れ果てた畑を前に、私は立ち尽くす。
私はなんて無力なんだろう。三番目の、私の畑ならば近衛騎士達は荒らしても構わないと思ったのだ。
同じ王族でも継承一位と三位とでは一位の言うことを聞くのは当然で、三位の者は軽視していいと!
フツフツと怒りが湧いてくる。そして、私は怒りのままに叫んでいた。
「あったまきたああああああっっ!!!!」
フーフーと肩で息をしながら私は怒りを吐き出す。今は淑女のマナーなんて捨ててやる!覚えていろ近衛騎士!私だって継承三位とは言え王族は王族だ。普段は使わない王族としての権威をフル活用してやる!!
怒りは私の涙を引っ込めさせた。手始めにお父様に報告だ、と思っているとポンと肩を叩かれる。
振り向けば魔術師団長が大変にこやかな微笑みを浮かべていた。
「————姫殿下、是非とも、私にお手伝いさせてくださいな?」
「ロックウェル魔術師団長……私からもお願いします」
魔術師団長の協力が得られるなら心強い。きっと私だけでは思い付かない方法があるに違いないと、彼女へ頭を下げた。
多少笑顔が怖かったが、そんなのは二の次だ。
それよりも使える手札が多いに越したことはない。子供の私にはできることは限られているのだから。
私の言葉に魔術師団長は勢いのまま話しだす。
「ええ、勿論です!あんなに素晴らしい知識と経験をお持ちの方に酷いことをしたのです。目にもの見せてくれましょう!!愚かしき近衛に!!怒りの鉄槌を下してやります!!」
空に拳を突き上げて、魔術師団長はそう宣言する。私も同じ気持ちなので大きく頷くと、側で見ていたシャンテの顔が青ざめた気がした。
魔術師団長は早速、ポケットから大きめの魔法石を取り出すと魔術式を展開させる。するといくつもの魔術式が魔法石の中に消えていった。
複雑な魔法ほど使う魔術式の数も多くなると聞いたことがある。きっと彼女がしていることは、かなり複雑で大変な作業なのだろう。
たくさんの魔術式を吸い込む魔法石。その不思議な光景をジッと見ていたら、魔術師団長が私の手に魔法石をのせる。
「姫殿下、こちらに魔力を込めていただいても?」
「わかったわ!」
それがどんな魔術式かわからないが、きっと必要なことなのだろう。私は渡された魔法石に魔力を込める。
「ありったけでお願いします。これはかなり複雑な魔法式で……魔法式を入れてしまうと、私ではそれに込める為の魔力が足りないのです」
魔術師団長の言葉に頷く。どうやらかなり特殊な魔術式らしい。
ありったけ。ありったけとはどのぐらいだろう?いや、考えてはいけない。こう言う時は思い切りよくやらねば!!魔術師団長ですら大変なのだから、出せるだけ出してしまおう!それで倒れたらその時は、その時だ。
私は目を閉じて手の中にある魔法石に集中する。
魔法石に魔力を込めると言うよりも、魔法石に魔力を持っていかれているような感覚だ。もっとよこせと言われている気がして、更に魔力を込めていく。
「まあ、素晴らしい……」
魔術師団長の感嘆の声が上がり、魔術石はきちんと作動しているとわかった。
私はもっともっとと魔力を込めていく。
どれくらい時間が経ったのだろうか?少し足元がふらついてきた頃、魔術師団長からストップかかかる。
「姫殿下、もう大丈夫ですよ」
「私……ちゃんとできたかしら?」
「ええ、バッチリです。これだけ大量の魔力を込めれば、音声までしっかりと再生できます」
「それは……どんな魔術式なのかしら?」
音声を再生とは、なんだろう?と首を傾げると、魔術師団長はとても誇らしげな顔で教えてくれた。
「言うなれば記憶の再生です!!」
「記憶の再生?」
「ええ、この魔術式を使えば、その場所で起こった事柄を再生して他者に見せることができるんです。普通は誘拐などの犯罪が起きた時に使うんですけどね。姫殿下はチャイさんの血にも触れてましたから、かなり再現率は高いですよ!」
興奮した様子で言われて、改めて自分の手を見る。私の手はベルの血で汚れていた。痛かったろうな、苦しかっただろうな、と考えると涙が出そうになる。
でも泣いている暇はない。早くお父様に会って、ことの仔細を話さなければいけないからだ。
私は涙を堪えると顔を上げた。
***
先に離宮に戻り、侍女の一人にお父様への謁見の手配をお願いする。
彼女は心得たように直ぐにお父様の元へ行ってくれた。私一人では心許ないが、ロックウェル魔術師団長も一緒なら直ぐに会ってくれるだろう。
部屋に戻るとマリアベル様が心配そうな顔をしていた。そして私の顔を見るなり、そっと抱きしめてくれる。
マリアベル様からは優しい花のようないい匂いがした。
「姫殿下、よく我慢しましたね」
その一言で、今まで必死に抑えていたものが溢れ出てしまう。
ボロボロと涙を零しながら、私はマリアベル様に先ほど起こった出来事を話した。
「……ベルがっ……ベルがね、すごい怪我をしていたの。殴られたり、っ……蹴られたりしたらっ、絶対に痛いのにっっ……怪我を治さないでって……」
一度泣き出すと止まらなくなる。マリアベル様はドレスが汚れるのも気にせずに私を強く抱きしめてくれた。まるで本当のお母様のように。
だから本音がポロリと溢れてしまう。
「きっと私の力が弱いからだわ……私の花師なのにっ……私、何もできないなんてっ……!!」
「姫殿下、そんなことはありません。今、貴女様はご自分で何をすべきかお分かりでしょう?」
マリアベル様の優しくも意志の強い声に顔を上げる。
「姫殿下、できますね?」
もう一度問いかけられ、私は小さく頷いた。そうだ。泣いている場合ではない。
謁見を申し込みに行かせた侍女がそろそろ帰ってくる。
早く着替えて待たせている魔術師団長と共にお父様に会いに行かなければいけない。
私は抱きついていたマリアベル様の体からそっと離れる。
「私、お父様の所へ行ってくるわ」
「ええ」
「ベルを酷い目に合わせた人を絶対に許さないし、畑をぐちゃぐちゃにしたことも上乗せして絶対、絶対許さない!」
「その心意気ですよ。姫殿下」
私は大きく頷き、ユリアナに支度を頼んだ。
そして着替えてからもう一度マリアベル様に抱きつく。
「……マリアベル様、一つお願いがあるの。すごくワガママなことを言ってるってわかってるんだけど、聞いてもらえる?」
「ええ、どうぞ仰ってください」
「あの、あのね……お父様のところから戻ってきたら……マリアベル様のこと、お母様って呼んでもいいかしら?」
マリアベル様は私の言葉に驚いた顔をしたけれど、直ぐに嬉しそうに微笑んでくれた。
「ええ、もちろんです。頑張ってきてね、ルティア」
「はい!」
私は大きな声で返事をすると、離宮の外で待ち合わせをしている魔術師団長の元へ急いだ。
離宮と王城を繋ぐ通路の所では魔術師団長と騎士団長、それにリーン、シャンテ、ジルが待っていた。
「遅くなってごめんなさい」
「いいえ、大丈夫ですよ……姫殿下、目元が腫れてますね。冷やしますか?」
「いいえ。必要ないわ」
「ですが……」
言い淀む魔術師団長に向かって私は精一杯笑いかける。
「だって、その方がお父様も怒ってくださるでしょう?」
その言葉に騎士団長が苦笑いを浮かべながらも頷いてくれた。
「そうですね。可愛い娘を泣かせた不届き者がいるなら絶対に許せません」
「私ね、本当に怒っているの。ライルに対しても、近衛騎士に対しても。だから使えるものは何でも使うわ。だって私には、私自身には力はないもの」
だから力を貸して欲しいとお願いする。
王族がそう簡単に頭を下げるべきではないと、普通なら怒られるだろう。でも下げて聞いてもらえる願いならいくらでも下げる。
それが私のプライドだ。
私達はお父様の執務室の前に立つと、その扉が開くのを待った。
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