第7話
光で全てが見えなくなったのは、ほんの数秒のことだった。
そして、暗闇からの急激な閃光は、先程まで薄暗いながらも見えていた視界を、完全に奪った。
「あ"あぁあぁあ"あ"! なんでだぁ! ぼぉくぅがぁあああ"あ"!」
犯人の叫び声が、甲高く濁った悲鳴のように響き渡る。
明らかな隙だ。このチャンスを見逃すわけにはいかない。
だが、予想、もとい妄想を超えた光は使用した本人でも目が眩んでしまった程だ。
霞んだ目で、暗闇の中動く犯人の像を大体で捉えるが、次の一手に移りづらい。
「くそっ!……これじゃあ、こっちまで……」
どうやって相手が攻撃をしてくるのか、直接触れる必要は? 違うならば、射程距離は?
脳裏では先程の惨劇が自分に置き換わって再生される。一歩が踏み出せない……!
時間としてはほんの数秒の間だが、悠長に考えていられる時間もほぼ無いだろう。
頭の中のぐるぐるとした思考の渦とは裏腹に、身体を前傾に、左足を軸として腿から膝、足先へと力を込めて、全力の一撃を入れるべく、体制を整えるーー。
相手の意識を刈り取ってしまえば……!
グンと、力強く踏み出した一歩は、ずるりと力が右に抜けた。
ーーッ! 嘘だろ!!
べチャリという音と共に、床に半身を打ちつける。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
ーーヤバいヤバいヤバいヤバい! 早く起き上がらないとッ!
「あーぁ、正直、殺されるかと思った……」
声がすぐ側で聞こえる。
「きみもさぁ……ぼくを否定したんだ……」
どこか泣きそうな、感情を必死に抑えた声だった。
「だ、だから……死んでも仕方がないよね?」
こんなしょうもない形で最後を迎えるのは、ちょっと悲しすぎるなと思いながらも、最後にどんな奴に殺されるのか顔を拝むべく、顔を上げる。
犯人の顔はいたって平凡。これといって特徴も無く、どこにでもいそうな顔立ちだ。
案外、凶悪犯の顔って普通だなと、ぼんやり見る。
そしてーー、勝機はその奥にあった。
時間が必要だと察し、虚勢で体を奮い立たせる。
「お前さ、よく注意力が足りないとか、抜けてるって言われたこと無い?」
気取られないように、あたかも余裕があるように、笑いながら挑発する。
「な、なんだよ。良いだろそんなこと……。うるっさいんだよ! どいつもこいつもさぁ! 人を馬鹿にしやがって……。だぃたいさあ……君、自分の立場分かってるのかなぁ。無様にコケて、安っぽい挑発したって無駄だよ。さっきの光はびっくりしたけどさぁ、もう終わりだよ?」
「あー悪い悪い、別に馬鹿にしてるわけじゃ無いんだ。いやー俺もコケるとは思わなかったよ。本当笑えるよね」
あはは、と笑いかける。
「だ、か、ら、さあ! 自分の立場分かってないのかなあ!へらへら笑うんじゃねぇって言ってんだッ!」
「いやいや、分かってるって」
あまり長いこと話されると鬱陶しいから、少し食い気味に話しかける。
これ以上時間を稼ぐ必要はないだろう。
「ぁ……ぁああ"あ"あ"! その態度やめろって言ってんだろがああ"あ"!! しねぇぇぇえええ"」
側頭部への衝撃ーー。
その威力は首、胴体へと伝わりその足を宙へと舞わすほどの一撃だった。
そう、犯人の男は全力のフルスイングを叩き込まれたのだ。
「あんたがねッ!!」
ーー主婦の一撃だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「改めて、本当にありがとうございました!」
「そんなかしこまらないで良いのよ?あなたも助けようとしてくれたんだから、お互い様じゃない」
そう言ってカラカラと笑っている笹城さんは、紛れもなく命の恩人だ。
曰く、『買い溜め用の缶詰と火事場の馬鹿力ね』と言っていたが、一介の主婦があの状況で未知の力を持つ男を横薙ぎに吹き飛ばしたというのは、眼前で見ていた自分でも信じられない。
「うちの旦那なんて……はぁ、まだ気分が悪いみたいであっちで吐いてるのよ。全く情けないったら」
「いやー、あははは」
平然としていられる方がよほど凄いのでは、と思いつつ愛想笑いをする。
「それにしても警察遅いですよね。他にも事件があるんでしょうか」
「本当よね。あー嫌だわ、今日帰れるかしら……」
「帰る……あ、ヤバい。すいません、ちょっと家に電話してきます!」
安心したせいですっかり頭から抜け落ちていた。
結衣に連絡をしていない!
ケータイを開くと、メッセージが50件近く来ており、全てが結衣からだった。
『お兄ちゃんご飯まだー?』
『お腹すいたー』
『遅くない?』
『なんかあった?』
心配した内容やスタンプ爆撃が繰り返されている。
電話も来ていたようだ。
恐る恐る、通話ボタンを押すと、ワンコールにも満たない速度で通話が繋がる。
「……お兄ちゃん、今どこで何してるの?」
背筋が寒くなるような、声だ。
「いや、本当ごめんね? 事件に巻き込まれちゃってて」
「ふーん。事件、ね。……それって1時間半も連絡できない事だったの?」
「それは……。でもね、人がし……、明日には帰れると思うから!」
思わず事実が口をついてしまいそうになるが、無理やりに誤魔化す。人死があったなんて、ましてやもう少しで自分も危なかったとは口が裂けても言えまい。
「全然質問に答えてないんですけど。ていうか、明日ってどういうこと!? 今日帰らないつもり!!?」
うまく言い訳が出来ず、妹の怒りのボルテージが段々と上がっていくのを感じる。
「あ、いや、ちょっと訳ありっていうか……。そうだ! 肉じゃが! カレーの具材なら肉じゃが作れるから!」
「あのさあ、別にご飯で怒ってるわけじゃないの、分かるよね?……なんで連絡しなかったのか、なんで帰れないのか説明しなさいって、言ってるの」
悪手に悪手を重ねて状況は最悪に等しい……。
自分でも何を言ってるんだこいつは、としか思わない。
……流石にプリンだけでは機嫌も直らないだろうなぁ。
「ちょっと貸してごらん?」
肩を叩かれ振り返ると、笹城さんの旦那さんだった。
「え、でも妹、すごく怒ってて……」
「大丈夫、任せて」
優しく微笑んで、スッと手からケータイを受け取ると、おもむろに話し始める。
「あ、もしもし。すみません、私笹城という者でして……。ああ、いえいえ。……実はですね、お宅のお兄さんに助けていただいた次第でして。……ええ、先程気分が悪くなってしまい吐いていたところを助けていただいてですね。……ええ、その関係でなかなか連絡が……そうなんですよ。本当に優しいお兄さんで、ありがとうございました。私が言うのもおかしな話ですが、どうか叱らないであげて頂けませんか?……ええ、では」
「はい、たぶん大丈夫だよ。後は何かプレゼントでもあげると良いよ」
「え、あ、はい」
まだ繋がっているケータイを耳に当てる。
「……もしもし?」
少し、怖さを感じながらも話しかける。
「……うん。笹城さん、だったっけ? 事情は大体分かったよ」
まだ、不信感はあれども納得してくれたようだ。
「帰ったらさ、ちゃんと話すから」
ふと旦那さんを見ると、良かったねと口パクで言った後にウインクをしてくれた。
なんて良い人だろうと思い、軽く会釈をする。
「……プリン。……プリン買ってくれたら手を打ってあげる。いつものだよ?」
「うん、ちゃんと買って帰るよ。それじゃ。」
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