第6話


 外に出ると空はすっかり陽が傾き、夕暮れ時だった。

 近所のスーパーまでは歩いて10分程度で着くため、ちょっとした散歩には程度が良い。


「それにしても、いつも通りの風景だなぁ……」

 思わず口から独り言がこぼれ落ちる。


 ちょっとした期待を持って外に出たものの、そう変わり映えはしないのが現実だ。

 人通りこそ少ないものの、見慣れた町でしかない。

 悲しきかな、目が覚めたら異世界に飛んでいた、なんて物語は存在しないのだ。


 そんなことを考えて歩いていると馴染みのスーパーにたどり着いた。


 店内には軽快な音楽が鳴り響き、独特の空気が感じられる。

 しかしいつもと違う点として、人気がやはり少ないことと、食材が粗方売り切れていることがあった。


「ほら、もっと早くこないといけなかったじゃない!」


「いやぁ、参ったね。こりゃあ……」


 夫婦だろうか、女性が男性を叱っている。


 どうやら、先立って買い占めがあったようだ。

 カレーのルーはあるだろうか……。


 生鮮売り場を一気に抜けて、缶詰やルーが置いてあるコーナーに入ると……拍子抜けするほどあっさりと見つかった。

 こういうものは需要が低いのだろうか。


「よしっ。後は……食後のプリンでも買おうかな」

 人の少なさを良いことに、呟きながら結衣の好物のプリンを買うことにした。


 結衣が喜んで食べているのを思い浮かべて、ちょっとしたサプライズになればと顔が綻ぶ。


 プリンは店内の奥側にあるチルドコーナーに陳列されている。

 近づくとバターや牛乳などは案の定売り切れているが、目的の品物はちゃんと置いてあった。


 我が家では、『とろける口どけ、大人のビタープリン』というパッケージのプリンが定番だ。

 口に入れるとトロリと溶ける舌ざわりの良さと、甘すぎず、ほろ苦いカラメルの相性がマッチしており、とても美味しい。


 さてプリンも買えたし、早く帰って料理しよう。などと考えていると、急にガコンっという音が店内に響いた。

 先程まで聴こえていた店内BGMが止まったようだ。


 機械の故障?

 ……今日の事件のせいだろうか?


 少し様子を伺っていると、今度はバンという音が聞こえたかと思えば、店内の電気が落ちた。

 店内は一気に夜の様相へと姿を変えてしまった。


『えー、ただいま原因不明の停電が起きました!お客様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、暗闇の中歩くと危険ですので、そのままでお待ちください!』

 特売時などに使うメガホンだろうか、かすれた音声で店内アナウンスが流れる。


「おいおい、嘘だろ?こっちは疲れてるんだから何とかしろよ!」

 レジの方から怒声が聞こえきた。

 どうやら、気の短い男が店員に文句を言っているようだ。


 動くなとは言われているが、完全な暗闇でも無いし、気になって少し近づいてみる。


「…さぃ…。ぉれの…じゃなぃ……すぞ」

「あ"あ"?小さくて何言ってんだか聞こえねぇよ!」


 先程からひどい憤りようだ。

 別に店員のせいじゃないだろうにーー。


 どんな男か見てやろう、そう思い、角を曲がればレジのコーナーへ、と差し掛かった時だった。


 バンっというスイカが破裂したような、水分を感じる音がしたすぐ後に、ピチャピチャと何かが飛び散った音がした。


ーーえ?……嘘だろ?


足元数センチ先には、暗闇で見え辛い中でもハッキリと分かる物が飛び散った。

 灰色っぽい白い物体に赤色の液体が混じりながら、べっとりと床に撒き散らかされたソレは人間だった物だ。


 大学のマウスの解剖を行った時に酷く気分が悪くなった臭気、それに似た臓物の臭いが一気に鼻腔へと広がる。


「ンなッッッ!!」

 思わず口から声が漏れそうになるが、我慢できた。


 明らかな危険がある中で自分の存在を知らせるのはまずい、とどこか冷静な頭で判断が出来たからだ。


「あっひゃ……あははははは!」

 唐突にイカれた笑い声が響き渡る。


 こんな状況で笑えるのは、十中八九コレを起こした犯人だろう。

 恐らく自分のいる角の向こう側には、居る。


 警察に通報するのが一番良いことはもちろんだが、この距離では音でばれてしまう。


 店内の端の方へ距離をとらないと……。

 ジリジリと正面を向いたまま、すり足で後ろに下がる。


 こちらの心中を知ってか知らずか、タイミング悪く後ろの方からバタンとドアが開く音と、バタバタと小走りで前へと走る音が聞こえる。


「えーお待ちいただいているお客様には大変申し訳ございません! 足下も暗いため、お一人ずつーーへ?」


 「あ"あー、てんちょうじゃないですかぁ」

 嬉しそうに、親しげな人へ話しかけるように声が聞こえた。


「や、やじまくん?これは一体……?」


「へへっ、いっつも僕に絡んでくるクレーマーいたじゃないですかー、今日は一人で対処できましたよ!」


「へ、対処?……あ、あ、ぁあぁああ"あ"!」

 絶叫が響く。


「ぅうるさいなぁ! ぁ、頭に響くじゃないか!」

 ーーバンッと音がした。


 店内は静寂に包まれた。


 また一人殺された……。


 心臓がドッドッドッと経験したことの無い早さで打ち鳴らす。それは向こうに聴こえてしまうような気がするほどだ。落ち着け、落ち着けと胸元を掴みながら念じる。


 焦るほどに全身には汗が噴き出し、頭がクラクラとしてくる。


 停電の影響だろうか、先程の臓物の臭いは咽せ返るように強くなり、吐き気が込み上げてきた。


 ーー今吐いたら間違いなく、俺も殺される!


「ぁぁ、店長は別に殺すつもりじゃなかったのに……」

 呟くような声が、やけにハッキリと聞こえる。


 ぼーっとする頭で、不思議と場違いに今日の結衣との会話が思い出させられる。


 魔法でもあれば良いのにね、そんな会話をしたっけ。

 ……今は心底そう思う。


 どんな魔法が有ればいいだろう。


 例えば、炎の魔法が使えれば、この犯人を燃やしてしまえば……。いや、死ぬ前に反撃されてしまったらタダじゃ済まないだろう。

 だったら、肉体強化で全力で逃げるなんていうのは……。それも向こうの反応の早さ次第では、やられてしまう。


 それならばーー。


「お"え"ぇぇ」

 店の入り口の方だ。


「……誰?ドゥアダァぁああ"あ"」

 雄叫びが聞こえると同時にキャー! という悲鳴も聞こえてくる。


 バレないように少しだけ頭を出してそちらを見ると、先程の夫婦だ。

 レジを超えて入り口のすぐ側で旦那さんが吐いており、奥さんが支えるように手を回している。


 そして、街灯の光で黒く光る返り血を浴びたソレが見えた。

 ゆっくりと近づいていっている。


 人の絶望に染まった表情というのは、そう見ることはないだろう。

 ……もう間に合わない距離だ。


 それでも、その奥さんは震える手で旦那さんを連れて逃げようと引っ張っている。


 こんなのは間違っている。

 人がこんな簡単に死んで良いはずがない。


 いつの間にか身を乗り出していた自分に気付いたのだろう、パクパクと口を動かしている。


 ……ああ、声が無くても分かってしまった。


 た・す・け・てーー、だ。


「っく、このっクソ野郎!!」

「ひぁっ!」

 思わず口をついて出てしまった言葉は思ったよりも大きく、何よりも驚いて肩をびくりとさせた犯人に、笑いが込み上げる。


 あーあ、結衣お腹減らしてたよなぁ。

 せっかく食後のプリンまで買ったってのに……。


 でも、兄ちゃん我慢できなかったんだよ……。


 背中からゆっくりとソレが振り返ってくる瞬間、魔法が使えるならば、今ここしか無いな、などと考える。


 全身から右手にかけて何かを集めていく感じで、ゆっくりと感覚を探る。人間には五感しか無いはずだけれど、それ以外の感覚を探し出す気持ちでーー。


 瞬間ーー、視界から色が消えた。

 正確にはあまりにも眩しく、真っ白な光が目の前で弾けたと、少し遅れて気がついた。

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