番外連載 原初神

「変身っと」


 “時間”の気の抜けた声と共に、世界にカチリカチリと秒針が動くような音が響いた。


 人としての姿が解ける。


 時計が立ち上がった。


 巨大な、ティタン神族すら上回る巨大な時計。長針短針秒針が重なり、零時零分零秒を示して輝くそれを後光のように背負う者。


 関節部をガコンガコンと、カコンカコンと歯車が回転し、人型の頭部、胴、腕、脚、指を構成するのは黒く輝く長針と短針だった。


 これこそが機械仕掛けの時間神。


 黒が生み出した世界の種子にして、最初の時間の流れ。原初神“時間”だった。


「……変身」


 むっつりと黙り込んで目を閉じていた男が、ぼそりと呟く。


 人としての姿が解ける。


 なにも無い巨神が立ち上がった。 そこに確かに存在するのに、輪郭も無ければ光り輝いていもない。


 ぽっかりと空間を消して無いのに有るという矛盾。全てを無に還しながら意志ある力。万象の世界にあってはならない例外。


 これこそが全てを抹消する虚無神。


 黒が生み出した世界の種子にして、最初の無の概念。原初神“無”であった。


「変身する」


 男の瞳から光りが瞬いた。幾つも幾つも幾つも。


 全身が光りが輝いた。幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも。


 人としての姿が解ける。


 深淵が立ち上がった。その巨大でどこまでも黒い輪郭の中で、途方もない数の光が輝いている。


 星の輝きではない。一つ一つの光は銀河だった。その手前で輝くのも、その奥の奥で輝くのも、上下左右で輝きさらにその上下左右で輝くのも。全部全部。星の数の銀河。


 これこそが宇宙という深淵そのもの。


 黒が生み出した世界の種子にして、果てなく膨張し続ける世界の枠組み。原初神“宙”であった。


「変身」


 翁の全身がメラメラと燃えるオレンジの炎に包まれる。


 人としての姿が解ける。


 最初の火が立ち上がった。先の三柱と比べて異様ではない。精々が惑星を見下ろす人型の炎と言った程度だ。


 だがその身に秘めたあまりにも恐ろしき概念。


 最初の火とはプロメテウスが簒奪したものでも、ヘーリオスの太陽でもない。天地開闢のきっかけ、こそが最初の火。


 これこそが世界のきっかけ。


 黒が生み出した世界の種子にして、命の始まり。原初神“火”であった。


「おおおおおおおおおおおおお!?」


 同時に現れた創造神級四柱に、時の翁としての側面を持つクロノスが絶叫を上げながらいきなり切り札を切る。


 彼はかつてティタン神族とオリュンポスの神々の戦い、ティタノマキアにおいて憎き愚息であるゼウスの武具から放たれし雷の時を止めて隠し持っていた。


 それは全宇宙を破壊する至高。


「奔れケラウノス!」


 ケラウノスの雷撃だった。


 最盛期のゼウスが放った雷の時が動き出し、全宇宙を破壊する光が原初神達に向けて迸る。


 特に宇宙の概念を宿した“宙”はひとたまりもない。


 筈だった。


「百四十億にも満たない、眠っている赤子の身は焼き尽くせたかもしれんがな」


 “宙”は健在。どころかなんの痛痒も感じていない。


 桁が違うのだ。全次元を見回しても最も古いかもしれないナニカから分かたれし原初の“宙”が、クロノス達の次元の宇宙を赤子扱いする。


「はっはっはっ! 昔を思い出すなあ! 皆の子供達は完全なる破壊とか、絶対の概念とか考えるの好きだったよね!うちのマイサンも中学二年生頃そうだったよ!」


「意志ある者はそういうものだろう。なにも我らの子や貴明君だけがそう考えていたのではない」


「うっかり絶対の全知に足を踏み入れて慌てた奴の言葉は説得力があるな」


「はっはっ。違いない」


「……ふっ」


 昔を懐かしんで笑う“混沌”に“宙”が肩を竦める。しかし、その余裕ある“宙”のやらかしを“時間”が突っ込み、“火”と珍しいことに“無”が笑う。


「じゃあとっととやるか」


「……」


「そうだな」


「ああ」


「了解! “時間”、じゃなった。原初神ジャーブルー!」


「“混沌”の馬鹿野郎! その設定まだ生きてるのかよ!」


 “時間”の提案で、原初神達がクロノスとティタン神族を囲むように移動する。


「とりあえず垓でいいか」


 腕を組んだ“時間”の前に、後光のように輝いていた時計が展開して、目にも止まらぬ速さで時針が回転を始める。一垓年の時間をティタン神族に叩きつけて、今現在の時間軸から叩き出すつもりだ。


「……」


 “無”の掌に消去の概念が宿る。本気になれば対象を時間軸からも完全抹消して歴史を変えてしまうため、加減をしたものだ。しかし、逆を言えばそのほかの消去に関しては全く考慮していなかった。


「二十ほどで十分だろう」


 “宙”が胸の前で手を重ねると、その僅かな隙間に生み出された二十の星が圧縮される。


「一兆としようか」


 “火”の右腕から炎が迸る。万が一にも一兆度の炎が地球で発生すれば、母なる星は即座に燃え尽き太陽系に被害が拡大するというのに、それをほんの戯れで生み出した。


「えーまた一兆?」


「なら十兆だ」


 “混沌”の茶々入れに“火”は滅びの炎を更に燃え上がらせた。


「っていうか変身するの忘れてた!」


 ここで“混沌”は、自らが人としての体のままだったことに気が付く。


「変身!」


 人としての姿が解ける。


 世界が現れた。


 クロノスとティタン神族が連れ込まれた、どこまでも続く真っ白な地平線と空にある宙が、真っ黒に塗りつぶされる。


 だがティタン神族はそれを認識できない。微生物が地球の概念を理解できるはずがないように、彼ら巨神にとってすら“世界”は大きすぎた。


 この世に存在する全て。概念現象である中身と宇宙すらも超えた枠組み。それが単一の存在として意思を持つ恐怖。


 世界の種子である“時間”、“無”、“宙”、“火”を生み出したナニカとしか言いようがない最初の黒。


 それがいつからあったか誰も分からないせいで、全次元で最も古い可能性すらありながら、自我を確立させてしまった世界。


 己の世界と別の世界を移動した、異世界を行き帰りした異世界。


 ティタン神族たちと原初神がいるこの果てない場所こそが。


「よーしやるぞー!」


 原初神“混沌”が体である世界そのものから声を発した。


「進め」


 “時間”が一垓年の歳月を叩きこむ。


「……」


 “無”が消去の概念を放り投げる。


「解き放つ」


 “宙”が圧縮していた星を解放する。


「燃えよ」


 “火”が開闢のおままごとを放射する。


「ていや!」


 そして“混沌”が世界という名の拳で殴りつける。


 これに対してクロノスとティタン神族がなにかを出来る筈がない。それどころか、原初神達の攻撃が直撃する前に決着がついた。


 進む時間の余波で、垓の年月にたどり着く前に塵に変わる。


 無のほんの先が触れた瞬間に消失する。


 圧縮された星の中心にたどり着くことなく圧壊する。


 十兆の炎に至っては、完璧な制御から解き放たれた瞬間に敵を燃やし尽くした。


「お前達はなんなのだああああああああああああ! ぎっ!?」


 そして……なんの権能も宿っていない世界という握りこぶしは、同胞たちが放った恐るべき概念に負けず、訳が分からないと叫ぶクロノスを完全に消し飛ばした。


 かつて全宇宙を支配した老神が知る由もない。ただ偶然居合わせた少女達から縁ある男が飛び出し、その男と更に縁ある“混沌”が飛び出してきたという、マトリョーシカのような事態の結果でクロノスは滅んだのだ。


「さて。えー、ここに全員分の猫ちゃんズはっぴがあります!」


「よし! 寝るぞ!」


「……」


「優勝が懸かってる試合だったら、応援するのもやぶさかではない。もう一度言うが、優勝が懸かっている試合だぞ」


「ではな」


 人の姿に戻った“混沌”が、応援している野球チームのはっぴをどこからともなく取り出すが、同胞たちは全く相手にしない。


 そして彼らの感覚ではついこの前にも別れの挨拶をしているため、“時間”、“無”、“宙”、“火”は素っ気なく元居た場所、“混沌”の中に戻って眠りにつく。


「……」


 あとに残された“混沌”が項垂れる。それは同胞達と別れた悲しさか。


「今年こそ……今年こそ猫ちゃんズは優勝するからみてろ! 絶対叩き起こしてやる! あ、幹也君全部終わったよ!」


 そんな精神ではなかった。彼は毎年外す予言を口にして、幹也に顛末を報告すると自分の家がある次元へ帰還した。

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