番外連載 箱箱箱箱

「織物は得意かい?」


「服飾店を経営していて、偶に設計することもあります」


 安楽椅子に座っている老婆が編み物を続けながら質問して、アリスが答えた。


「男は、まあそれだけ器量がよかったら言い寄ってくるだろう」


「その……」


 続いての老婆の質問は確認に近い。曖昧に頷くマナやアリスの顔立ちを見れば、男が言い寄るのは目に見えていた。


「狡猾。会社なんて経営してたら狡猾じゃないとやっていけないか。ヒッヒッヒッ」


 そして上機嫌で笑い始めた老婆に、アリスとマナはなにも言わずお互い目線を合わせた。それを雑な言葉で表現すれば、どうするよこの婆さんといったところか。


「それで、愛しの男とはどこまでいってるんだい?」


「えーっとその」


「まあ、色々と……」


 老婆の井戸端会議は終わる様子がなく、アリスとマナはたじたじだ。今まで経済界の重鎮相手にも余裕を貫いてきた彼女達は、たった一人の老婆に対応できなかった。


「ああ、ヒモにしようとしてる真っ最中か。やっぱり私とそっくりだね。私の旦那も生活力が皆無だったから、ヒモと言えなくもなかった」


「は、はあ……」


(やりづらい……)


 普段は他人の心を読み取って利用してきたアリスとマナだが、自分がそれを受ける立場になると、隠し事ができないやりづらさを感じていた。しかもそれが年寄りの思い出話に繋がるのだから面倒この上ない。


「独り言だがね。私とあんた達が心を読めるのは、ある力がとてつもなく劣化して、更に変質した産物だ。そして嘘の判別はそれがより小さくなったものなんだよ」


「それは……」


「なんなのですか?」


「ヒッヒッヒッ。独り言と言っただろう。自分で考えるんだね」


 しかも、年寄りらしく思わせぶりなことを言って煙に巻く有様だ。自分達の力のルーツを知ることができると思ったアリスとマナは、心の中でしかめっ面になる。


「ああそうだ。うちの連中に、あんたらの結婚へ首を突っ込むなと言っておかないとね。それだけ器量がよかったら引く手あまただろうけど、おじさんとやらがその結婚待ったなんて言い出して、略奪愛に巻き込まれたら命がいくつあっても足りやしない」


「本当ですか!?」


「ぜひお願いします!」


「ヒッヒッヒッ」

(東方の諺じゃ触らぬ神に祟りなし。だったかね。世界に喧嘩売るなんて冗談じゃない)


 アリスとマナは老婆がどれほどの影響力を持っているか分からないが、それでも母親達の恐縮しきった様子で少なからず窺い知ることができる。その老婆がある意味で後ろ盾となってくれることに喜んだが、老婆にしてみれば当然だった。


 たった一枚の紙切れから感じる尋常ではない力は、老婆が見てきたものの中でも有数なのだ。そんな大アルカナを二十二枚。特に完全を意味する世界まで所持している相手と事を構えれば、なにが起こるか想像もつかない。それ故に予防線を張る必要があった。


「ま、あんたらが結婚式場でその男に攫われる妄想をしてるなら諦めな」


「そ、そんなことしてません!」


「そうです!」


「ヒッヒッヒッ。そういうことにしておこうかね」


 アリスとマナは顔を真っ赤にしながら反論するが、老婆は笑うばかりで相手にしない。


 次の瞬間、巨大な屋敷の中の人間と周りを囲む森の生物が静止した。


『ギャハハハ! 停止結界を確認! 非常に高位! ファッションショーで行われたものと類似!』


 死神のカードが警告を発した。


「ちっ」

(これだけの力となると……バチカンの切り札はヒュドラとテュポーン事件の混乱で行方不明になってたはず。いや、弟がテンプル騎士団にいると聞いてる。狙いは死神に纏わりつかれてる小娘二人か。一神教の総意だと面倒だね)


「え!?」


「大婆様!?」


 老婆は舌打ちをしながら窓を開け広げると、アリスとマナを抱えて外へ飛び出した。そして底知れない情報網を持つ老婆は、下手人の推測までできていた。


(囲まれてるか)


 しかしそこまでだ。老婆は部屋の外に広がる森の中に逃げ込んだが、彼女の力はかつてと比べて悲惨なほど衰えていた。そのため追手は老婆達を取り囲むことに成功する。


「夜分に失礼いたします」


「いきなり結界を張って失礼と言われてもね」

(学者肌で現場組じゃない? 組織が割れてる?)


 老婆は自分達を包囲する人間達を観察して正解を導き出した。どうも頼りない顔つきと体格の者達は、鉄火場を潜り抜けてきたとは到底言えず、そんな者が現場に出てくる状況は限られている。


 彼ら、テンプル騎士団の離脱者達はよく言えば事務方、悪く言えば現場を知らない理想主義者だった。そんな者達が粛清を逃れて離脱できたのは、偏に停止結界を扱える者が混ざっていたからだろう。


「それで用件はなんだい?」


「我々が持つ箱、いや、甕を閉じて欲しいのです」


「それはそれは……まさかまだ残っていたとはね……」

(しくじった! 狙いは私の方だったか! この二人は置いてきた方がよかった!)


 老婆は全てを察した。二つの失敗も。


 一つ目の失敗は、下手人たちの狙いは死神に付き纏われ、騒動が約束されたアリスとマナだと思い込んで、両脇に抱えていた点。とはいえそれも仕方ないだろう。この、老婆は直接狙われたことがなく、極極一部の秘密を知る者から聖女の原点として敬われていたのだ。尤も、一神教最盛期に秘密が漏れればその限りではなかっただろうが。


 そして二つ目の失敗。


(大洪水の中でも壊れなかったか!)


 ギリシャ世界が一新された大洪水に投げ込み捨て去ったアレは、破壊されたと思い込んでいた点。


 特注の小さな甕が。


「伝説は二度目を開けてそのままです。ですから閉じて欲しいのです。他ならぬ貴女の手で」


「閉じたところで中身は空っぽだろう」


「いいえ。極東の秘宝に、中に入れた物の時間を巻き戻すというものがありますが、それも我々の手元にあります。それを使って甕に中身があった頃まで巻き戻します。しかし、伝説では貴女が開けたままですから、我々が閉めた状態で時間を戻しても完全ではない可能性がある」


「そのあと私を殺すって?」


「……」


 懇願するような離脱者の声だが、老婆の自分を殺すという問いかけには黙り込む。


 テンプル騎士団の離脱者達には問題があった。


 奪取した玉手箱を詳しく調査すると、その力はあと一回分しかなかったのだ。とはいえ、秘匿されていた物だから回数があるのは予想はされていた。


 しかし、理由が力の消失したアーティファクトの復活だけではなく、寧ろ政敵がデータを消去して捨てたパソコンや、スキャンダルの種の復元に使われたことの方が多いこと。そして最後の一回を使った奴の責任だから、後は自分の責任じゃないと無責任極まりない扱いだったのを知ったら、反乱者達は憤死するかもしれない。


 尤も、離脱者達も客観的に見れば独善で動いているので、結局人間はその業から逃れることはできないということだろう。


 話を戻すが、そのせいで試しに実験をすることができず、確実な方法を取る必要があったが、それには手順があった。


 まず開いたままのアレを、開いた人物の手で閉じてもらってから時間を巻き戻さないと、伝承に負けて無意味になる可能性があった。


 だがそれが上手くいっても、アレの時間を巻き戻せば全人類が楽園に導かれるのだが、危機意識が薄くなってしまう。そうなると残っている最大の危険因子に対して、離脱者達は気にせずほったらかしにしてしまうだろう。


 だから時間を巻き戻す前に、自我がはっきりしている状態でその危険因子を取り除く必要があった。


 この計画で絶対に許容できない、神々に定められた好奇心に負けてアレを二回も開けた実績がある女。


 一度目はあらゆる災厄を解き放ち、二度目は希望を開放した神造人間。


 玉手箱の中に入れられた甕の持ち主。


 アプロディーテーから男を惑わす魅力。アテナから機織りや女の仕事の能力。ヘルメスから狡猾を贈られた者。


 その名が意味するところは全ての贈り物。


「お願いですパンドラ殿」


 パンドラという女だった。


「ヒッヒッヒッ。やりたいことは分かる。宇宙からの危機、眠っていた筈の怪物達。それを避けるために甕の時間を巻き戻して、災厄を閉じ込めるって魂胆だろ? まあ、確かにそれらがなくなったら、苦痛のない人間は再び楽園で生活してると言えるだろうね。十分考えは分かるとも」


 老婆が、現代まで生きていた、少なくともギリシャ神話体系で最初の女であるパンドラが言葉では理解を示す。


 ありとあらゆる災厄が詰め込まれた甕は、パンドラの手で解放されてしまった。しかし、それを彼女が閉じた状態で玉手箱に移し、解放される前の時間に巻き戻せば、この世から戦争、疫病、不安といった災厄は消え去るだろう。


 それは必然的に、つい最近巻き起こった騒動と人類は無縁でいられるということであり、唯一の解決策でもあった。故に離脱者たちの導き出した答えは間違いではない。


 だがあくまで言葉での理解だ。


「では!」


「ヒッヒッヒッ。断る」


「なっ!?」


 色めき立つ離脱者達だが、パンドラの即答に絶句した。


 災厄がない世界をパンドラは知っている。人間はなんの危機感も抱かずにただその日をぼうっと過ごしているだけであり、神々の都合のいい家畜だったのだ。それを再び起こそうとする離脱者達の目論見は、パンドラとしては到底許容できないものだった。


「なにか勘違いしてるようだね。ゼウスがプロメテウスへの復讐のために、人間が災厄を解き放った形にしたくて私を作り出したのは間違いない。しかしね。私は神に唆された訳でも、好奇心に負けて災厄を解き放った訳でもない。私は私の意志で開けたんだよ。旦那もその場にいたけれど」


「き、貴様! 自ら楽園を壊したというのか!」


「見解の相違だね。災厄こそが自己意識も危機意識もない神の奴隷が、家畜が人として唯一自立できた手段なのさ。ゼウスも馬鹿なことをしたもんだ。態々牧場の家畜に、神を打ち倒す手段をくれるなんてね。誓ってもいいけど、予想だにしなかっただろう。あの玉座に拘る老いぼれが、人間のために快く道を譲るなんて絶対にしないからね。まあ、私の方も希望が残ってたのは予想外だったけれど」


 パンドラの真意を知る者は、人類に火を与えたことで有名なプロメテウスの弟であり、彼女の夫でもあるエピメテウスただ一人。ゼウスは知らなかった。


 ゼウスはプロメテウスに出し抜かれて怒り狂い、この世に災いを開放するのは神ではなく人間だったという形にするためパンドラを作るように命じた。そしてプロメテウスの弟であるエピメテウスの下へパンドラを送り込んだが、蛙の子が蛙であるように、エピメテウスはいかに愚鈍と言われようが人類のために尽力したプロメテウスの弟だった。


 この災厄が自己意識も危機意識もない盲目の家畜と、牧場を破壊する手段だと確信したパンドラとエピメテウスは、神々が過ちだったと気が付く前に解き放つことを決断した。


 結果は誰もが知っての通り。栄光ある神々が過ちに気づいた時には全てがもう遅い。増え過ぎた家畜をトロイア戦争で間引いた意味もなくなった。人類は災厄を受けながらも自立して星の頂点に立ち、オリュンポスの神々は打ち倒された。


 つまるところゼウスはプロメテウスに出し抜かれ、その弟夫婦にも出し抜かれて零落したのだ。


「ならばその大事に抱えている二人が死んでもですかな!? まずは片方に死んでもらう!」


 交渉は決裂したにもかかわらず、ゼウスとは逆でなんとかパンドラの手で甕を閉じた形にしたい離脱者は銃を握った。そして銃口をパンドラではなく壮大な話で呆気に取られていた、もしくは蚊帳の外だったと言い換えられるアリスとマナに向けた。


 このままどちらかを殺してパンドラを脅すという算段だったが、実のところ即座に二人とも殺した方がよかった。


 先祖返りを起こしているアリスとマナは、パンドラにこそ及んでいないものの十分パンドラの甕を解き放つ資格があった。


 なにせパンドラが神々から送られた力を備えている上に、甕に唯一残されていた希望、もしくは予知と呼ばれる力が劣化して変質したものこそが、今現在の声を読み取る力なのだ。そしてイタリアで受けた静止結界では二人とも止まっていたのに、今の彼女達は力も成長して動けるようになっている。それを考えると、パンドラだけを殺しても意味はなかった。


 とはいえ無意味な仮定だ。


「馬鹿っ!」


 銃を構えた男を罵るパンドラだが、血相を変えたその表情はアリスとマナを案じてのものではない。何が起こるか予想もつかないからだ。ひょっとしたらパンドラの甕の中身以上に。


『ギャハハハ! カウンター発動! 信頼を確認! 条件及びメモリーの起動を省略! 一件の該当あり! 召喚を行いますか?』


「「召喚おじさん!」」


『“人間”斎藤幹也を召喚します!』


 だが、一番ましな結果に落ち着いた。


 馬鹿笑いする死神の能力とアリスとマナの呼びかけに答え、人気のない路地の自動販売機でジュースを買おうとしていた幹也が呼び出された。


 呼び出された瞬間に意識が完全に切り替わっている兵士が。


「なっ!?」


 銃を持った男が驚くという愚行の真っ最中に、幹也の細められた目は銃をはっきりと認識して行動に移す。


 殺される前に殺すという当たり前のルールを完遂するために。


 そしてこの場にいる者達は学者肌で、現実ではなく紙の理想を欲する夢想家だ。一方の幹也は即席の軍事教育しか受けていないものの、人類最高峰の兵士達に鍛えられたのだから前提からして勝負にならない。


「ぎゃ!?」


 幹也は一瞬で拳銃を奪い取ると、外す方が難しい距離から頭部に発砲して敵を殺害……しながら呼び出した。


『カウンター発動! 玉手“箱”! パンドラの“”! 契約の“箱”の探索者達! 条件を確認! メモリー起動! 一件の該当あり!』


「召喚!」


『ワイルド認証! 選定完了! ブラックレア! テキスト! 死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んでない』 


 幹也の世界に眠る者達の中で、箱と聞いてならば自分がと手を上げた者。


『“観測してされしモノ”不死身たる箱の猫を召喚します!』


「にゃあ」


 一鳴きと共にアリスとマナ、パンドラを透明な箱が隔離する。


 そして森は死の森へ、箱の中になった。


「え?」


 うっそうとした森からどろりと影が、人の身の丈を優に超える黒猫が現われ、呆然とする反乱者の頭部を噛み砕いた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る