意外な事に空を、宙を覆った目玉と共に現れた山脈の如き巨躯の邪神という、幹也が呼び出した中でも規模としては人類連合主力艦隊に並ぶ最大級の存在が地球に現れても、表も裏も世界は驚くほど静かだった。


 それもそのはず。邪神の事など誰も覚えていなかったのだ。アテナが精神支配を仕掛けて来た事を覚えている者は裏にならそこそこいた。しかし、何故それが解けたのか、アテナがどうなったかを覚えている者は誰もおらず、何か途轍もない存在が関与したことは疑いようがなかったが、あまりにもあやふやすぎて"会合"の主要メンバーである"仮面"や、邪神の危険性をこれでもかと訴えていた"巫女"ですら事態が飲み込めていなかった。


 そう、彼らほどの達人でもその原因に関して完璧に記憶消去されている事が、ある意味でより事態の大きさを物語っていたが、それでも原因が分からなければ対処のしようがない。そのため破壊されたホテルの外壁の跡と、幾つもの動画データが消去されている事に気が付く者は誰もいなかった。


 知らない方がいいだろう。この世の全ての悪意と恨みに混在し、寄生し、巣くい、例え完全に消滅しようが、その一欠片でも人類の心に負があるのならば復活するナニカがいるなど。


 それが例え前へ進む善なる人の事が大好きで人類賛歌を謳おうと、後ろで無念の内に斃れた者がどうしても我慢できずその仇を討つ優しさを持っていようと、根本的に人間に理解出来ない邪神であり忌神なのだ。


「あの人、一緒にご飯食べてた人よね?」


「凄い人? だったんですね」


「正解だマナ。凄い馬鹿」


 それを全部知っている上で単なる馬鹿と表現する男がいるなど、この世界では誰も思わないだろう。


 ◆


 ◆


 ◆


「駄目だ。やっぱり俺、もう一回西園寺さんに告白してくる!」

「おい止めろって。もう三回もしてるじゃん」

「バスケ部のキャプテンは六回だ!」

「ええ……」」


「扇さんの隣通ったとき、すっげえいい匂いがいした」

「お巡りさんこいつです」


 騒動から暫く経ち、所変わってアリスとマナが通う学園では、いよいよ二人の人気が洒落にならない領域に到達していた。なにせ二人合わせると、学園の男子生徒全員から告白された計算となり、彼女達の下駄箱にラブレターが入っていない日はない程である。


 なにせ西欧の血が混じり合っている彼女達は、同年代と比べて一足先に少女から女性へと成長し始め、その意図せず振りまいている色香に男性とは誘惑されて、フラフラと吸い寄せられてしまうのだ。


「あ、バスケ部のキャプテンだ」

「俯いているところを見るに、七回目が失敗した見たいだな」

「西園寺さんのガードが堅いのか、キャプテンが馬鹿なのかどっちだと思う?」

「どう考えても馬鹿の方だろ」

「確かに」


 それと同時にアリスとマナはそのガードの堅さでも知られており、今だに色よい返事を貰えた者はおらず、男子生徒は悲嘆に暮れていた。


「家同士でなら、家同士での結婚ならワンチャン……!」

「ワンワン」

「くうーん」

「犬真似おつ」

「まあゼロではないな。ゼロでは」


 そんな彼らの最後望みは、西園寺グループか扇グループとしての結婚相手、即ち政略結婚でいいからどうかよろしくお願いします。である。確かにいづれの男子生徒も、良家出身の者しか通えない学園に在籍するだけあり、決して可能性がない訳でもなかった。


 彼ら視点では。


 いや、やはり可能性は少しあるかもしれない。なにせその西園寺グループと扇グループのトップである少女達の父親が望んでいるのは、商売に口を出さず、その上で人脈の幅が広く、更に更に言うと本人は毒にも薬にもならない様な男なのだ。


 父親視点では。


 いや、実際この言葉通りの男をアリスとマナは決めているので、まさに親孝行な娘と言うべきだろう。


 ◆


「……ここ?」


「うーん……GPSではそうなってるけど……」


 一方でその親孝行な娘であるアリスとマナは、GPSを頼りにデパートへやって来ていた。


 私達になにか起こったとき連絡しやすいように。と、ついに幹也を納得させて押し付けた電話のGPSを頼りに……。


 しかしデパートである。酷い言い方になるがアリスとマナは、幹也の顔は簡単に思い浮かべられるも、そこにデパートの文字をくっ付けることが全く出来ず、ひょっとして故障なんじゃないかとすら疑っていた。


「……分かった。多分地下よ」


「え、ほんと?」


「ええ行きましょう」


 パチンと指を鳴らしたアリスが、マナを引き連れてデパートの地下へと向かう。当然護衛もだ。


「ほらいた」


「ほんとだ」


 ほんの少しだけ地下を歩いただけで、彼女達は目的の人物の後ろ姿を見つけた。


 カートに空っぽの買い物かごを乗せて


「うーん。これが一番大きいか?」


 試食のお饅頭の中で一番大きなものを見定めている斎藤幹也を。


 そう! 彼は異世界帰りがカードで頑張る現実生活ではなく、異世界帰りがカートで頑張る試食生活を送っていたのだ!


 勿論カートは、買うつもりが一切ない事を誤魔化すための欺瞞工作である。


「ここで待ってて」


「はい」


 そんな100年の恋も冷める様な男の後ろ姿だが、永年愛しているアリスとマナには関係なかった。彼女達は護衛を待機させると、これにしようかと爪楊枝を摘まんだ幹也に近づく。


「ってあら、嬢ちゃん達? これ食べる?」


「……はむ」


「あむ!」


 ところが幹也に奇襲攻撃を仕掛けられた。彼女達が声を掛ける寸前に気が付いたこの男は、なんと両手にお饅頭を刺した爪楊枝を持つと、彼女達の口元まで持って行ったのだ。当然こんなもの、アリスとマナが普段食べている金の掛かった物とは比べ物にならないが、まさかのある意味、はいあーん。のシチュエーションに、アリスは顔を赤くしながら俯いて、マナは笑顔でお饅頭を食べた。


「妙なところで会ったな」


 知らぬうちに彼女達の心臓にストレートを叩きこんだ幹也は、全く悪気も無しにそう言った。


「……ええそうね。丁度良かった。お願いがあるんだけどいい?」


「うん? お願い?」


「実はこの前の、ほら、工事したホテルを買ったんですけど、三日くらいおじさんに泊って貰って、接客とか色々チェックして貰おうと思って!」


 そのアリスとマナは、全く気が付かせないボディーブローを幹也に打ち込んだ。


「工事したホテルって、あの工事したホテルだよな? 一回行かなきゃいけないと思ってたんだ……!」


「あら?」


「あれ?」


 流石にホテルに三日も泊るのは渋るかと思っていた少女達だが、幹也の思わぬ食いつきように首を傾げる。


「誰か発狂したり、人が変わったみたいにいい人になったりしてないか?」


「え? そんな話は聞いてないけど」


「はい」


 少女達と幹也の間にはかなりの齟齬があった。それは他でもない、そのホテルを工事した現場主任の邪神四葉貴明のことである。


 アリスとマナにしてみれば、貴明が現れた最初はその姿故に恐ろしいナニカだとは思ったが、随分幹也と親し気だったし、その後の工事現場でのやり取りで何となくいい人なんだとは思ったが、幹也にすればとんでもない話だ。


 誰かを無意識に落とし穴に叩きこむなんてふざけた癖がある、これぞ邪神の鑑ともいえる存在が手を加えたホテルなんて、その内誰かが狂死したとしても何ら不思議ではなく、腐れ縁として仕方なく確認しておかねばと思っていたのだ。


「さあ俺はいつでもいいぞ!」


「じゃあ早速行きましょうか」


「はい!」


 自ら出荷される事を申し出た幹也が知る筈もない。女は仮面を被ると言うが、普段通りのすっとした顔のアリスも、純真な笑みを浮かべているマナも、その仮面の下では、まるで口が裂けたような笑みを浮かべている事だろう。


 そう! アリスとマナにとっても予想外だったが、幹也は自ら進んで口の中へ飛び込んでいったのだ! 衣食住の内の最後、"住"に!





後書き

お約束通り、異世界帰りがカートで頑張る試食生活が


始まりませんでした!

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