四葉貴明

『貴様ら一体ナニ者じゃ……』


 ゼウスの顔に好々爺としての顔は既にない。自らの影から囁いたナニカと、目の前に現れた男が同質のナニカだと、そして神すら蝕むナニカを持っていると警戒する。


 実際はそれどころではなかったが……。


 だがそれでも悠長に質問するなど、流石は大神ゼウスと言ったところだろう。そのせいで取り返しがつかなくなってしまった。


 最初から既に取り返しがつかなかったが……。


 つまるところ、もう手遅れだった。


 なにせそのナニカ、四葉貴明は必死必殺の一撃を叩きこんだのだから。


「おお浮いた浮いた」


「ぞわってするから自分の髪でやれよ」


「ぞわってするから嫌に決まってるじゃん。ぷぷ」


 貴明は隣にいた幹也の頭を、どこからか取り出した下敷きで擦り、そのせいで逆向いた髪と感触が嫌そうな幹也を笑っていた。


『き、貴様!?』


 それを見たゼウスは顔を真っ赤にした。大神である自分の前で悪ふざけをしている。からではない。まさしくゼウスにとって致命の毒が垂らされていた。


『死ねい!?』


 手遅れになる前に目の前の男達を始末するため、その身に宿る雷の力を持って天罰を下した。下そうとした。


「おー飛んだ飛んだ!」


「凧揚げとか最後にやったのいつだっけ? 小4の年明け?」


「だったような……。思い出した。藁になったら軽いから、俺も忍者みたいに凧で飛べるんじゃね? って試した時だ!」


「ああはいはい! 思いのほか高く飛んだからお互いビビった時か! 紐持ってて思ったぞ! あ、これ大分高くいくなって!」


「俺も凧にしがみ付いて思ってた! あ、これ大分ヤバいなって……。いやあ考えが若かった! はっはっは!」


「確かに! はっはっは!」


『お!? お!? おおお!?』


 呑気に凧揚げに興じて空に浮かぶ凧を見ながら、昔話に花を咲かせる人間達にゼウスは何も出来ない。彼らは本当に凧を上げているだけなのに、ゼウスの体からみるみる力が失われていく。


『お、おのれええええええええ!』


 しかし流石はゼウス。それでも怒りを燃料に何とか、本当に何とか雷を迸らせた。


『あ』


 次の瞬間絶望した。


「んも!? ひはった!」


「ははははは! や、止めろ! はははは!」


 貴明が口に咥えた電球が光り、それを見た幹也が腹を抱えて笑っている。


 ゼウスが出来たのはたったそれだけ。


 電球を光らせただけ。


「ふおおおおお! 邪神パワー全開いいい!」


「負けるかこなくそおお!」


 そして仕舞いに幹也と貴明はそれぞれ自転車を使って発電し、どちらが多くの電球を点灯出来るか勝負までしている始末だ。


『あ』


 どさりとゼウスは膝をついた。最早その身には何の力もないただの老人だった。


「ぜーぜー。お、俺の勝ち!」


「はーはー。ば、馬鹿言え!」


 殆ど同時に、全ての電球を点灯させた幹也と貴明が息を切らしながら張り合う。それをゼウスは呆然と見る事しか出来ない。


「ぜーぜー。うん? あ、ああごめんなさいお爺ちゃん! どうされました?」


『き、きさ、貴様……』


 ああ、そういや居たなと本気で忘れかけていた貴明が、膝をついた老人に心配そうに声を掛けた。それはそうだろう。その老人ときたら、肌の張りは完全に失われ、目は窪みかけている程やつれていたのだ。貴明が心配するのも無理はない。


「"最も困難な事は自分自身を知ることで、最も簡単なのは他人に忠告する事である"。ああ、"万物には神が宿る"の方はちょっと皮肉かな? なにせ取っ掛かりを見つけた人ですもんね」


『がっ!?』


 老人が自分の胸を抑える。


 貴明の一言一言が、一滴一滴が老人を苦しめる毒そのもの。


「"もし人生をやり直せるとしたら、私はこれまでの生涯を繰り返すだろう"」


『や、や、止めろ……』


 必死に命じる老人を見下ろしながら、貴明はにこやかに言葉を紡ぎ出す。それは、倒れ伏していた幹也を見下ろしていた、ゼウスという名の大神と同じ構図であった。


「"頑張っている人に全てのものがやって来る"、"ある者が神と呼ぶものは、他の物は物理法則だと呼ぶ"」


『ひゅーひゅー……』


「いやあ、僕こんな感じの名言好きなんですよ! まあちょっと色々難ありな人が混じってますけど、それもまた人間ですよね!」


 呼吸の音すらおぼつかなくなってきた老人を見ながら、貴明は単に自分の好きな言葉を言っているだけだ。名言と言うべき、過去の者達の言葉を。


「前から聞きたかったんですよ」


 貴明はそんな老人に目線を合わせるよう、膝に手を当ててしゃがみ込む。


 本当に素朴な疑問を聞くために。


「タレスが静電気を見つけた時どう思いました?」


 ギリシャの哲人タレス。彼は琥珀で布を擦ると、埃や軽いものを引き付ける事を、最初に電気を見つけ出した。万物に神が宿ると言った彼が、神を引き摺り下ろすきっかけになったのは、ひょっとすれば彼の皮肉でが込められていたのだろうか。


「ベンジャミン・フランクリンが雷の謎を解き明かした時どう思いました?」


 アメリカの偉人ベンジャミン・フランクリン。彼は見つけ出した。暴きたてた。世界最大の神秘の一つを。凧を用いた命を落としかねない危険な実験で、雷が神の怒りなどではない事を、電気であると突き止めたのだ。


「ジョゼフ・スワンが白熱電球を見つけた時どう思いました?」


 イングランドの物理学者ジョゼフ・スワン。彼は電気で明かりを灯した。さながらプロメテウスが人類に火を与えた様に、彼は電気で、白熱電球で人類を次のステップに押し上げたのだ。


「トーマス・エジソンが、ニコラ・テスラが世界に電力を供給した時どう思いました?」


 説明不要。発明王トーマス・エジソンとそのライバルであるニコラ・テスラ。彼らは世界に、全てに与えたのだ。電気を! 世界の尽く全てに! 神の力ではなく人類の力として!


「ねえお爺ちゃん?」


『か……か……』


 人の形をしたナニカが、邪神が


 いや


 人でもある貴明が人類賛歌を謳う。


 階段を、線を、暗闇を、一歩踏み出した者達を。人類が神から一人立ちするきっかけを作った者達を。


 神の神話でなく


 人類の人話を紡いだ者達を。


「【人類人話じんるいじんわ具現具象ぐげんぐしょう】。これ成るは形造られた人類の想い。後は俺らの意見を聞いてみようか」


 貴明が手に持つは釘ではない。まるでミニチュアだった。


 避雷針の。


『ぎっ!?』


 それを老人に胸に突き刺す。


 人類の総意がゼウスに流れ込んだ。


『お前はいらない!』


『ごっ!?』


 全てを否定された。最早勝手気ままな神など不要だと、信仰を依り代に何とか復活を果たしていた老人の全てが。


「お分かりお爺ちゃん? もう俺らの時代じゃないのさ。俺ら人間の時代なんだ。それが分からず過去の栄光よもう一度だなんて出て来るからこうなるんだ。ああ、可愛そうに震えてまあ……」


『お、お、お』


 ガタガタと震えだしている老人に、貴明は優しく優しく語り掛ける。間違いを正してあげようと優しく優しく。


「じゃあねお爺ちゃん。達者でやれよ」


 そして老人が寒がらない様、人間の慈悲でぎゅっと抱きしめて別れの挨拶を済ました。


『あっはっはっはっは■っ■はっはっ■はっはっはっはっはっはrop1usxa-a■■■! さあ予言の成就の時だ! ああそうだろう! あーっはっはっは■■っははは■ははははははは! お前予言されてたよなあ!』


『ひい!?』


 貴明の体がどろりと崩れた。黒い黒い、ドロドロとした粘性のナニカに。それを抱きしめられているため、直に触ってしまった老人は悲鳴を上げる。感じ取ってしまった。自分では最初っから手に負えないそのナニカを。


 ■■を。


『知恵の女神との間に生まれた男神は、お前を王位から蹴落とすってなあ! ああそうだろう!? あっはっはっはっはっは! 女神であるアテナだったから予言が外れたって安心してたか? はははははははは! お前さんこう考えはしなかったか!? 人類がお前の創造物なら、まさしく知恵付けた人がそうじゃないかってな! だから人間に火を与えたプロメテウスを許さなかったし、どうせ神を否定する数学と科学を禁じようとしてるんじゃないか? あっははははははは!』


『あ、ああああ!?』


 見る見るうちに5メートルほどの大きさに巨大化した黒いナニカの、そののっぺりとした顔に口のような空洞が出来上がる。


『だからこそもう一度言おう逃げ延びた末っ子よ! 予言の通り今度こそお前が飲み込まれる番だ! これから貴様が向かうは無間地獄! 剣樹に刀山、煮えたぎった湯、毒虫大蛇、獄卒達の責め苦、ありとあらゆる苦痛を刹那の間もなく、三百四十九京二千四百十三兆四千四百億年に渡って受け続けるのだ!』


『ぎ、ぎゃあああああ……!?』


 かつて父クロノスに飲み込まれる事を避けられた老人は、最早なんの力も権能もないゼウスは、ともすればタルタロスよりも更に深いナニカの口に一瞬で飲み込まれ、プロメテウスの比ではない刑期と罰を与えられることになった。


「げっぷ、まっず。幹也ー、口直しに寿司か焼肉行こうぜー。勿論お前の奢りってあら」


 一息でゼウスを飲み込んだ貴明は、脂ぎった物でも食べたかのように顔を顰めると、幹也に口直しにどこか食べに行こうと誘うのだが、生憎幹也はそれどころではなかった。


「ぐすん」


「ううううう」


「ああほら、俺は大丈夫だから。な?」


 心臓が抜き取られたところを見ていたアリスとマナが、幹也にしがみ付いて泣いていたのだ。悍ましい姿をこれでもかと見せた貴明を全く気にせずに。


「ぷぷぷぷぷぷ!」


 それはもう嫌らしい笑いで見ていた貴明だったが、次の瞬間彼も幹也と同じく途方に暮れる事になる。


「あれ? もしもし蜘蛛君? そうです本体の俺です。影絵じゃないです」


 自分の眷属から連絡が掛かって来たのだ。それはアテナを打ち倒して、その後、陰に潜り込んでいる蜘蛛からであった。


「え!? すっげえ高そうなホテルの壁ブチ破っちゃったあ!?」


 アテナとの交戦時、大宴会場から外まで一直線に穴をあけたホテルの影に隠れていた蜘蛛からの……。


「おおおおおお落ち着くのです蜘蛛君。偉い人は言いました。バレなきゃ犯罪じゃないって……その下で戦ってるのをバッチリ放送されたああ!?」


 そう、蜘蛛はあの後途方に暮れていた。ホテルの下から見上げると、自分がアテナに体当たりした結果生み出された大穴が、ホテルの壁にぽっかり空いていたのだ。しかも犯行現場自体は見られていなかったが、そのすぐ下で戦っていた姿は、よりにもよってアテナの命によって全世界に放送されており、状況証拠はバッチリ残っていたのだ。


「み、幹也ああああああああああ!」


「うわびっくりした!? なんだよ!? 顔すげえ青いぞ!?」


「っ!?」


「ひう!?」


 心底青くなった顔色の貴明が幹也に迫り、その気迫にアリスとマナは気圧されてしまう。


 気圧されるが……


「今すぐ蜘蛛君と合流してホテルの壁直すぞおおおおお! 弁償なんて出来ねえええええ!」


「は?」


「え?」


「んみゅ?」


 その貴明の口から出た言葉は間抜けそのもので、幹也達はポカンとしてしまう。


「俺の結界で認識を誤魔化すから、その間に俺の擬態タールで補強して壁直すんだよ! さあ行くぞ! 【四面注連縄結界】!」


「直そうがどっちみち騒ぎになるに決まってるだろ!」


「人類から今日の記憶を全部消すから大丈夫だ! これで完全犯罪成立! 蜘蛛君も俺も金払わないで済む!」


「あ、アホかあああああ!」


 ぐるりとリムジンも含めて、注連縄が幹也達の周りを囲む。これは貴明が用いる転移術が発動される前段階なのだが、幹也は心底から貴明の馬鹿発言にツッコミを入れた。一体どこを探せば、そんな理由で全人類から記憶を消そうと企む者がいるというのだ。いや、邪悪なる神、邪神ならおかしくなはいのか。


「安心しろ! パニックを防ぐために、ゼウスが色々やったことを消すついでだし、対策練らないといけないような奴から消すのはこの日だけ! そう! つ!い!で!」


「嘘付け!」


 きちんとした理由を捲し立てる貴明だったが、付き合いの長い幹也はその本心が何処にあるかくらい分かる。


「うっせえ行くぞ!」


「おまっ!?」


「きゃっ!?」


「あわわ!?」


 パンパン!


 その貴明のテンパり様を表すかのように、二度の拍手で起動した転移術が、彼ら4人を蜘蛛の元へ、穴の開いたホテルの隣へと移動させ、修復工事が行われることとなった。


 ■


『ギイ……』


「いや蜘蛛君、謝らないでくれ。俺らを助けてくれたんだからさ。本当に助かった。ありがとう」


「そうよ、ありあとう」


「ありがとうございます!」


 謝る蜘蛛に対して、幹也達は心底からお礼を言ったのだが……


 その蜘蛛は何というか随分デフォルメが効いた姿であった。全長一メートルほどとなり、安全帽と安全ジャケットを装着しているのだ。


 いや、蜘蛛だけではない。幹也も、アリスとマナまでも安全第一装備で身を固めており、大宴会場の外の扉にはただいま工事中の立て看板。そして、


「猫君と犬君は宴会場の内装よろしく! いやあ、万魔殿一級建築士の血が騒いできたなあおい! はっはっはっはっは!」


 これまた同じく安全装備を身に付け、何故かテンションを上げている貴明が高笑いを浮かべていた。


 そして……


「やりすぎちゃった。てへ」


「言うと思たんだよなあ……」


 こうして修復されたホテルがタダで済むはずがなく、横穴空いたんだから耐震性に問題が出てたらいけないと、ホテル全体が邪神のナニカで張り巡らされた、トンデモ物件が出来上がってしまった。


 勿論貴明は善意100%で頑張ったのだが、善意で。善意で。善意で善意善意善意ぜぜぜ


「……! そう言えば疲れちゃったわね」


「……! おじさん試しにここ泊っていきませんか!?」


「え?」


「こっわ……」


 その善意すら霞む悪意がポカンとしている幹也に忍び寄り、貴明ですら引いていた。


「あ、洗脳の解除と記憶消しとかないと!」


『ギイ!』


「俺らにはすんなよ」


「分かっとるわ」


 貴明と蜘蛛にとって大事な事を思い出したようだ。なにせ蜘蛛がブンブンと頷いている辺り、それはもう大事な事なのだろう。


 後年関係者を悩ませ続けた空白の一日だが、パニックを起こさない様にするというきちんとした理由はあるものの、まさか自分の眷属の建築物破壊を誤魔化すことも理由に含まれていたとは、ついぞ気が付く者はいなかった。


 だがあまりにも利己的であったが、邪神にそんな事をするなというのは野暮だろう。元より精神構造が違う上、彼は父である大邪神から神の傲慢さと無慈悲さを、人間の母から人としての優しさと温かさの両方を受け継ぎ、それをケースバイケースで都合よく使い分けている図太い男


 異世界帰りの邪神の息子なのだから。



後書き

拙作、異世界帰りの邪神の息子より、主人公である四葉貴明の登場でした。


実は幹也と貴明の誕生日という名の初投稿日は二日違いで、本当の意味で貴明の物語が始まった邪神二話と、幹也が地球に帰って来たカード一話は同じ投稿日、まさに双子の兄弟の間柄です。それをこうして邪神200話と連動して書けたのは、皆様の応援あってのことです。誠にありがとうございます!


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