■まじき、■ろしき、■き■■■
始まりは唐突だった。
(あああああああ肩こりに効くうううう)
『これぞ骨抜きと言う奴ですね』
アテナの降臨から二日ほど。幹也はまたしてもマッサージチェアに座っていた。あまりにも迷惑客。マナとアリスの関係がなければ、その日の内につまみ出されていただろう。
『アテナはどうするんです?』
(よく考えてみろ。そのどうするを俺がする必要なくね? というかそもそも何やってるかも分かってないし)
『まあ確かに』
マスターカードの問いだが、幹也の言うとり女神が現われたからといって、彼が何かをする必要がない。アテナの目的が不明だし、単なる一人の人間が世の中をどうこうしようとするのは傲慢なのだ。
『ご覧ください! ついにお姿を見ることが出来ます!』
(うん?)
幹也がくつろいでいると、商品である大型テレビが流していた海外のニュース番組の司会が、何やら大々的な謳い文句を口にしていた。
『世界の支配者であるオリュンポス12神の1柱、アテナ様です!』
テレビの向こうで現れたのは、薄く発光している超越存在、女神アテナ。
『お前達は信仰を失ってしまった。再び我ら12神を称えよ。オリュンポスに像を建てよ。正しき信仰を取り戻すのだ』
『警告。強力な精神攻撃を探知。アテナを見た者は虜にされます』
「おおアテナ様だ!」
「アテナ様!」
「アテナ様!」
そのお姿を見た者は、アテナ様を見た者は全てが等しく跪いた。この世の全てはオリュンポス12神の物であり、その中でも特に素晴らしいアテナ様を見た者がそうするのは当然である。
(ちっ)
だが幹也は、すぐにテレビの画面から去ったアテナの姿に舌打ちをしただけだ。異常であった。全ての人間を跪かせる権能に対して、単に顔を顰めて舌打ちするそれだけ。たったそれだけ。しかもこれに関しては、マスターカードも、その中にいる者達も何もしていない。ただその精神のみで女神の権能を跳ね除けたのだ。
(怖いテュポーンがいなくなったから、昔の栄光の時代に戻そうとしている。他の意見は?)
『全大アルカナが賛同。ちなみに私もです』
(という事はテュポーンが死んだときは寝てたな。そうでなけりゃ兄貴の気配にビビッて姿を現さない筈だ)
『そうでしょうね。偶々起きたタイミングがその後で、何故か分からないながらもチャンスと思ったんでしょう』
幹也が顔を顰めながら端的に推測を述べると、全ての大アルカナ達が賛同した。あまりにも単純な推測だが、幹也は振り回されたから知っていた。時に神は、人間では理解出来ない程幼稚な発想で行動することを。今回もそうだ。怖い怖いテュポーンの気配が完全に消えたからやって来たのだと。その消滅した原因を考えていない辺りに、その傲慢さと幼稚さが見え隠れしていた。テュポーンは無理だったが、その原因の方はどうにか出来るだろうと。
(馬鹿はどうしてる? まだ寝てるか?)
幹也の懸念は、人間のことが大好きな腐れ縁が、その人間を家畜とするような行いに大爆発をしているのではないかということだ。
『変わりありません。"田舎者"を筆頭にマスターメモリーは現在も休眠状態です』
(そうか)
もう一つ懸念があった。ヒュドラとテュポーンとの戦いで、度重なるマスターメモリーの起動を行ったため負荷が掛かり、そのマスターメモリーの反応が無くなっていたのだ。実際、騒がしい事極まりない"田舎者"まで、ギリシャ以降幹也を罵っていない。
『どうしますか?』
(……よく考えたら、俺がどうこうする必要ないだろ)
『確かに』
繰り返すが幹也は人間なのだ。英雄でも神でもない。1人で世界をどうこうするつもりはない。人間の信仰の対象がアテナに変わっただけなら、彼にとっては、ああそう。で終わるだけだ。そんな義務なんかこれっぽっちも無いのだから。
「……」
だから幹也はテレビをじっと見るだけだ。
懐にある黒いナニカが脈動した
のたうった
蠢いた
ナニカかもじっと見ていた
じっと
じっと
じーーーーーーっと
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
◆
◆
「アテナ様凄かったね!」
「ねー!」
(仮に洗脳を解くとして手札はあるか?)
『否定。"真なるシディラの長子"、"唯一名も無き神の一柱"を筆頭に、対処可能な存在達はマスターメモリーと密接な関りがあります。そのためマスターメモリーが機能不全を起こしている現状、召喚することは不可能です』
(そうか)
幹也は商店街の片隅に座り、アテナを称賛する声を聞きながら、マスターカードの端を地面に立てて親指で弾き回転させる。普段なら文句の一つを言うマスターカードも、幹也の思考を邪魔しない様に黙り込んでいた。
(決めた。嬢ちゃん達が洗脳されてたらあの馬鹿を呼ぶ)
『いいのですか?』
(自分の事は自分で決めなさいっていう、大人から嬢ちゃん達へのありがたいお説教さ)
『いや、そちらではなく、まあいいでしょう』
再三繰り返すが幹也は英雄でも神でもない。世界を1人でどうこうするつもりはない。
だからそんなつもりは全くなく、親しい者の
アリスとマナの為に決心した。
◆
「アテナ様!」
「アテナ様ー!」
「ちょっとヤバいわね」
「うん……」
そのアリスとマナは、自分達が通う学園で突如始まった、アテナへの賛美に混乱していた。授業中にも関わらず教室にテレビがつけられ、そこに映っていたアテナの姿を見た途端、生徒全員がこうなったのだ。
「それではアテナ様の為に授業を続けましょうね」
「はい!」
そして何事もなかったように授業を進めようとする教師とクラスメイトを見ながら、二人は教室を出る隙を窺っていた。
『アテナ様からの御言葉を伝えます。数学と科学の授業は全て廃止になりました』
「アテナ様のお言葉ならそうしないと。えーっと、この授業は終了です。ちょっと早いですけど、今日はこのまま終わりにしましょう」
まだ消されずについていたテレビから、アナウンサーがアテナの言葉を伝えたが、生徒達が受けていた授業は丁度数学であり、教師はアテナの啓示に従い授業を終了させた。
「行くわよ!」
「うん!」
それを好機と見たアリスとマナは、教室から急いで抜け出して駐車場に向かう。
タイミングが悪かった。その間にラジオとテレビで流れてしまったのだ。そして幹也は路上だったため聞いていなかった。
「商店街へ行って!」
もうすぐ放課後という事もあって、駐車場に止まっていた車に駆け寄り、護衛達に行き先を指示した。
が
「いいえ。これからアテナ様の元へ向かいます」
「え!?」
「いや!?」
『聖女の血を引く清らかな乙女を連れて来い』
と、ラジオとテレビで流れてしまっていた。
アリスとマナの一族は、その能力こそ殆ど知られていなかったが、欧州における聖女の血が流れている事はそれなりに知られていた。それは護衛達もだ。
「なにするのよ!」
「止めて!」
そしてアリスとマナの二人は、リムジンに押し込められて連れ去られてしまった。
◆
「……どこへ向かってるの」
「アテナ様の元へです」
マナと身を寄せ合っているアリスが訪ねた。車は暫し移動して東京に到着していた。街中の全てのモニターとテレビはアテナの姿が録画された映像を繰り返し流していたが、市民は至って
「到着しました」
そこは高級ホテルだったが、その入り口からやって来る面々がただ事ではない。政府の首脳部が勢揃いしていたのだ。
「間違いないのだな!?」
「はい」
「おお! 早速アテナ様にご報告しなければ!」
「こちらですお嬢様」
「っ」
「ひうっ」
首脳部が護衛達に確認を取ると、アリスとマナはホテルの一室へ案内された。
「少々お待ちください。アテナ様が転移で大会場に訪れますので、その後にお目通りが叶います」
「私達どうなるの!?」
「伺っておりません」
大事なお相手に接するのと同じように、少女達に付けられた係員が対応するが、その彼らもアテナ様の為だとしか分かっていなかった。
「お目通りが叶います。さあこちらへ」
「分かったわよ!」
部屋に案内されてそれほど時間が経っていないにも関わらず、息を切らした男が彼女達を大会場へと連れて行く。
「おおアテナ様」
大会場の入り口の周りでは、そこから追い出された男達が待機しながら女神への賛美を口にしていた。
「連れてまいりました」
『入れ』
中から聞こえる超越者の声に、アリスとマナは怯える。
存在の格が違うのだ。正気の彼女達は足を震わせていた。
「大丈夫。何かあってもおじさんが来てくれる」
「うん来てくれる……!」
『ぎゃはfvまぇあiwel;ぎゃはははははjpaぎゃっひゃっひゃひゃっひゃcsまkpぎゃああああああっはっはっはっはっはっは!』
見たのだ。アリスとマナに付き纏うDeathのカードが。現れたのだ。Deathのカードが。
いや、Deathのカードの筈だ。
だがその絵柄は……死神の筈の絵柄が……
地面には花が咲いていた。真っ赤な真っ赤な真っ赤な花が。リコリスの花が。
骸骨の目の隙間からナニカが、夥しいナニカが、まるで粒のような瞳が沢山沢山見ていた。じっと見ていた。じーーーっと見ていた。
白いはずの骨が真っ黒なナニカに塗れていた。それは脈動していた拍動していた動いていた蠢いていたのたうっていた。
『ばsanj;aaをしょしょしょうかんんん! ぎゃひゃmwekpひゃひゃdsamkaっひゃ!』
狂いに狂ったDeathのカードが人間を召喚した。
「アテナ様、どうか直言をお許しください」
「おじさん!」
「おじさん!」
幹也を召喚した。
アリスとマナに抱き付かれた幹也は、確認をしなければならなかった。
アテナがなにを考えているのか。
黒か白か。
『【死ね】』
アテナは選択を誤った。洗脳だけならまだギリギリ黒か白か判断が付かないグレーだったのに。
幹也に狂死の呪いを掛けたのだ。
意味がないのに。そんなモノはこれぽっちも、ほんのちょっとも効かないのに。狂わない精神なのに。
だが、意味がなかろうとアテナは最後の一線を越えた。
黒
ヒ
ト
ヲ
ノ
ロ
ワ
バ
幹也ではないナニカが個人の感情で黒と判断した。
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
『アテナを確認!』
八つの赤き瞳全てが捉えた。
『条件を確認! 一件の該当あり!』
ソレにはどうしても許せぬ存在がいた。
自らの腕を誇ってなにが悪い。
単なる事実を、神の愚かさを描いてなにが悪い。
戦神が、女神が、
アテナが
人を、彼女を
アラクネを
蜘蛛に変えたというのならば
それと対峙するのは自らを置いて他になし。
恨み晴らすは我を置いて他になし。
『ワイルド認証! 選定完了! ブラックレア! テキスト! 最初の祈り! 最初の想い! 最初の願い! そしてなにより最初の僕!』
瞳として赤く輝く8つの髑髏
国を蝕み滅ぼす8つの足
本体ではない。影絵である。
だがしかし
体が呪い
叫びが呪い
視線が呪い
涎が呪い
体毛が呪い
牙が呪い
存在が呪い
あり方が呪い
ナニモカモが呪い
『"凄まじき、恐ろしき、黒き呪蜘蛛"を召喚します!』
『キイイイイイイイイィィィィィィィ死死死死死死死死』
この世の全ての呪いから産み出された最初の存在が、呪いそのものが、蜘蛛が、凄まじき、恐ろしき、黒き呪蜘蛛が。
その神すら蝕む呪いをまき散らしながらアテナに襲い掛かった。
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