食
「さっきの人、誘わなくてよかったの?」
「ああ。奥さん達の手料理が待ってるから帰るってさ」
車内でアリスが幹也に問う。彼の兄貴分はこの場にはおらず、既に自分の家へと帰っていた。お邪魔虫は退散すると、幹也にはよく分からない言葉を残してだが。
「お友達の方ともあまりお話しできませんでしたし」
「おっとマナ、間違っちゃいけない。あいつはお友達じゃなくて単なる腐れ縁。ついでに言うと性根も腐ってる。オーケー?」
「はい?」
その前に合った、もう一人幹也の知人に関してもあまり話せなかったとマナは残念がるが、幹也としてはクトゥルフを少女達に紹介するなんてとんでもないと関係を否定する。
「しかし、あの定食は美味かった」
「食材と機械、料理人の伝手があるのよ」
「具体的に言うと、パパ達の会社から調達しました!」
現在幹也は、少女達が新たに傘下に収めた外食チェーン店へリムジンで向かっていたが、既に一度食べた定食は、まあとりあえず食えたらなんでもいいの感性を持つ彼でも、はっきりと美味しいと断言出来るものだった。
「それにサラリーマン向けの定食に力を入れてるから、そう言ってくれるならいい感じね」
「ほほう。独身男性の取り込みか」
「はいそうです!」
ふむふむと頷きながら呟く幹也を笑顔で肯定するマナだが、それはもう力強い肯定だった。そりゃそうだろう。まさに独身男性を取り込むために力を入れているのだから。
誰をとは言うまいが。
「そういえば、おじさんの好きな食べ物はなんです?」
「そうだなあ」
マナの問いというか、その恐るべき企みの一端が更に幹也を侵食していたのだが、彼は言葉通り単に好みを聞かれただけだと思い、今までの自分の職歴を思い出す。
レーションに、マズいレーション、それはもうくっそマズいレーション、もう食べ物ではないレーション、恩人しか食っていなかったレーションという名の劇物、それとパン。
兄貴分と行った酒屋のつまみと、家にお邪魔した時にご馳走になった家庭料理、そこの子供達と食べたおやつ。
そして
「唐揚げかなあ。前嬢ちゃん達に会った時に食べた唐揚げ定食、すっごい美味かったぞ」
唐揚げ強化週間なる、本当に一週間の晩飯全てを唐揚げにする馬鹿な腐れ縁に汚染され、すっかり幹也も唐揚げ好きとなってしまっていた。
「へえ」
「そうなんですね!」
どこか遠い目をしている幹也は気が付かなかったが、アリスとマナの顔は素晴らしい笑顔であった。そう、尻尾くらいは生えていそうなほど。
「着きました!」
「これで駐車場に乗り付けたら騒ぎになるから、ここからは歩いて行くわ」
そんな邪悪な企みに侵されているとは知らない幹也を乗せたリムジンは、目的の店から少し離れた位置に停車した。尤も、二人とも目を引く容姿とはいえ、まだ社長という事は一般に認知されておらず、態々名乗り上げても信じられないだろう。
まあ、美少女達を冴えない中年が誘拐していると通報される可能性はあるが、実はほぼその逆だというのは誰にも分からないため仕方ないだろう。
「いらっしゃいませ」
「予約していた斎藤です」
(西園寺と扇の名前で予約は取れんわな)
店に立ち入ると早速店員に出迎えられたが、事前に予約をしていたようだ。
幹也の名字で。
この店は世界的に有名な西園寺と扇両グループの傘下であり、その名を出すとお忍びでのテストの意味が無い為、予約を取るならば別の名前で取る必要があった。と、幹也は勿論納得した。
が、まあいいだろう。彼の中ではそれだけなのだ。彼の中では。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」
「ありがとうございます」
店の中はそれなりに広く、ファミリーレストランと言えなくもなかったが、個人カウンターの場所はスーツ姿のサラリーマンで溢れていた。
幹也達は彼等とは少し離れた場所にある、家族用のスペースに案内される。
(誘拐……みたいな感じではないけど……)
案内した店員はやはりというか誘拐を疑っていたが……なにせアリスとマナは金の髪を束ねており、その服装からもどこか良家の令嬢なのは間違いないのに、幹也の方は本当に冴えない中年なのだ。まさしく不釣り合いも極まっていた。
「生姜焼き定食にしようかな」
「じゃあ私達は唐揚げ定食にするわね」
「あ、俺が唐揚げって言ったから食べたくなった?」
「はい!」
幹也が男性らしく肉をメインに考えていると、アリスとマナは唐揚げ定食を頼むことにしたようだ。これを幹也は、車の中で自分が唐揚げと言ったから食べたくなったかなと思ったが……
まさしくその通り。
なのだが、ニュアンスは幹也が思っているものとはかなり違っていた。彼のは言葉通りだが、アリスとマナは味を確認しておく必要があったのだ。幹也が美味しいと言った好物の味を。
それとレシピも。
「うん。生姜焼きも美味い。そりゃこんだけサラリーマンが来るわな」
「こっちも合格?」
「うんうん。合格も合格、っていうか採点出来る様な立場じゃないけど」
「おじさんの評価も必要なので!」
そして仲良く食事を食べる三人であったが、少女達が持ち出すレシピがもう一つ追加された。
「うーん美味い」
哀れ斎藤幹也。彼はのほほんとしている間に、また一つ間合いが詰められている事に気が付かなかった。
そう、衣食住の内、いつのまにか衣と食が握られていたのだ!
果たして彼が、その事に気が付くことが出来るのだろうか!
気付いたとしても手遅れだろうが。
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