7-20 北畠小夜(5)
霊山に戻って少ししてから、親房の使者として影太郎が訪ねて来た。
「はるばる伊勢からお疲れ様。大変だったでしょう」
小夜は勇人と和政だけを立ち会わせ、影太郎と会った。
「いえ。伊勢から陸奥までの道はいくつも通してありますので」
影太郎は相も変わらず静かな様子で答える。
伊勢から陸奥までの地は最早半分以上が敵地だ。そこを変え馬を使い迅速に移動するのはただ距離の問題だけではない難しさも当然ある。
それなのに今は親房の手足として動いている影太郎が現れると言うのは、それだけ重要な内容だと言う事だ。
「何か京周辺で大きな動きが?」
「いえ。目に見える大きな動きはまだございませぬ。一通り主上とその影の力の動きと目的が見極められた、と親房さまが判断されましたのでそれがしが使者として立った次第でございます」
そう言うと影太郎は親房の手で書かれた書状を出し、それを交えながら親房と影太郎の分析を語り始めた。
「主上の影の影響力はやっぱり実際には足利に与する武士達の中にも及んでいるんだね」
「はい。少数ですが有力どころでは高一族の一部や
「塩冶高貞は確か箱根の戦いの時に新田軍から足利に寝返って足利大勝のきっかけになったんだっけ」
それ以前は建武の親政の一角を担っていた武士だ。その寝返りからして後醍醐帝の意を受けた物だったのか。
「それで、主上の次の動きに付いて、お父さんは何て?」
「は。恐らくは陸奥より顕家様、関東より新田義興殿、北条時行殿、北陸より新田義貞殿、さらには九州の阿蘇、菊池など他の各地からもそれぞれ皇子と共に軍勢を上洛させて京での一大決戦を起こし、その最中で宮方に光厳上皇と豊仁親王を、武家方に主上自らを討たせる事によってこの国を根幹から変える事を目論んでおられるのではないかと」
「私も、同じ考えだよ。少し前に、私にもその主上の考えが半分は伝えられてきた」
戦場で二人の帝が互いに討ち死にすればどうなるのか。次はまた宮方と武家方がそれぞれ別の帝を立てる。どちらの帝にとっても相手は先帝を弑逆して帝を僭称する大罪人であり、自身の正当性のためには相手を殺さざるを得なくなる。
そうして帝が戦場で殺される存在になり、朝廷の権威は低下していき、帝や征夷大将軍が各地で幾人も立って、最後は実力だけが全ての世になる。
それが後醍醐帝の目論見なのは予測が付いた。実際にその通りに行くのかは分からない。ただ五辻宮とその配下は、世がそう動くように暗躍し続けるだろう。
「それでお父さんは、何て?」
「全て顕家様の思うようにされれば良い、と。ただ五辻宮を叩くつもりであれば、戦場に出て来た時以外は恐らく難しいであろうとは申されていました」
「五辻宮は戦場に出てくると思う?」
「最後は。光厳上皇を戦場に連れ出し、主上と刺し違えるような形で弑する、と言うような事は他の者には任せられますまい」
小夜は少しうつむき、目を閉じた。
眼を閉じていた間、何を考えたのか。答えは当に出ているはずだった。それでも次の言葉を発するのに少しだけ時間を要した。
「勇人」
名を呼ばれると、それまで横に控えてじっと小夜と影太郎の会話を聞いていた勇人は静かに顔をこちらに向けた。自分の名が呼ばれる事を分かっていたかのようだった。
「主上が崩御されるのは、いつ、何が原因でかは分かる?」
誰がいつどうやって死ぬのか。勇人にこちらからそれを訊ねたのは、自分自身の事を除けば、これが初めてだった。
「はっきりした事は憶えてない。けど、君が二回目の上洛をした翌年に病で、だったのは確かだよ。つまり、長くてもあと二年ほど」
勇人はやはり少しだけ目を閉じ、それから息を吐くと静かに答えた。この質問も予測していたような様子だ。
「そう。ありがとう」
影太郎はすぐに、そして和政も少し考えてそれぞれ小夜の質問の意味が分かったようで、やはり小さく息を吐いている。
「明日、宗広さんと行朝さん、それに正家さんも交えて話をする。影太郎も同席して欲しいかな」
影太郎は黙って頭を下げた。
影太郎が出て言った後で勇人に何か言おうとしたが、その沈痛な面持ちを目に入れると、小夜には掛ける言葉は見付けられなかった。
翌日、同じ四人に宗広と行朝と正家を加えて集まった。まずは影太郎が昨日と同じ説明を三人に繰り返す。
宗広も行朝もさすがに大きな衝撃を受けたような顔をしている。正家だけは、それほど驚いたような様子を見せてはいない。あるいは楠木一族は別な所で何かしらの予兆を掴んでいたのかも知れなかった。
「それで、我らを集められたと言う事は、この先どうされるか決められた、と言う事ですか?」
少しだけ間を開けて宗広が訪ねた。
「決めた。上洛する」
「主上をお止めするために、ですか」
「上洛し、戦場に出て来るであろう五辻宮とその組織、影響下にある武家方の武士達を叩き、光厳上皇と豊仁親王をお救いする。それによって主上の計画をくじき、手足を奪った後は、私が京で太政大臣か関白となって足利尊氏と和睦し、戦以外の形で二つに割れた朝廷を元に戻す事を目指す。それによって一時幕府を認めざるを得なくなるやもしれぬが、それもまた政の力で解決しよう、と思う」
「その時、主上の御身は?」
「五辻宮が討たれれば、主上の計画は一旦止まらざるを得ぬ。後は主上が自身の理想の後継者を生み出されないまま崩御されれば、それで主上の理想は潰える。しばらくの間だけ大人しくして頂ければ、それで済むと思う。さほど時間が掛からぬのは、勇人から確かめた」
皇子達の中には、後醍醐帝の理想を受け継ぐ事が出来るほどに成長しているように見える者は今の所いない。仮に受け継いでいる者がいるとしても、相手が後醍醐帝で無いならば小夜は抑え込む自信はあった。
「時間は、掛かりませんか」
その言葉の意味が分かったように、宗広は呟いた。
「しかし親房様と影太郎の見立てが正しいとすれば」
ようやく我を取り戻したように行朝が口を挟んで来た。
「北陸や関東の新田勢、それに北条時行の軍勢も信用出来ぬどころかほとんど敵のような物となります。彼らは内々に光厳上皇と豊仁親王討つべし、と言う命を受けているでしょうから。そして、当然足利の軍勢は我らが上洛すればその目的などに関係無く全力で立ち塞がって来るでしょう」
「そうなるな」
上洛の真の目的を喧伝して進む、などと言う事は出来なかった。後醍醐帝の企みを公にすれば軍勢が崩壊する勢いで動揺しかねないし、京の後醍醐帝の身も危険にさらされる。
「信用できる味方がいるとすれば、伊勢の父上の軍勢程度か」
「楠木一族は」
そこで言葉を切って行朝は正家を見た。
「それがしは、陸奥守様のお力になるよう正成に言い含められております」
正家が答えた。
「ただ、正成の嫡男である正行はまだ幼く、河内の地も疲弊しきっております。お味方として大きく動く余力は、ございませぬ」
「楠木一族が五辻宮に与する事は、無いのだな」
「それは、誓って」
小夜の問いに正家が力強く頷いた。生き残った楠木一族と五辻宮配下との暗闘も、目に見えない所で続いているのだろう。
「白河より西の全てを敵にして、奥州軍だけで、京まで進まれるご覚悟ですか?」
行朝が視線を小夜に戻してきた。
「苦しい戦になる、とは思う。だが、やらねばならぬ。私は、この国の形、この国の在り様を、ただ一人の独善と謀に委ねる事は出来ぬ」
「独善、ですか」
「あの方は、自分の理想のために苦しみ、命を失う数多の人間達と、本当には向き合っておられぬ。自分にしかこの国を変えられぬ、と言うあの異常とも言える自負は、結局他の者達を愚かで何も出来ぬ者達だと見下す所から生まれているのだ。私は少しずつでも、この国を良い方向に変えていこうとする人間達の方を、信じる」
行朝が大きく息を吐いた。
「ここに師行がおれば、何と言うかのう」
「左様ですか、と言うだけでしょうな」
不意に呑気な口調で呟いた宗広に、行朝が苦笑しながら答えた。少し乾いたような表情だが、それでも場の空気は変わった。
「我らの心も当に決まっておろう、行朝」
「そうですな。いかに困難な道であろうとも陸奥守様の采配に従う。陸奥守様がようやく心を決められたのであれば、それを喜ぶべきでした」
「我ら一同、喜んで陸奥守様の志のために命を差し出しましょう」
そう言って宗広は深々と頭を下げた。行朝と正家、それだけでなく和政と影太郎もそれに倣う。
勇人だけが、少しだけ迷ったような顔をしていた。しかし、やはり頭を下げる。
「ごめんね、勇人」
諸将が去り、和政も気を利かせるように仏頂面で出て行った後で、小夜は勇人にそう謝った。
「何がだい?」
「二度目の上洛はすべきじゃない。勇人がずっとそう思ってたのは、分かってるから」
「君が自分で決めた事なら、謝るような事じゃない。君が僕が知っている歴史の通りに進むのを止めたいと思っているのに、背を押すような事ばかりになってしまう。僕が悩んでるのはそれだけさ」
そう答える勇人の顔は深く沈んでいた。
「どう言う意味?」
「ひょっとしたら僕がいなければ君が二回目の上洛する事にはならないんじゃないか。前からどこかにそんな考えはあったけれど、君が実際に上洛する決断をしたせいで、余計にその思いは強くなってる。僕は君が死ぬ歴史を変えられないどころか、君が死ぬ方向へ歴史を進めるためにここにいるんじゃないか、って」
勇人からこの国の未来について学んだ事は数多くあった。この国が約七百年先でも一つの国として存在する事、帝と言う存在だけはその時代も変わらず残っている事、少なくともこの先五百年はこの国に外国からの侵略は無い事。
他にも、勇人の勧めで送る事になったあの村での生活や、勇人しか知り得ない後醍醐帝の崩御の時期。
そして何よりも七百年後のこの国から来た人間である勇人自身を見て、自分は上洛して戦う事を決めたのかもしれない。
「勇人がいなければ、確かに私は上洛しなかったかもしれない、ね」
「だったら、僕は何のために」
「でも勇人がいなかったら私はもうどこかで死んでいたかもしれない。例えそれが最後は潰える道でも、私はここまで戦い抜けて、そして主上を止めるための戦いに向かえる事を、勇人に感謝してる」
「例え君がそれで満足でも、僕は君に死んで欲しくない」
勇人が自分に対してはっきり自分の意思を言うのは、とても久し振りのような気がした。
「死なない、って約束は出来ない。私がしてるのは戦だから。それは変わらない。自分が死なない事だけを目指す、って言う生き方も私には出来ない」
「知ってるよ」
「だけど私だって勇人と出会えてここまで一緒に選んで戦って来た道が全部予め定められた運命だったなんて思いたくないし、思う気も無い」
「じゃあ」
「やる事が全部終わったら、私はまた陸奥に戻って来る。そのために、生きる事は最後まで絶対に諦めない。どれだけ苦しい戦いになっても、死ぬ事の方がずっと楽に思えても、これが宿命だった、と諦めて死ぬ事だけはしない。だから、勇人も最後まで諦めないで私に付き合ってほしい」
「諦めないで、か」
「人は誰でも死ぬよ。それがいつどんな風に訪れるのかはその時になってみないと分からない。それが運命だったのかどうかは、その時になっても分からない。本当に大切なのは、自分の最後の瞬間、自分が何者だと思って死ねるかだけだと思う。私は、運命に従う人間として死ぬつもりはない」
何故自分と勇人が出会ったのか、それで何が変わったのか。それを深く考えるつもりは小夜には無かった。
出会いは出会いであり、出会わなかった時の事など考えるのは無意味だ。人に出来るのは、ただ目の前の事に対して最善を尽くすだけだろう。
「強いな、君は」
「強くなんかないよ。ただ、自分の生きたいように生きてるだけだから」
「本当に厄介な相手に惚れちゃったもんだな、僕も」
勇人が何かを諦めたように肩を竦めた。
「自分でもたまにそう思うけどはっきり言わないで」
小夜も笑いながら言葉を返した。
「そろそろ覚悟を決めるよ、僕も。ただ君のために戦うんじゃない。君が信じた理想のために、そしてその先も君と一緒にこの先も進んで行くために、今度の上洛を全力で戦う」
勇人がいつも通りの控えめな表情で言った。その瞳の中に今までに無いような強い光が見えた、と小夜は思った。
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