7-9 左近

 京で帝が尊氏と和睦した、と言う報せが秋になって多賀国府に寄せられてきた。

 尊氏はすでに光厳上皇の弟である豊仁とよひと親王を新帝として即位させており、表向き帝はそれを認めたと言う事になるのだろう。

 だがほとんど時を置かずに、伊勢の北畠親房とその下にいる影太郎からは帝が和睦に先立って秘密裏に自分の息子である恒良つねなが親王に帝位を譲り、新田義貞と共に北陸に脱出させた、と言う裏向きの情報も伝えられて来ていた。

 さらに関東の上野には新田義貞の次男である新田義興よしおきが入り、独自に兵を募り始めていた。

 左近の目から見ても、嫌になる程に情勢は複雑になっている。

 誰が本当の帝なのか最早分からない、と思ったが、陸奥守はどこまでも今の帝を帝として扱っていた。退位したのも見せかけだけの事だ、と判断しているのかもしれない。

 何にせよ京での戦はひとまず足利尊氏が勝ったと言う事になり、関東や陸奥の足利方も活気づいていた。楠木正家の瓜連城もまた落ちており、籠っていた楠木勢も関東の各地に散ったり、あるいは奥州軍に合流したりして来ている。

 陸奥守も足利勢の大規模な攻撃に備えてか、より守りやすい霊山に国府を移そうとしていた。しかし守るだけかと思いきや、自身が関東へ小規模な出兵を行う予定も立てているらしい。

 左近はその出兵に備える意味もあって今は部下達と共に関東を探っている。

 白河の結城宗広、関東に潜む楠木勢、そして忍び達がそれぞれ手分けして北条時行周辺の不審な動きや、新田義興を始めとする宮方の旗幟を示している武士達の事を探っている。

 北条時行はさておき、表向きは味方のはずの武士達も調べなければ行けないのだからおかしな話と言えたが、その必要性は左近にも良く分かった。

 陸奥守の勢力が薄い関東で、五辻宮の配下達が活発に暗躍し、武士達の間での密かな影響力を増しているのだ。

 宮方の武士は本来朝廷と陸奥守を通して帝の意を受けるのが正当な形だが、それらを飛ばして秘密裏に直接帝の意を受ける武士の勢力、と言う物が出来つつある。

 いや、今になって活発に動き始めたから目立っているだけで、本当はずっと前からそんな表に出ない仕組みを帝と五辻宮は作っていたのかもしれない。

 踏み込むのが怖くなるほどに深く暗い謀略の気配がしていた。


「半太夫から最後の連絡があったのは三日前だ」


 猟師の姿をした楠木正家が言った。

 常陸の瓜連城から少し離れた山中である。

 一旦正家の元に戻り動いていた半太夫が姿を消したと言うので、左近は正家と落ち合ってその足取りを追いに来ていた。

 正家は瓜連城を失った後はわずかな部下を率いて関東の山中を転々としているが、城はわざと落としたような物だったらしく、実際には力を失ったようには見えなかった。


「最後の連絡は何と?」


「五辻宮の配下が佐竹にも接触している節がある、と。わしは今はそれ以上調べる必要は無い、と言ったのだが」


 正家が溜息を吐きながら首を振った。


「そのまま一人で佐竹領にまで探りを入れに行ったのでしょうか」


「遺された楠木勢の多くの者が、正成の本当の仇だと思っている節があるからな。特に半太夫のような若い者は」


 誰を正成の本当の仇だと思っているのかは、敢えて正家は口には出さなかった。

 楠木勢は元は河内の悪党であり、明確に武士と呼べるような身分の者は少なかった。半太夫のような忍びでも、一族郎党の扱いを受けていたようで、繋がりは強い。それもあってか、正家は半太夫の身を深く案じているようだった。

 左近としても、忍び一人が消えた、と放置する訳にはいかなかった。生死を確かめ、まだ生きているなら助け出すか、あるいは情報を吐く前に消すかしなくてはならない。

 それが無理でも最低でもどこの誰に捕らえられたのかは、調べなくてはならなかった。どの敵がこちらの情報をどこまで知っているか。それを把握しているか否かでも大きな差が出るのだ。


「ここからは俺と部下達が調べます。正家殿は念のために山中の拠点を移されるべきかと思います」


「うむ。足利方の武士達だけであればいくらでも動きようがあるが、ここしばらくの関東の情勢はどうも得体が知れぬな。お主も気を付けよ」


「はい」


 そのまま正家と別れ、左近は周囲に数名の部下を配しながら山を越えて佐竹の領内に入った。

 ちあめはここまで姿を見せていないが、恐らく付いて来てはいるだろう。京で五辻宮と戦い、勇人に助けられて行こう、ちあめの動きは以前よりもさらに研ぎ澄まされたような繊細さを見せるようになっている。

 佐竹の領内に入ってしばらくした所で、左近は足を止めた。道端に建っている小屋の近くに寄り掛かるようにしている男がいる。そしてその男を中心にして周囲に気配が広がっていた。

 数人の忍び達が潜んでいる。しかもそれを隠そうともしていない。

 部下達に潜んだままでいるよう合図を出し、左近は前に進んだ。近付いてみれば、小屋に寄り掛かっているのは見知った顔だった。

 足利直義配下で、陸奥守の暗殺を粘り強く狙い続けている忍び達。その頭目の片割れで、赤と言う男。

 征西の前に一度直接戦ってからも、ずっと陸奥守の周囲に影のように纏わり付き、こちらと暗闘を続けている忍びの一団だった。左近も部下を何人か失っている。

 ただ、陸奥守が征西から戻り再び陸奥に入ってからは、不気味なほどに動きを潜めていた。今はむしろ五辻宮の配下からの暗殺の方をこちらは警戒している。

 相当な腕の持ち主である、と言うのは最初に戦った時から分かっていた。

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