7-8 南部師行(3)

 その日の夜、陸奥守に酒の席へ誘われた。若干の煩わしさを感じたが、宴と言う程の物でもなく、他に来るのが楓と勇人だけだと言うので応じる事にした。

 今までに時折、陸奥の諸将の間で酒宴が開かれる事はあったが、陸奥守とは互いにいやいやながら参加しているような節があった。

 師行は相当に酒には強い方だが、飲む時は一人で飲む事を好んでいた。

 陸奥守の方は、そもそも酒を飲む事自体あまり好んでいないのだろう。

 師行がやってくると、楓は笑顔で手を上げ、勇人は少し戸惑った様子で小さく頭を下げた。楓の方はすでに図々しくも杯を開けているようだ。


「正直師行には断られるかと半分ほど思っていた」


 座に着くと控えめに杯を傾けながら陸奥守が言った。


「いえ」


「思えば師行とは今まで驚くほどに語り合った事がなかったな。最初から互いに敢えて語り合う事など何もない、と分かっていたのだが」


「戦に関しては言葉にして語る物は本当はそう多くない。そして戦以外の事は全て陸奥守に委ねてしまっていた。それだけの事でしょう」


「私が戦に付いて語る時、どれだけ言葉を尽くしても最後は本当に分かってくれたと思える者がいなかった。師行だけは、何も語らなくても全てを分かっていてくれるような所があったな」


 いくら言葉を尽くしても、戦に関して分からない者は分からないのだ。それは能力が足りないと言うよりも、そもそも考え方や見えている物や感じている物が違うのだろう。

 だから自分は、他人に多くを語るのが苦手だった。

 陸奥守や楓や勇人とは、話していてもまだましではあるが、それでも自分から積極的に話したいと思った事はあまり無かった。


「それで、今日のこれは何のための席ですか」


「特に意味はない。また師行には辛い戦を押し付ける事になる。そうなる前に話しておきたかった、と言うだけだ。気心知れた者達だけで、酒でも飲みながらな」


「左様ですか」


 それから酒を飲みながら四人で話した。戦や政の話にはならず、主に楓と勇人の二人が自分の身の上話を始めとした他愛のない話をした。

 勇人が七百年先の世から流れて来た、と言う話もされたが師行は特にそれ自体には興味は抱かなかった。そう言う奇妙な事もあるのだろう、と思っただけだ。

 陸奥守はやはり酒にはそれほど強くないのか最初に侍女達に連れられて寝所に下がり、勇人もその内に音を上げて横になると、それからは楓と二人で飲み続けた。


「あの勇人さんが他人の前で酔っ払って寝るなんてね。最初に出会った時とは別人みたい。もっとも私達が相手、ってのもあるだろうけど」


 勇人に目をやりながら楓は杯を開けた。


「そんなに飲んで大丈夫なのか」


 止まる様子もなく杯を開け続ける楓が心配になり声を掛けた。楓は若干頬が上気している以外には、今の所変わった様子はない。


「大丈夫だよ、これぐらい。むしろ今まで私より先に潰れなかった人を見た事無いから私は師行さんのが心配かな」


「体の調子はどうだ」


「傷はもう塞がったよ。でも、以前の通りには動くのは難しいかな」


「あの時は、無理をさせたな」


 師行がそう言うと楓はきょとんとしたような顔をして、それから笑い出した。


「気にしないで。あれは私が勝手に先走っただけだから」


「そうか。だが、あの戦では貴様に助けられたと思う」


 楓はその言葉にもう一度きょとんとしたような顔をし、そして今度は真面目な顔を作った。


「そんな事言われると、私調子に乗っちゃうよ?」


「どんな風にだ」


「自分が、師行さんに必要とされる特別な人間じゃないかって勘違いする」


「それは」


 師行は一度杯を口に運んだ。


「勘違いではない、恐らく」


「どのくらい特別なのかも、聞いていい?」


 楓は真剣な表情のまま、師行に尋ねて来た。


「陸奥守や勇人も俺にとっては特別かもしれんが、それとはまた別だ」


「それって、私のこと好きだって事でいいの?」


「そうかもしれん。いや、そうなのだろうな」


 そう言うと、楓は一度うつむいた。


「俺は今まで女に心を傾けた事は無かった。武士の一族の惣領だから、それなりに周りに女は置いてきたが、それは役目としてそうして来ただけだ。だから、恐らく貴様が初めての特別な女と言う事になる」


 言葉を続けた。我ながら不器用な言葉と思う物しか出て来なかった。

 楓は沈黙したまましばらくうつむき続け、それから顔を上げた。泣きそうになるのを必死に堪えているのだろうと分かったが、それは半ば失敗もしていた。


「ずるいなあ。私が色々考えてどう話を切り出そうか、どんな風に折り合いを付けようか、ってずっと悩んでたのに、いきなりそんな事言ってくるんだもん」


「貴様が俺のために戦場でまた無理をすると言うのであれば、その根っこの部分を曖昧にしておく事は出来ん」


「どこまでも、師行さんらしい」


 そう言うと楓は泣き笑いのような表情を作った。


「弱いよね、人間って。戦とか、武士とか、忍びとか、そんな物を自分の全てにしようと思っても、中々そう出来ない」


「俺は今まで、自分をそう言う人間だと思っていた。だが、そうでなかったらしい」


「でも、私も師行さんもそう言う人間でなくちゃいけないよ。特にこの先は」


 楓が自分の涙を拭う。


「もし戦場で顕家様と師行さん、両方が危険に晒されたら、私は顕家様を助ける方を絶対に選ばなきゃいけない。それは師行さんが同じ立場になっても、そうでしょ」


「それは、そうだ」


 自分は戦に勝つ事と楓の命であれば戦に勝つ事を迷いなく選ぶのか。頷きながらもそう考えている事に気付き、師行は戸惑った。

 自分は常に戦に勝つ事だけを目指してきたし、これからもそのはずだ。

 そんな人間には、本気で人を愛する資格は無いのかもしれない。


「そんな事になったら哀しいから、だからこの戦が終わるまで、この事は忘れない?互いに武士と忍びとしてだけ全力を尽くせば二人とも生き残れると信じてさ」


「それで駄目なら、その時はその時、か」


「私は、それでいいよ。それだけで迷わず、前みたいに働けると思う」


 そう言う楓の手は小さく震えていた。しかし表情は気丈な物を取り繕っている。


「無理はするなよ。気持ちに体が付いて行かない者は、戦場では良く死ぬ」


 自分ではこれが精一杯だろう、と思いながら師行は答えていた。


「大丈夫だよ。私がそんな馬鹿じゃないのは、分かってくれてるでしょ」


 楓は酒を注いだままの杯を残し、立ち上がった。


「もう、今日は行くね。これ以上師行さんと一緒に飲むと私もどうなるか分かんないし、今夜の事はお酒の中に紛らわせたまま夢の中の事だったって思いたい。二人で生き残った時にまた現実に繋がる夢だって信じて」


 やはり泣き笑いのような顔だった。


「ああ」


 楓が去り、師行は一人で楓の残していった杯を空けた。


「おい、起きているのだろう、勇人」


 そう声を掛けると、寝転がっていた勇人がゆっくり頭を上げた。


「酒は飲み馴れていませんから、一度本当に限界に来てましたけどね。途中で目が覚めました。邪魔をする気はありませんでしたが」


「陸奥守はこれのために今日の席を設けたのか?」


「師行殿と楓のために何かが必要だと思われたのは確かだと思います」


「余計な事を、とは言えんか」


「あれで良かったのですか?楓とは」


「今は、あんな物だろう。俺のような男には」


 勇人は何か言いたそうな顔をしたが、それでも黙って頷いた。


「もう少し付き合え、勇人。飲み直したい」


「はい」


 体を起こすと、勇人は師行と向かい合ってまた飲み始めた。


「貴様も、陸奥守との事はそろそろどうにかしておくのだな」


「どう言う意味ですか」


「戦場で男が女を守ろうとする気持ちは判断を誤らせる。いつまでも曖昧なままにしておくな。今の俺が言えた事では無いが」


「気付いておられたのですか、顕家様の事を。一体いつから」


「男と女では身のこなしも放つ気も違う。それだけだ」


 勇人は脱帽したような仕草で首を振ると杯を一度置いた。


「やはり敵いませんね、師行殿には。その分では、最初からずっと」


「陸奥守が男だろうと女だろうと俺にはどうでもいい事ではあった。楓と陸奥守とどうあっても男女の関係になる事は無いと分かっていたのは、気が楽ではあったがな」


 そう言うと勇人は吹き出した。


「何がおかしい」


「いえ。やはり師行殿も人の子だと分かり、安心しました」


「次に北に行く前に、一度本気で相手をしてやるか」


「ちょっと」


「冗談だ。貴様は本気の俺を相手にするにはまだ早い」


 まだ、という部分に言外の意味を込めたつもりだったが、通じたかどうかは分からなかった。通じていなくても、どうでもいい事だ。

 後は二人で静かに酒を飲み続けた。

 どれだけ飲んでも、今日の事をただの夢にしてしまうのは難しそうだった。

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