2-4 結城宗広

 久々の多賀国府での評定だった。

 冬が近づき、動けなくなる前に年明けまでの方針を決めておく、と言う名目で有力な諸将が呼び集められていた。

 宗広は顕家の隣に控え、評定に参加している武士や公家の面持ちを見詰めていた。

 やはり一際目を引くのは根城から来ている南部師行だった。北で戦を繰り返していたはずであるのに、まるで疲れや気力の衰えは見られず、こうして座って向き合っているだけでも、大きな体の内側に秘めている気にこちらを圧倒してくるような物があった。

 部屋に入ってから一言も喋らず、目も閉じてまるで禅でもしているかのようにじっと座している。話掛ける者もいないようだ。

 対照的ながらもう一人それと同じほどに目立つのが伊達行朝だった。

 奥州伊達郡に所領を持つ伊達家当主で、宗広や師行とは違い、顕家が奥州に入ってから従い始めた土着の武士だが、評定衆の一人として顕家の信頼を得て重きをなしている。

 戦をするよりも和歌を作り田畑を耕していたい、と公言して憚らない変わり者だが、政だけでなく戦に関しても相当の手腕を発揮する男だった。

 闊達な性格で、今も近くの武士達にあれやこれやと話し掛けている。ほとんど人を嫌うと言う事をしない性格だったが、どうしてだか始めて顔を合わせた時から師行との仲だけは恐ろしく悪く、そこは宗広も頭を抱えていた。ほとんど他人を無視しているとしか思えない師行が、どうしてだが行朝相手には感情をあらわにして罵り、行朝もまるで子供の喧嘩のようにそれに応じたりするのだ。

 宗広は何とかしなくては、と思っていたが、顕家はあまり深刻に考えていないのか、ほとんどそれに関して二人を諌めるような事はしていなかった。

 この二人を別とすれば、奥州の各地からやってきた者達は、あきらかに多賀国府で政務に携わっている者達とは表情が違っており、不安や戸惑いが現れている。

 特に宗広がおや、と思ったのは磐城の伊賀盛光だった。

 顕家が陸奥に下向して以来従っている武士の一人で、津軽の叛乱の制圧に遠征軍の大将として派遣された事もある。顕家からは二人と同じほどに信用されている武士のはずだったが、以前に見た時と比べ顔に気力が無い気がした。

 評定で話し合うような事などは今はさほどないはずで、何故この時期に、と思っていたが、そう言った武士達の様子を見て宗広も得心が行った。顕家は諸将が浮足立っているのを察し、一度自分の顔を見せ、声を聞かせておく必要を感じたのだろう。

 ここしばらくの京の政情は親政が始まって以来の乱れ様を見せている。大塔宮が捕えられた事も、宮方の武士達を戸惑わせ、かなり衝撃を与えただろう。宗広自身も、帝自らの命令で自分の息子である親光が大塔宮を捕えた、と言う事をどう受け止めればいいか分からず、しばしの間、年甲斐もなく狼狽えてしまったものだ。

 評定が始まると顕家は相変わらず若さを感じさせない堂々たる風格と物言いで陸奥守として振る舞い、下問し、下知を授ける。そうしてしばらく評定が進めば、諸将の中に不安げな顔をする者はほとんどいなくなっていた。生き生きとした目になり、進言をしてくる者も出てくる。

 わずか十七歳の、それも本当は少女が、恐らく意図的にこれをやっているのだから、英邁、などと言う言葉に収まる物ではなかった。

 奥州で朝廷に従う武士達の中には様々な思惑が入り混じっている。鎌倉幕府の元で逼塞していた事に対する怨讐、時代の流れに乗って所領を増やそうと目論む野心、代々の所領を守るための日和見、そして純粋な勤王の志。

 それらは全てうつろいやすく脆い物で、その武士達が一つにまとまっていられるのは、やはり北畠顕家と言う一人の人間に賭けている部分があるからだ。

 自分もまた、やはり顕家に賭けているからこそ迷いなく朝廷のために働くと言う決意が出来ている。だがそれでも、顕家を絶対視し、すがり切る事をしては行けない、とこうして顕家と接する度に宗広は自分を戒めていた。


「師行」


 一通り各地の武士達とのやり取りが終わり、顕家が師行の名を呼んだ。


「は」


 今までずっと黙っていた師行が口を開く。


「津軽の方が落ち着いているのであれば、しばらくこちらに留まって私の麾下の騎馬隊の調練を見てもらいたいのだが構わぬか」


「御意に」


 短く答え、師行は頭を下げた。


「助かる。やはり騎馬に関しては私は師行には及ばぬ」


 顕家が笑って言う。やはりこの二人の間には余人の知れぬ信頼関係があった。本当に優れた真の戦人同士の本能のような物が、二人を分かり合わせている。

 顕家には大将として宗広にも見える欠点が一つだけあった。配下の中で力ある者を分かりやすく重んじてしまうのだ。えり好み、と言うよりは他者の力量を正確に見極め、それをそのまま差配に反映させているだけなのだろうが、その人の使い方の隙の無さが、下に付く者達を委縮させ、卑屈にさせてしまっているように思えた。

 不思議な事だが、時に大将が自分の弱みを見せ、配下を頼る事で、一見すると平凡にしか見えない者の中に眠っている思いもよらぬ人の力を引き出す事がある。その力は計算が出来る物ではないが、しかし戦ではそんな風な平凡な者の意外な働きが勝敗を決する事が多々ある。

 大塔宮や足利尊氏、そして今の帝にもそんな風に配下の力を引き出してしまう所があった。顕家には、恐らくそれだけが大将の資質として欠けている。

 自分ですら、顕家を前にするとその大きさにしばしば無力感を感じる事がある程なのだ。他の諸将達が顕家に対して感じている気後れはもっと大きいだろう。顕家の下で働いていると、顕家は過ちを冒す事の無い無謬の大将に見える。見えてしまう。それは、必ずしも良い事ばかりを招く訳ではない。

 自分が何か言ってどうにかなるような物でも無かった。才気の鋭さは、本人が覆っていくしかない。

 評定が終わり顕家が退出して皆が分かれる際に、師行と行朝が言い争いを始めていた。柄にもなく師行が長広舌で皮肉を吐き、それに負けぬ勢いで行朝が言い返してる。

 良くもまあ、あの師行相手に臆する事無くあそこまで言えるものだ、と宗広は変な所で感心してしまった。

 最早この程度の事では止める気にもならず、それを聞き流しながら宗広は顕家の部屋に向かった。評定が終われば部屋に来るように、と先に顕家に言われていたのだ。

 顕家は烏帽子を脱ぎ髪をほどき、少女の姿になっている。他には和政と侍女の朱雀が控えている。この二人の顕家の側近は、耳を無くそうと思えばいつでも無くせる人間だった。


「お疲れ様、宗広さん」


 顕家が女言葉で笑顔で宗広を出迎えた。顕家は分かりやすく、陸奥守北畠顕家と小夜とを切り替えて使い分ける。未だに戸惑いがあったが馴れるしかなかった。


「顕家様こそ、相も変らぬお見事な御沙汰と御振舞いでした。あれで浮足立っていた者達も、落ち着いた事でしょう」


 宗広はどのような場であっても顕家を相手に小夜、と言う名前を使う事はしなかった。一人の人間を別々の二人の人間と見れるほどに器用ではない、と言う自覚があった。どこかでぼろが出てしまうだろう。


「表面だけの事だよ。また何かあれば、揺らぐ人は揺らぐと思う」


「何とか、征西の折にはある程度はまとめておきたい物ですな」


 一度軍勢の体裁さえ整えられれば、その中では揺らいでいる武士達も堅く纏まる事が出来る。勝ち戦の勢いに乗せる事が出来れば尚更だった。


「久々に師行さんと行朝さんの顔を見れて良かったかな」


「あの二人は変わらず、と言ったようでしたな。仲の悪さも変わらぬようでしたが」


「困るよね」


 そう言ったが顕家自身は特に困っている様子も見えなかった。


「それで」


 本題、と言うように顕家が声の調子を僅かに変えた。表情も精悍な物になる。


「宗広さんの目から見て、まず信用出来る、と思えるのは誰だった?」


「中々、厳しい事を尋ねられますな」


 予想していた問いかけだったが、それでも僅かに表情が強張らざるを得なかった。

 誰が決して裏切らないか、あるいは裏切り得るか。この先の事を考えるとそこまで考えて諸将の事を見ていかないと行けないのは確かだ。だが、疑心暗鬼が人を裏切らせる、と言う事もある。宗広の目にはいかにも危ういように見えていても、実際には顕家にそれを口に出して言う事で裏切りへ背中を押してしまうかも知れない。

 それでも、顕家が自分を選んでここに呼び尋ねてくる以上、あいまいな答えをする訳には行かなかった。

 ひとまず南部師行、伊達行朝の二人の他、何人かの名前を宗広は上げて行った。

少し迷ったが、伊賀盛光はその中に入れなかった。


「そう」


 わずかに沈黙を挟み、顕家は頷いた。沈黙の中には、戸惑いがあった様に思えた。


「盛光さんの事は、信用できないと思う?」


「それがしには、以前よりも揺らいでいるように見えました」


「厳しい質問だと思ったけど、率直に答えてくれてありがとう」


「いえ」


 それで一旦その話題は終わり、次は地図を広げて奥州の情勢の話になった。

 顕家は奥州の隅々の細かい所まで頭に入れていた。どの土地でどれほどの収穫が見込めるか、豪族がどれほどの兵を持っているか、地形や城、その土地を治めている武士がどのような来歴か、そんな事まで何も見ずに顕家は語り、それを元にこの後の奥州の情勢について細かい想定と展望を語る。

 内容はどこにも曖昧な物が無く、理路整然としていて、相変わらず卓越した物を感じさせる話だった。しかし、宗広は何か違和感を憶えていた。

 そのまましばらくやり取りを続けていて、不意に今までずっと黙って控えていただけだった和政が口を開いた。


「顕家様」


「何?」


「御気分がすぐれないのではありませんか?」


「どうしてそう思うの?」


「失礼ながらお声に力が無いように思われましたので」


 そう言われ、顕家はしばしの間目を閉じ、うつむいた。


「そうだね、言われてみたら今日はちょっと気分が悪いかな。宗広さん、途中だけど今日はここまでにしよう」


「はっ」


「ちょっと、奥で休むね」


 そう言い残すと顕家は出て行こうとする。


「何かお悩みですか、顕家様」


 その背中に、宗広は声を掛けていた。顕家は足を止め、振り向いた。


「人の心は難しいなって思ってるかな。それだけだよ」


 しばらくの沈黙の後でそれだけ答え、顕家は出て行く。後には、宗広と和政と朱雀の三人が残された。

 どうされたのだ、顕家様は。宗広はそう二人に尋ねようとしたが、それより先に二人からも戸惑いの気配を感じ、尋ねる事が出来なかった。

 そう言えば、勇人がいなくなったのだ、と、しばらく考え宗広は思い至った。

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