第八章 零れている匣は何色に染まっている

あれから何日が経っただろう。

サチとの共同生活も3ヶ月ほどだろうか。

頭の中で鳴るサイレンに従ってサチ事はあれ以上知ろうとしなかった。

もちろん、手も出していない。

仕事を受けたり遊びに出たり、相変らず自由に暮らしてその間サチは弟に会いに行くと出かけたり好きに暮らしていた。

彼女は何かしらの理由でまともな職にはつけないらしく、生活費は厳ついお兄さんに貰いながら簡単な俺の仕事を手伝う事も増えて行った。


けど、3ヶ月。

彼女と暮らして気づいている事がある。

出会った当初よりも痩せ、具合が悪そうだ。

彼女は何かしらの出来事があって俺の家に住む事になったんだろう。

依頼人と言われる人間が裏社会の人間に「隠せ」と頼んでいるわけだ。

そんな厄介事の渦中の彼女は俺の知らない所で何かとてつもないストレスをあびているのかもしれない。

食事は摂っているし、睡眠も問題なさそうだが、目に見えて彼女はこの3ヶ月でやつれていた。


「なぁ、サチちゃん。病院とか行けないの?」


ドキリとした彼女の肩が露骨に揺れた。


「え、どうしたの?急に」


「明らかに具合悪そうなんだけど、サチちゃんが訳ありなのもわかってる。だから、もしまともな医者にかかれねぇんだったら事務所お兄さんに聞いて隠れて行ける医者探すからさ。」


そう言うと俯いて黙ってしまった。


「具合悪い理由とか詮索する気ねぇし、ただ薬とかで少しマシになるんならって思ってよ」


「うん。ありがとう。たぶん表の病院には行けないと思うから…」


「わかった。お兄さんにちょっと連絡するから待ってろ」


スマホを取り出し電話をかけて簡単に事情を話した。

バツが悪そうな声で返事をしてきたお兄さんはしばらくしたら迎えに行くとだけ残して電話を切った。


「迎えに来るって言ってるから、準備して待ってよ。」


そう伝えたら申し訳無さそうな、気まずそうなサチは着替えやメイクなど外出の準備を始めた。

自分も着替えを済ませ一緒に出る支度をすれば着いてきてくれるのか?とサチは驚いていた。

当然だろと一言返せば彼女は俯いて小さな声で話し始めた。


「もし。検査して。どんな結果が出ても貴方は私の友達で居てくれる?」


友達と言う言葉がチクリとする。

それは顔に出さずにヘラヘラと笑いながら誤魔化して返事した。


「なんだよ。検査したら何が出るんだよ。検査でバカがバレるのが怖いのかー?」


「もー!すぐそうやって茶化す!」


2人で笑っている所に迎えの車が来た。

何となく気まずい車内でタバコを吸って時間を潰した。

車を飛ばしてどれくらいだろう。程なくして街の片隅にある診療所の前に車が到着する。

今は時間外の診療所に入ればメガネを掛けた中年の医師が自分達を招き入れた。


話はお兄さんから通っていたみたいで、サチだけを中に通し俺は待合室に座る。

お兄さんは明らかに怪しい封筒を医師に渡すと、先に帰るからなと俺たちを残して診療所を後にした。


色んな検査をしいるのだろう。

随分と時間が経ったが待合室と外を行ったり来たりしてはタバコとスマホで時間を潰した。

かなり時間が経ってから中から彼女が出てきた。

彼女を座らせると医師は簡単に説明を始めた。


「彼女の症状は少し難しくてね。今はとりあえず点滴で栄養を入れたよ。定期的に点滴を続けてみよう。少し…説明ができないんだが、病状を改善できる方法を私なりに探してみるよ」


頭には大量のハテナが浮かんだ。

何にせよすぐに良くなる訳では無さそうだ。

芳しくないと言う気配も察知した。

今の俺に出来るのは彼女を点滴に通わせる事くらいだろう。


「サチちゃん。点滴しばらく通えそうか?」


「一緒に来てくれるなら」


「わかったわかった」


医師に頭を下げるとお代はもらってますからと、タクシーを呼んでもらってそのまま帰宅した。

点滴のおかげか少し顔色の良くなった彼女は窓の外を眺めて優しく笑っていた。


そこから数日、点滴治療を続けながら彼女の様子を見守った。

少しはマシなようで前よりは見ていて安心する。

今日も点滴に出かけようと思った時だった。


「あのさ…だいぶ調子もいいから今日は点滴サボっちゃダメかな…」


「どうしてだ?やっぱり点滴辛いか?」


「いや、あの…今日ね。弟に会う約束してたの。体調の事もあるし、きちんと弟と話したくて」


「そっか。わかった。体調悪くなればすぐに連絡しろよ。」


「うん。ありがとう。」


嬉しそうに笑う彼女は本当に眩しかった。

身なりを整え、早く帰るねと笑って彼女は日差しの溢れる玄関の扉をくぐって行った。



その背中が最後になると。

その時の俺に誰か教えてくれたなら。

その背中を抱きしめて引き止められたんだろうか。





それから彼女は帰らなかった。

スマホに連絡しても通じなかった。

5日経過した時点で厳ついお兄さんに伝えに事務所へ行けば当然焦りまくり、俺は先輩と一緒に土の中で寝る覚悟まで済ませた。

が、案外優しいもので今まで悪かったなと、それなりの金額を包んで持たせてくれた。

お兄さんはあれだけ焦った割に予め何か悟っていたのか、あの診療所に電話をかけ忙しそうに奥の部屋へと消えた。


呆然とした俺は事務所を出た。

タバコを咥えて煙を見つめる。

いつもと違う1人分の煙が登っていくのを見れば、涙よりため息が溢れた。


どこで踏み外したんだろう。

彼女は何故戻らなかったのか。

考えても見つからない答えなのに巡る思考は止まらない。

目の前から消えてしまうなら彼女に好きと伝えればよかったのだろうか。

伝えないままに終わった恋なんて甘酸っぱい物は似合わないので、煙に隠して都会の空に投げた。


家にあった彼女のものを全て纏めてクローゼットに押し込んだ。

自暴自棄に酒に潰れてみたり、賭け事に興じてみたり、意味なく部屋の物を破壊したり、興味は無いが傷ついた人間がやりそうな事を一通りやって見た。

埋まるはず無かった。


何ヶ月経っただろう。もうどれほどの時間を空っぽで過ごしただろう。

彼女と過ごした時間よりも、彼女が消えてからの方が長くなった頃から不思議な感覚に襲われていた。

これはイライラだろうか。

自分でも収まりのつかない怒りのようなものが腹の中で煮えている。

以前彼女がイライラした時にタバコを吸うと言っていたから、そう思った時はタバコを吸った。

思い出に傷を癒されながら傷心に浸ってみる時間だった。

ため息をつきながらテレビをつけてチャンネルを変えていく。

見たくもない情報が次々と飛び込んでくる中

俺は自分の目を疑った。




『新種の奇病で死亡した女性、久保田奈緒さんの心臓を摘出 今後の医学の為大学病院で保管 新しい治療に期待』


そんな興味なのないテロップと一緒に映し出されていた女性は


サチだった。



見間違えるわけのない彼女の顔。

最後に見たあの時から少し痩せているだろうか。

久しぶりに見た彼女に喜びを隠せなかった。

しかし、その顔写真の下に出てるテロップには


死亡…

久保田 奈緒…

心臓…


飛び込んできた情報に眼球がドクドクと脈打つ様だった。

怒りで震えるとはこの事だろうか。

吐き気がしてその場で吐いた。

息を切らして画面に目を戻せば映し出されたのは人の心臓と思えない大きさの心臓。

ホルマリン漬けだろうか、瓶に入れられ水中に浮いていた。

その大きな心臓を見た時に身体中の血管が逆流するような感覚に襲われる。


嗚呼これは彼女だ。


その心臓が愛しくて仕方なかった。

大切な彼女の、唯一この世に残された最後の一欠片。

彼女は心臓になったんだ。


狂ったようにテレビに齧り付いた。

録画し何度もその場面を再生する。

肥大した心臓を画面に映し自分を慰めた。

その時だった。

自分の中でこの数ヶ月煮え続けた何かが解消されていくのを感じた。


そうだ。彼女を探そう。


まともに考える余裕などなかった。

黒谷はただ彼女に会わなければと思案した。


気がついたら1人の女性を口説いていた。

その女性を家に連れ込み、酒を飲ませ眠った時に。



開いてみた。



心臓を見てみたいという好奇心だ。

彼女を見たかったのだ。


温かい彼女を取り出し抱きしめた。

照れて真っ赤な彼女は何ヶ月も待ち焦がれた愛しい人だ。

彼女と繋がり涙を流した。やっとひとつになった。


しかし段々と彼女は温かさを失い、俺だけが取り残される。

その虚無に1人で叫んだ。

ダメだ。彼女を探さないと。

それに彼女はもっと美しい。

もっとたおやかで、美しい。違うんだ。


彼女を探しに出ようと思えば、家に知らない女が1人転がっていた。

面倒だったが彼女と居るためにバレては行けないと察して、先輩のいる土の中で眠ってもらうことにした。



何度だろう。

彼女と出会って別れた。

彼女はいつだって僕を残して冷たくなる。

何度も、何度も君に出会いに行く。

繰り返して、繰り返して寂しさを埋めても寂しかった。


何度目かわからなかった出会いの時、詰めが甘く女性と歩いている所を見られていた。

防犯カメラに残った映像から警察は捜査し俺を突き止めた。

大量の警察官が家になだれ込んできた。

抑え込まれ「殺人罪で逮捕する」そう叫ばれ連行された。


その時初めて知った。

俺は出会っていたのでなく。殺していたのだと。


そうして俺は連続殺人犯として収監された。

だから最初に会った時に言っただろう。

『見つかったのが8人』

俺は本当に覚えて居ないんだ。

何度も何度も彼女に出会っていただけだから。




昔話がひと段落した。

ナイがストローを追いかけるいつもの景色を見ながら野崎の手は震えていた。


「これが俺の話。だから俺がこの報酬で請求したものは。久保田奈緒の心臓だ。」


ダンっと強い打音が部屋に響く。

西森が机を殴る音だった。

刑務所員が慌てて押さえ込もうとするがそれを野崎が制した。


「待ってください。話しましょう。きちんと皆で最後まで。」


震える声で自分の限界をとうに越えているであろう野崎が西森を見つめる。

その後に黒谷をゆっくりと見つめた。


「黒谷さんが請求した報酬は。久保田奈緒さんの心臓です。西森さんの居た病院で処置された物です。」


調書を開きながら野崎は説明文を読み上げる


「久保田奈緒さんは黒谷さんの仰る診療所からの紹介で、西森さんの勤めていた修生大学病院へと入院されました。

久保田奈緒さんはある日痩せ細りボロボロの状態で診療所に駆け込み、診療所がこれ以上ここでの治療は不可能と判断しました。黒谷さんが言うように彼女は訳ありで表から入院は出来ませんでした。

ですが彼女の病状は特殊で、修生大学病院側は最初から彼女を研究対象として入院させて居ました。」


西森黒谷両者の手が震える。

調書を持っている野崎の手も震えていた。

誰もが自分の限界を越えながらこの何年も前の事件の苦しみをぶつけられている。

剥き出しの事実が彼らを次々と貫いていく。


何年もたった今、彼らの過去は繋がった。

連続殺人犯の過去が一人の女性で結ばれた。


彼らの背負った過去も、罪も何一つ消えないまま色だけを濃くして行った。

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