第六章 半鐘を黙認すれば不知でいられた
西森が話した内容を聞いて一同の空気は重くなる。
ナイは外を見つめ、黒谷は手遊びをして下を向いていた。
野崎は言葉の掛け方に困り何度も西森を見ては躊躇っていた。
「こんなつまらない話ですよ。飽き飽きするでしょ。よくあるやつです。皆さんそんなもんでしょう。」
よくある話なんだろうか。
このままではこの空気は変わらない。
息ができなくなりそうな空気を突破するために野崎は大きな声を出した。
「話してくれてありがとうございます!なんかちょっと西森さんを知れたような知れてないような!そんな気がしました!はははは!!」
無理やりすぎる突破口に黒谷は頭を抱え、ナイは顔を覗き込んでくる。
本人の西森は我関せずで読書を続けていたが、少し笑っているようにも見える。
「で、僕は話しましたけど他の誰か話してくれないんですか?それとも捜査に進展とかないんですか?」
そう言われて野崎は慌ててスマホを確認する
「あ!えっと!なにも…」
ガッカリとした野崎を見て3人も心なしかガッカリしている。
「水…」
ナイがまた水を求めれば、声を荒げるかと思った黒谷が当たり前のように手際良くストローを抑えた。
「もういちいち怒鳴ってても仕方ないだろ。お前これから何十回でも言う気だろ。」
呆れながら黒谷にそう言えばナイは返事の代わりにほんのりと笑った。
「笑ってんじゃねーぞ。殺すぞ」
こんなにも笑えない『殺すぞ』がこの世に存在するだろうか。
野崎はとんだブラックジョークに苦笑いしながらスマホを操作する。
捜査本部からの連絡では、マスコミ等で今後一切扱わないという事くらいで進展や喜ばしい連絡は何も無い。
今朝から報道が止められ、今はもう夕方。
そろそろ陽も落ちてしまいそうだ。
半日費やしてやっと語り終えた西森の話は重く濃い内容だった。
一先ずこの西森の過去の話は終わらせよう。
野崎は捜査について話始める。
「ちなみに…まだ本部から新しい連絡はありません。けれど、もう既に報道は止まっているはずです。あれほど連日報道されていた自分の事件が急に取り扱われないとなると、犯人もそろそろ異変に気づくかもしれませんね…」
重い空気を打破しようと頑張って話しかけるもまだ空気はギクシャクしている。
見かねた黒谷が口を挟んだ。
「あのさ。警察がどこまで許可するか知らねえけど…もし俺にパソコン渡すってんならこの事件について新しい書き込みはねぇかとか、犯行声明が出てないかだとか調べてもいいけど。」
「え?黒谷さんがですか?」
「お前今俺がパソコン使えんのかって疑っただろ」
「はい。…あ!え!違います疑ってないです!!」
秒速で漏れ出た野崎の本音に黒谷は露骨に不機嫌そうな顔を見せる。
しかしその不機嫌な表情は最初の頃の本気で怒っていた顔と違って、悪ふざけの表情だと言うのは一瞬で読み取れた。
「す、すみません。3人の中では1番パソコンとか縁遠いように思ってしまって。まぁ、ナイさんはどうなのかわからないですけど…西森さんの方が詳しそうだなって…」
どんどんと声が小さくなり言葉尻が弱々しい。
チラリと黒谷の機嫌を伺いながら恐る恐る話す。
「何となくお前の言いたいことはわかるけどな。一応こう見えて俺殺人で捕まるまではネット犯罪で食ってたんだよ」
「最低じゃないですか!」
食い気味で野崎が大きな声を出すと西森もすかさず口を開く
「君もうるさいですよ。あと、ネット犯罪より殺人の方が十分最低ですから落ち着いてください。」
「すみません・・・。でもネット犯罪なんて何したんですか!?捕まりますよ!?」
再度野口の口から飛び出るとんでもない音量の言葉に黒谷は耳を塞ぎながら
「うるせぇなぁ。今ここどこだと思ってんだよ。」
最もすぎるツッコミを放った。
全くその通りで野崎は次の言葉が出てこない。
ハクハクと口を動かしたが一旦落ち着くために深呼吸して再度続けた。
「で、そんな危ないことしてたんならパソコンお得意なんですね?もし私が捜査本部に掛け合ってパソコンの使用許可が出たら本当に、本気で、真剣に探してくれますか?」
黒谷の顔を覗き込みながら迫真の表情で迫る。
確かにネット上に犯人の手がかりがあるなら喉から手が出るほど欲しい。
どの程度のネット犯罪かは知らないが「食ってた」と言うほどならそれなりに使いこなせるのだろう。
ダークウェブだの、裏サイトだのその手の人間にしかたどり着けない範囲も探す事が出来るかもしれない。
真剣に黒谷の顔を見つめズイッと前に出る。
その顔を見ながらふざけたように黒谷は答えた。
「お前あんまり顔近づけたらチューしちゃうぞ。」
「!」
「って子供みたいなことは置いといてパソコンよこすなら手伝ってもいい。約束の報酬もらえるんなら追加で何もいらねぇよ。」
そう言っていたずらっ子のように笑った黒谷だが一瞬だけ酷く冷静な顔で西森を一瞥した。
顔を赤らめて怒る野崎はその一瞬を捉えることはできなかった。
どういう理由でそんな目で西森を見たのか。
悪ふざけの表情に一瞬で戻り何も無かったようにニヤニヤと笑って野崎を茶化す。
「で、俺にパソコン渡すの?やめとく?」
黒谷は投げやりに聞きながら言われてもないのにナイの口元にストローを持って行く。
なんの抵抗もなく当たり前のように水分補給を済ませるとナイは頭を下げてまたどこかを見ている。
ナイは今回の話をどこまで聞いていたのだろうか理解しているのか分からないが黒谷とは打ち解けており、西森とあまり話してはいないが険悪というわけではなさそうだ。
ナイの事が1番掴めないが、特に困った行動もなく今彼になぜ拘束具を取り付ける必要があるのか分からなかった。
後で改めて彼の事を知る刑事に聞いてみよう。
それよりも今は黒谷のパソコンだ。
「黒谷さん。パソコンを提供できるか掛け合ってみますので少しお待ちください。ただしもちろん私の前で監視下でになります。他の皆さんも捜査のために必要なものがあったらご提案ください。」
「はーい」
だるそうに答える黒谷と黙って頷く二名。
3人の返事を確認してから時計を見る。
もう既に陽が暮れており今日はここで終わりにしたほうがよさそうだ。
「じゃあ、今日はここまでにします。明日またパソコンのことや報道の事色々お話ししましょう。ゆっくり休んでください。」
野崎は席を立つ。
先に部屋を出ようとした時だった。
黒谷が一言だけ声をかけた。
「野崎ちゃん。約束の報酬絶対俺にくれるよな。」
黒谷の言葉に野崎の心臓が跳ねた。
ドクドクと聞こえて来そうなほどに脈が速くなる。
ドアノブを握る手に大量の汗をかいているのがわかる。
精一杯平静を装って振り返って野崎が答える。
「はい。この事件が解決した暁にはきちんとお支払いしますよ。」
裏返りそうな声を無理やり収めて言い切ったと同時に扉を閉めた。
早くなった鼓動を落ち着かせながら捜査本部へと戻る。
大きな会議室には数名の刑事が残っておりその中には川原もいた。
「お疲れさん。今日はどんな具合だ?」
「お疲れ様です。今日は色んな話ができてよかったです。そこで黒谷が過去にネット犯罪をしていた事があるらしく、もしパソコンの使用が許可されるならネット上に犯人からの犯行声明などが出ていないか探したりできると言ってまして…」
「パソコンねぇ…」
川原が渋い顔をするのは当然だ。
元々ネット犯罪をしていたような人間にパソコンを与えれば何をするかわかったものではない。
捜査の内容をもしどこかに書き込まれでもしたらとんでもないことになる。
「ですが、黒谷の要求している報酬の品は特殊です。彼はよほどの執着であれを求めています。
もし裏切るような真似をしたら二度と手に入らない物品です。きっとおかしな真似はしないと思うんです」
必死に食い下がる野崎を怪訝そうに見た川原は彼女の肩を掴んで話す。
「お前がそう信じたいんだろ?忘れるなよあいつらは殺人鬼だ。簡単に信じるな。」
ハッとした野崎は今日のことを思い返す。
私は西森から凄惨な殺人事件の話を聞いたはずだった。
けれど、野崎の抱いた感情は西森への同情だった。
あの話を聞いて西森と久保田と言う見知らぬ女性に同情していた。
どんな理由であれ殺人など許されるはずないのに、野崎の中で『仕方なかった』と言わんばかりに殺人が正当化されようとしていた。
彼は殺人鬼で、自分は刑事だ。
絶対にしてはいけない勘違いをしようとしていた。
人間は常に自分の都合のいいように理解したがる。
野崎の中で『西森はいい人なのかもしれない』と言う僅かな希望があった。
その想いが西森の話を都合よく受け取らせてしまう。
けれど、彼の話した内容が本当なら。
西森は…久保田は…
どうすれば救われたのだろう。
絶対に救われない境遇で、もし西森があのまま目をつぶっていたら彼女は浮かばれなかっただろう。
西森の手で仇討ちがなされた。
現代において仇討ちなどあっていいわけが無いとわかっている。
けれど、あまりにも2人は世界に見放され過ぎていた。
世界が 彼らが生きる事を 邪魔したんだ
考えればどんどんやるせない思いが込み上げる。
自分の気持ちを落ち着ける先が見つからない。
殺人と言う大罪は決して許してはいけない。
そう何度も反芻して不安を塗りつぶす。
何度も何度も自分に言い聞かせた。
「おい!野崎…野崎!」
川原に力強く肩を揺すぶられる
驚いて見上げれば心配そうに川原が顔を覗いていた。
「すみません!大丈夫です!」
「お前急にボーっとして…心配するだろ。どこが大丈夫なんだよ。疲れてるみたいだから早く帰って寝ろ。あとな、パソコンは俺が掛け合ってやる。明日朝一で俺の所に来い。揃えておいてやるから。」
「ありがとうございます!何から何まですみません…」
「その代わりきちんと監視しろよ。成果あげて。さっさと終わらせろ。お前が担当官なんだからお前が舵を取る側なんだぞ。」
川原の言葉は痛いくらいに正しい。
それはわかっている。
彼の言うように今私が揺らいではいけないんだ。
私が余計な事を考えるから。
ただ捜査をすればいいだけなのに。
今捜査のことよりも彼らが持つ知らない部分が気になる。
何故殺めるのか。
西森の話はとても興味深かった。
気がついたらの彼の話にめり込んでいた。
会ったこともない女性に気持ちを取られ涙を流しそうだった。
本当にあったかもわからない、西森の詭弁でもおかしくないのに。
それなのに私は懲りずに残り2人の事も知りたいと願っている。
これがきっと西森の憎んだ”好奇心”だ。
私は今西森を苦しめた医師と同じく好奇心で捜査を鈍らせている。
あの話の医師たちの気持ちが今なら少しわかるかもしれない。
知らない事を知る快感は麻薬的な効果がある。
それが凶悪犯と言うイレギュラーな存在の過去なのだから尚更興味をそそられる。
普通なら聞くことの無い事ばかりだ。
もっと知りたいと顔を出す感情を押し殺して自分の刑事の顔を思い出す。
川原の顔を見て自分のするべき事を何度も何度も言い聞かせ、振り絞った声で返事をする。
「はい。つい彼らと話しているとどうも…わかってるんですけど、気がついたらふと変な事を…」
「飲み込まれるなよ。あいつらは言葉巧みに適当なこと言って誤魔化すんだ。お前がしっかりお前でいろ。ブレるなよ。」
野崎は背中をトンと押され少しよろめいた。
無理に笑って川原を見上げお辞儀をした。
その時の川原は酷く悲しそうな顔をしているように思えた。
次の言葉に困った時野崎はふとナイの事を思い出した。
川原ならここで長く勤めている先輩だし何か知っているかもしれない。
「あの、話は変わるんですが…先輩に少しお聞きしたいことがありまして。」
「どうした?構わないが…ここ座れよ」
話が長くなりそうだと察したのか川原は椅子をひき座るように促した。
2人で椅子に腰掛け会話を始める。
「今回の受特にいるナイさんについてなんですが、どうして彼だけあれほど厳重に拘束具が取り付けられているんですか?」
頭をかいて話しにくそうにした川原は姿勢をただして向き直った。
「話しても構わないが気分が悪くなっても、今後あいつと関わりにくくなっても責任は持たんぞ。」
「はい。」
いつになく真剣な川原に押されながら続きを待つ。
「あいつの事件の内容は細かくは公にされてないんだ。受特の任命時に渡されたお前が持ってる調書くらいなもんだよ。当日関わった刑事ももうここに残ってない。ただ、噂話だけが残ってるんだ。その内容は、奴が連れてこられて取り調べで「僕がやった」以外は何も話さなかったんだが「本当にお前が食ったのか?」そう聞かれた時に突然暴れて担当刑事の首に思いっきり噛み付いたんだよ。」
そう言われて野崎はヒッと短く息を吸い首を抑えた。
怯える野崎をそのままに川原は話を続ける。
「それでその刑事は無事だったんだが、それ以降奴は警戒されてた。収監されてからも囚人同士で揉めて噛み付こうとしたりしていたそうだ。それもあって奴には特別に警戒するようにと周知され、口と手に拘束具をつける事になってる。けれど、噂話だからな尾ひれはひれが付いて色んな話になって…だから必要以上に全員が怯えてる。これがナイの知ってる事全てだ」
1番穏やかそうに見えたナイの凶暴性を知り動揺する。
確かに連続殺人犯なのだからそれで当然なのかもしれない。
未だに彼らの凶暴性を信じられない野崎は刑事に向いていないのだろうかと自問した。
「ありがとうございます…担当刑事が襲われるなんて事があったんですね。何も知らなかった」
「あぁ、あいつの事件は不自然な程に色々消されてるしな。記録も担当した刑事も。奴の裁判だっていつ終わったのか誰も知らない間に刑が決まってた。あの事件を深追いしたら消えた人間もいる」
「え?」
「そういう事だよ。触れちゃいけない事件ってのは結構あるもんだ。お前はナイの事件の担当じゃないだろ。お前は”国被連続殺人事件”の受特担当官だ。余計な事考えずにほら、もう遅いからそろそろ帰れ。」
手をシッシッと振り野崎を帰らせる。
早く休ませようとする川原の優しさなのだろう。
頭を下げ調査本部を後にし帰路につく。
すっかり暗くなった夜道を歩いて駅に向かう。
また人間だらけの呼吸さえし辛い電車の中に詰め込まれて自宅へと戻る。
長い一日だった。
エナジードリンクを吐きそうになりながらあの部屋に辿り着いたのは何日も前のように感じる。
そうだまだ私は2日間しか彼らと過ごしていなかった。
解決までどれだけの時間になるのだろう。
少しでも早く解決しなければ。
遺族の為に、新しい犠牲者を出す前に。
私が私の輪郭をなぞれるうちに。
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