第五章 鼓膜に残った泡が割れる程の音


声も出せずに廊下で泣き明かした。

フラフラと歩き出し家へと帰った。

帰るなり無我夢中でパソコンを叩いた。

彼女の症例に似た物を見つけられればまだ助けられる可能性がある。

まだ間に合うのなら…


次の日も仕事を休んで探し続けた。

一心不乱に食事も睡眠も全て忘れ、必死に探してもなにも見つからない。

当然なのかもしれない。

彼女の症例を見た時に医師達が揃いも揃って、まるで子供が初めて手に入れた玩具を見るようにギラギラとした好奇心の目を向けていた。

きっと、どこにもないからなんだ。


なにもできない。

彼女が入院してきた時からそうだ。

僕にはなにができただろう。


彼女に

そして彼女のために自分を殺したという“あの子”に


なにも見つけられなかった。そう絶望する西森の携帯に1通の連絡が入る。

久保田が死亡したという淡白な連絡だった。


死亡した?殺したではなくて?

殺したんだろう。

自分たちの欲のために。


勝手に抱いた感情が渦巻いて西森の脳内を、心中を掻き乱した。

憧れ続け念願かなってなった医者もこうなれば人殺し集団だ。


「そうか、僕は人殺しだったんんだ」


ストンと西森の中で何かが腑に落ちた

疲れ切った顔で西森は笑った。

真っ暗な部屋の中パソコンのモニターに照らされる西森の顔は泣いたまま笑っていた。


嫌に冷静になった西森は落ち着いて仕事の準備を始めた。

いつも通りに髪を整え鞄を持って病院へ向かう。

ちょっと違うのは病院へ行く前にホームセンターに何件も立ち寄ったくらいだ。


病院へ着いたらまず久保田を探した。

彼女の病室はきれいに片付けられていた。

病室に置かれたワゴンの引き出しを開ければそこに忘れられたハンドクリームが転がっていた。

そのまま引き出しを閉めて歩き出す。

ナースステーションで確認すれば彼女は手術中に容態が急変し死亡という事で処理が済んでいた。

そのカルテに描かれた担当医の名前を確認する。

並んだ名前はどれも知った名前で日頃から関わっている人間ばかりだった。


ゆっくりと歩き出し担当した医師の元へ。

人気のない廊下を歩いている彼をすれ違いざまに




刺した




ホームセンターで何本も購入した包丁のうちの一本で、彼の腹部を刺す。

的確に殺めるために刃を上にして刺した包丁を更に上へと押し上げる。

鈍い声をあげて床に倒れ込んだ彼を置き去りに騒ぎになる前に次の場所へと急ぐ。


担当した助手、麻酔科医、今回の決定をした古株の医師、手当たり次第に襲いかかる。

好奇心の目で彼女を見た全員を。

何人目かなんて覚えていないが途中「人殺し」と言った奴もいた。

自分のことを言っているのだろう。

言われなくても君たちが人殺しなのは把握している。

けれどその言葉についカッとなって何度も何度も顔を殴り続けた。

そいつが誰だったか改めて顔を見直した時には知らない顔になっていた。


その頃には自分の衣服も血だらけになり騒ぎになりそうだったので、手早く当直室で置いてあった服に着替えた。

ついでに殺した医師のポケットから車の鍵を拝借し、人殺し野郎ご自慢の外車で病院を後にした。


今回彼女を軟禁して研究する事

殺してでも心臓を奪って調べる事

これら全ての決断を下した院長の家へと車を走らせる。


家の前に車をつけてインターホンを鳴らせば豪華な門が開き玄関へと向かう。

趣味の悪い豪勢な一軒家の玄関を潜ると秘書と思しき女性が出迎えた。


「どう言ったご用件でしょう」


「修生大学病院で勤務している医師です。急患のことで急ぎ院長にお伝えすることが。」


「アポはお取りでしょうか?」


玄関の扉を閉めると同時にその女性には静かになってもらった。

少しぶつかっただけだが彼女は床に血液をぶち撒けて玄関で眠っているようだ。


家の中へ足を進める。院長を探すがその前に目に入ってきたのはリビングだ。

院長の家族が団欒している。

妻は子供達のご飯を準備し子供達は笑顔で駆け寄る。

子供は2人だった。

姉と弟何の不自由もない元気そうな子。

食卓に集って温かいご飯を食べる。


彼女だって…久保田だって…こんな風に家庭を持てたはずだ。

悔しかった。目の前が歪んでいく。意識が朦朧とする。

リビングで流れるテレビの音が大きい。

外の車の音、流れる水道の音、視界に飛び込んでくる色がうるさい。

うるさい!!

そう叫んだ時には温かい料理に顔面から突っ伏して食卓で2人の子供が眠っていた。

白目を剥いて笑っているように見える子供の顔を触って久保田が子供を持ったら、行儀の悪い子になりそうだななんて考えた。

よく見たら子供は死んでいた。

いつの間に死んだのだろう。

彼女もいつの間にか死んでいた。

そんなもんなんだろう。


床に這いつくばって叫んでいる妻の声がうるさい。

考え事をしているのにこの女が、テレビが、車が、色が世界がうるさい。

静かにならないかな。

手を伸ばせば余計にうるさくなったので、うるさい口を塞いだ。

まだうるさかったから喉を掴んで声帯を抑えた。

すぐに静かになった。


まだ周りがうるさい。

早く済ませて家に帰ろう。


広い家を歩き回って探す。

途中大きな声を出した奴がいたから静かにしてもらった。

ハウスキーパーかなんかだろう。

床に転がったその人を踏み越えて奥へ。


いた。


大きな声で喚きながら何かを言ってくるので、無視をした。

彼女の声だって無視したのだからきっと無視してもいいんだろうと言う事にした。


派手に飾られた室内はとてもうるさかった。

置かれている宝石だらけの趣味の悪い派手な置物が癪に触ったので掴んでみた。

何度か上下に動かし勢いよく振り下ろすと、気が付いた時には置物は赤く塗り変わっていた。

先ほどより少しは色彩が大人しくなった。

もう少し控えめな色になってくれるかと思って追加で何度も振り下ろした。

床まで統一された赤色になり、先ほどよりはマシになったようだ。

手まで色がついてしまったのでそこに転がっていた男性の服で拭いた。




呼吸を整えこの家にあった服を拝借して着替え、帰るために身支度を整える。

服を拝借したときに戸棚にあった一冊の本を手に取った。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

有名な書物だが読んだことはなかった。

パラパラとページをめくって読んでいけば、先ほどまであれほどうるさかった世界が静かになった。

その静けさに安堵して深く深呼吸し、本を拝借してゆっくりと歩いて帰路についた。


落ち着き払って帰宅すればいつもと変わらない我が家だった。

てっきり警察が押し寄せたりしているかと思ったが案外有能ではないようだ。


家へ入ってソファに座ってコーヒーを片手に本を読んだ。

程なくして読み終わってしまい、次は先ほどとは違う登場人物に注意して読み進める事にした。

繰り返し繰り返し本を読む。

食事もとっていなかったが何日か経ったのだろうか。

日付が分からずふとテレビをつけた。

アナウンサーがけたたましくニュースを読み上げ、病院襲撃殺人事件だとか犯人は医療ミス被害者遺族かなどと複数のコメンテーターが討論しうるさかったのでチャンネルを変えてみた。


こっちのチャンネルでは静かなトーンでショートカットの女性アナウンサーがニュースを読んでいた。

研究施設と思われる建物が写り、何かの入った瓶が映る。そこには知っているものが映っていた。

そこに記されたニュースのテロップをゆっくりと読み上げる。


『新種の奇病で死亡した女性、久保田奈緒さんの心臓を摘出 今後の医学の為大学病院で保管 新しい治療に期待』


そこに写ったのは紛れもなく肥大化したあの心臓だった。

自分の知っている心臓との違いはただ一つ。跳ねるように力強く脈打っていないことだけ。


彼女から命も心臓も奪って、こんな晒者に。

不快感と憎悪から笑いが止まらなかった。

うるさすぎる世界に蓋をして。

笑いながら本を読んでただただ時間を過ごした。

冷たい空気が張り詰めた部屋の窓の外が赤く光って彼の視界をさらに明るく犯す。

うるささに眉を顰めながらページをめくりながら笑う。

彼の笑い声は次第にサイレンに消された。






同じ時

同じニュースをみていた男が1人

彼は目に涙を浮かべ恍惚の表情で光る画面を見つめていた

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