第四章 溺れるには浅すぎるコップの中で


数年前

“修生大学病院”

ここは東京都の中心部にある大きな大学病院で難病と言われるものや、原因不明の症状の患者が運び込まれ研究対象となったり、新薬による治療などが行われている。


ここに西森は勤めていた。

医師として勤務し様々な難病と向き合ってきた。

まだ歳の頃は35と医師にしては若手だが十分に活躍し期待されている人間だった。


病院の廊下を今日も慌ただしく医師たちが駆け抜ける。

しかし、この日の慌ただしさは普段とは違ったおかしな忙しをしていた。

複数の医師が話し合い、顔色を青くしていた。


その医師の中に西森はいた。

皆が慌てふためいている理由それは…


原因不明の奇病にかかった女性の搬送がなされるということ。

その女性の名前は「久保田 奈緒」

22歳の彼女が抱える奇病とは

症状はこうだった

ずっと前から凄まじい倦怠感に襲われ、急に力が抜けたり、立っていられないほどの眩暈に襲われる。

そこで近隣の町医者で検査したところ、血液検査の結果がどれも人間ではあり得ない数値を叩き出していた。

そこで医師から修生大学病院へ連絡があり今日より精密な検査のために搬送されてくることになった。

西森にも彼女の検査を手伝うようにと白羽の矢がたった。


程なくして病院へと運び込まれたのは長い金髪で細身、気が強そうで少し派手な印象を受ける女性だった。


複数の医師に囲まれ不安そうな顔をする久保田は周囲の医師を睨みつけながら不安を隠す。


「あたし何日も入院してるつもりなんてないからさっさと帰らせてよ。」


強がった態度で医師たちを威嚇しながら入院する部屋へと連れて行かれる。

彼女は特別な個室が用意され24時間人の目とカメラによって監視される形になる。


久保田を入院させ次々と検査のスケジュールが組まれる。

手っ取り早く済まされた血液検査ではまた異常な数値が出ている。


血圧やエコーなど検査を進めるが原因は見つからない。

CTやMRIなど順番に検査を終え気がつけば夜になっていた。

病室のベットに座ってぐったりとしている久保田が気にかかった西森は病室へと入っていった。


「久保田さん。お疲れですよね。大丈夫ですか?」


ベッドの横に立ち顔色を伺う。

まるで野良猫のように警戒され、視線をフイと逸らされてしまった。

それもそうだろう。

勝手に検査だと言われ一日中引っ張り回され医者に囲まれて数奇な目で見られる。

彼女にしたらたまったものじゃないだろう。


「入院って嫌ですよね。おまけに検査ばっかりで気が滅入りますよね。…気の利いたことも言えなくてすみません。」


「…あんたはなんの先生?」


「外科医です。専門は循環器です。」


「名前」


「西森と申します。」


「…」


無愛想だが少しは興味を持ってくれたのだろうか。

彼女はそっぽを向いたまま話し始める。


「私、ここに長い間いられないんだけど。いつまでかかるの?」


「えっと…何かご用事が?検査次第なんですが…原因がわからないままに退院させるわけにはいかないんです。」


「…」


黙ってしまった。

それもそうだろう。

こんな若い子がいつまで続くかわからない入院生活を宣告され、それも研究対象のように扱われるんだ。嫌で当然だ。


「明日も検査があるんですが…極力早く原因がつかめるように努力します。少しでも早く出られるように…」


「…」


少しの沈黙が辛くてすぐにその場を後にした。



そこから彼女は何日も様々な検査をされ、日に日に弱っていった。

食事を拒否し点滴で必要な栄養を与えられるが、みるみる痩せ細る。


この検査もこの治療も何もかも彼女のためなのだろうか。

ここにいる医者たちは何のために彼女を調べているんだ。


そうだ。


好奇心か。


決して彼女の回復のためなんかじゃない。

この奇病はなぜひき起こっているのかを知りたいだけだ。

だから無意味に苦しい検査を何度も行い、不必要な投薬を繰り返す。

まるで彼女自身は見えていない。

それに気がついた時に僕は

医師たち全員が人に見えなくなってた。


目と鼻と口がついただけの粘土の塊か何かに見えていた。


人を救うといってなった医者は、僕に一番向いていない職業だったのかもしれない。


検査を繰り返し弱る彼女を見るたびに周りの人間は人に見えなくなった。


弱った彼女がベッドに座っていた。

彼女はか細い声でこう言った。


「私あの子のために死ねないの。」


「あの子…?」


「そう。私の代わりに自分を殺したあの子。」


悲しい顔をして笑った彼女は酷く疲れ果てていた。


「お聞きしてもいいんですか?」


「少しならね。…あたしが異常だったから、あたしの代わりに全てを背負って自分の未来を殺した子がいるの。その子のためにもね、その子にもらった分もね…生きなきゃいけないの。」


黙って聞いていたが彼女の表情がだんだんと柔らかくなっていくのを見ていると本当に大切な人の話をしているんだなと感じ、目頭が熱くなった。


「それでねその子と約束したの。自分らしく生きるって。だからこんな所でじっとしてらんないの。」


彼女の決意はその横顔から感じられた。

こんな真っ白な病室に閉じ込められ、自分の意思とは関係なく検査をされ生活を奪われた。

それは彼女1人ではなく彼女の背負うもう1人の分の命も拘束しているのだ。

医師には何の権限があるのだろう。

拘束し検査し、これは人類の未来のためだなんてカッコっつけて行ってもいい行為なのだろうか。


西森はこの日から極力久保田の病室に足を運ぶようになった。

何でもない話をして、病院内を散歩し、彼女が興味あるといった映画を診察室で見たり…彼女の抱えたもう1人の命のためにも、今ここでできる限りの楽しさを提供したかった。


けれど、西森にできることは少なすぎる。

この病院の中でだってまだまだ若手で何の権限もない。

今上司たちは西森が久保田と交流することで、彼女が幾分検査に協力的になってくれることから多少の行動は目を瞑ってくれているだけだった。


限られた物しか持ち込めないが、上司に許可を得て今日はハンドクリームを渡しに行こうとしていた。

最近久保田は自分の手を激しく噛むことが増えた。

ストレスだろう。

治療をしてもその傷が癒える前にまた新たに噛んでしまっている。

そこで、以前久保田が西森の付けていたハンドクリームに妙味を示していたので、与えてみてば少しは噛もうという衝動が抑えられるのではと思った次第だ。


病室の扉を開きながら声をかける。


「久保田さん入ってもいいですか?」


「どうぞ。」


久保田はもうベッドから体を起こすのも辛そうだ。


「寝ててください。これを渡しに来ただけですから。」


そういってハンドクリームを手渡す。


「これ…私使っていいの?」


「えぇ。これを塗っていたら少しは噛みたいと思う気持ちが薄れるのではと思って。ハンドクリームは噛んだらきっと不味いですしね」


そういって軽く笑うとつられて久保田も軽く笑った。


「確かに変な味しそうだもんね。ありがとう。先生に優しくしてもらいすぎてるなぁ」


「そうですか?特になにもしてませんが…迷惑ですか?」


「ううん。けど、先生に優しくしてもらいすぎて最近はナースが怖いよ。先生人気なんだね。」


「ははは…」


乾いた笑いしか出なかった。

確かに何人からかアプローチを受けている自覚はあるがどの子も興味は無くそっとお断りしている。


「先生いい子いないの?彼女いるの?」


「はは、居ませんよ。今はまだ若手だしここの仕事で手一杯でプライベートなんてないですから。」


「ふーん。勿体無いね先生は自由なのに。私は会いに行くことさえできないのに。」


久保田は悲しい表情で天井を見た。唇を噛んで悔しそうに眉を歪める。


「大切な人ですか?」


「うん。あいつ私が居ないとダメなのに。今どうしてるんだろう。本当に」


彼女のプライベートはなにも知らないが彼女にとっての大切な人。

彼女はその人をいつも心配しているようだ。

前に話していた“あの子”だろうか。

自分に力があればこんな非人道的な軟禁ではなくせめて普通の入院をさせてやれるのに。

そうすれば面会もできる。

なのに、自分にはまだそんな力はなかった。


そう西森は自分を責めるがなにも解決する術などないまま、ただ日が過ぎていった。


それから数日、突然彼女の容態が急変した。

心臓が苦しいと訴え循環器担当である西森が呼び出された。


「すぐに検査映像を見せてください。」


西森がパソコンに座ると映像を表示させる。

そこには撮られたばかりのMRIの結果が映し出される。


「どういうことだ…」


その映像は専門医でない人間が見たとしても異常がすぐにわかる映像だった。

心臓が信じられないほどに巨大化している。

映像では真っ白に濁り大きく肥大した心臓は肺を圧迫し赤子の頭ほどの大きさに腫れ上がっている。

検査結果を順番に見ていく。

血液の数値は乱れており、心拍数は異常な速さになっていた。

巨大な心臓が鼓動を刻むたびに彼女の呼吸は奪われる。

人工呼吸器をつけられ彼女は鎮静剤で眠らされる。


ベテランの医師たちも結果を眺めて首を傾げ西森に尋ねた。


「西森先生。あなたはこの結果をどう見ますか?」


「…心臓肥大ですが大きさが異常すぎます。2日前の検査では全て通常でした。たった2日でこんなふうになるのは異常です。」


「考えられる要因は?」


「検討がつきません…彼女は少なくとも2ヶ月この病院で隔離されています。何かに感染するなどは考えにくい…彼女の最近の行動…自分の手を噛んでいた。何度も肉が割けるほど…」


西森は何かに気が付いたかのようにパソコンを叩いた。


「入院時から食事を拒絶。点滴で栄養を摂っていた。目眩や頭痛…手を噛みたいのではなく食べたいのだとしたら。血を欲していたとしたら…」


「何だそれは。彼女か吸血鬼だとかいうんじゃないだろうな。」


「違います。寄生虫ですよ。寄生虫によって血中の栄養が奪われ貧血のような症状。手を噛んで血を求めていたのは鉄分を欲したから。」


「そうか!心臓に寄生虫が巣食って…けどここまで肥大した前例は見たことがない。本当に寄生虫か?」


「今の段階は可能性があると言うだけです。ですので今すぐにエコーで検査してください。これほどの大きさです彼女の心臓を投影すればなにか見つかるかもしれない。」


西森は手際よく看護師に指示を飛ばしすぐにエコーの手筈を整えた。

その結果、医師たちは愕然とする事になる。

彼女の心臓内部で確かに蠢く影を発見したのだ。

けれど、今現時点でこれ以上のことはわからない。

彼女の心臓内で生きる何かがいる。

その事実だけで今までの常識を覆すには十分だった。


医師らは慌ただしく各所に連絡を取る。

会議が始まり今後との事が一晩かけて話し合われた。

病院中の専門医が意見を出し合い揉めていたが、どの医師からも感じられるのは患者の改善ではなかった。

今目の前にある見た事の無い現象への好奇心。

未知の事例への好奇心だけで話し合われた会議で導き出された答えに西森は声を失った。



『患者久保田 奈緒の心臓摘出』


それは今生きている久保田の心臓を摘出するという物だった。

西森は抗議し彼女の命はどうなると訴え続けた。


しかし医師たちの意見は

このままでは心臓の破裂も考えられる。

そうなっては研究することもできずこの珍しい症状をみすみす手放すことになってしまう。

新たな心臓移植を行えば生きられる可能性はあるのかもしれないが今ドナーを待っている時間はない。

ましてや既に巨大化した心臓によって圧迫された他の臓器も今後まともに機能するか怪しい。

後世の為に彼女の症例を徹底的に研究することが、今の我らに課されたことであると。



この密室で行われた会議の結論は好奇心で彼女を殺すということだった。


これだけの人数の医師がその気になれば簡単に死など揉み消せる。

得意な症例なのだからなおのこと。

それに、彼女は身寄りもないと聞いている。

全てが医師達にとって好都合だった。


「どうか、ドナーが見つかるまで待ってください。彼女は生きなきゃいけないんです。」


西森の必死の訴えも虚しく、医師達は淡々と話を進めていく。

興奮した西森を若手の医師達が無理やり会議室から退出させた。


部屋から出され床に膝をつき絶望する西森に「お前はもうこの件に関わらなくていい」ただそれだけが伝えられた。



誰もいないシンと静まり冷たい廊下の床を何度も殴った。

涙を流そうとも声も出ず、叫びもできなかった。

まるで病室の彼女のように。


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