第三章 真綿より哀れみ深いろくでなし


憂鬱だ。

翌朝の目覚めは最悪だ。

結局彼らの事が頭をめぐって碌に寝られなかった。

今日も聴取があるというのに野崎は最悪の顔色をしていた。

悪すぎる顔色は化粧品で隠して、エナジードリンクを流し込んで気合で立つ。

今日こそは油断しないと決心して、彼らとの面会へと向かう。

不眠に過度な緊張、空腹にエナジードリンク、そこに来て通勤ラッシュの電車。

具合を悪くするには最高の条件がそろっていた。

決心とは裏腹に顔色をより一層悪くした野崎が刑務所に到着し面会室の前に仁王立ちする。


深呼吸して開いた扉の向こうには既に三人がそろって待っていた。


「皆さんおはようございます。今日もよろしくお願いします。」


そういった野崎を見た瞬間三人は目を丸くして驚いていた。

ここで口を開いたのは面倒見のいい黒谷だった。


「おい。野崎ちゃん顔色悪いとかいう騒ぎじゃねぇぞ。何事だよ。」


「(あんた達のせいだよ!)」そう言いたい本心を精一杯飲み込んで野崎は笑顔を向けた。


「野崎ちゃん…大丈夫かよ、殺したやつより顔色悪いやつ初めて見た。」


「そんなブラックジョークやめてください。私だって好きでこの顔色してません……うっ…」


こみ上げてくる胃酸とエナジードリンクをこらえて椅子に座る。

こんなとんでもないブラックジョークを言える人間なんてそうそういないだろう。

しかし、残念なことにそんなとんでもないブラックジョークを言える人間がこの部屋に3人もいるのが現実だ。

絶望しているところに珍しくナイの声が聞こえてきた。


「水……」


「お前またか!!」


呆れながら大声を上げた黒谷は食い気味でストローを抑えた。


「違う。野崎が水。飲んだら?」


口に拘束具を付けられ両腕を拘束された殺人犯に体調を心配されている。

情けなくて涙が出そうだ。

けれど、通勤ラッシュの電車の中で迷惑そうに私を睨んできた人間より、今この瞬間殺人鬼の方が優しいのが現実だ。

やりきれない。

ナイに言われ自分の水を飲んで気合を入れなおした。


「すみませんでした。大丈夫です。」


そう言っている時には、ナイが黒谷に固定してもらったストローからまた水を飲んでいた。

この光景が当たり前になりつつある。


「ところで野崎さん約束の本は持って来てもらえましたか?」


西森は話をさえぎって本の請求のようだ。


「持ってきましたよ!私のおすすめ!というかたまたま家にあった多肉植物の図鑑ですどうぞ!」


多肉植物の図鑑 あまりのチョイスに一同が絶句する。

茶化してきそうな黒谷も絶句し西森と図鑑を交互に見る。

ナイはぽろりと口からストローを離して拘束具の中であんぐりと大口を開けていた。

多肉植物の図鑑を手に取りパラパラとページをめくった西森はそっと机に置き自前の本を読み始めた。


「疲れているということで大目に見ますが今度は真面目に頼みますよ。だいたい読みたいって言ってるのにこんな写真だらけの図鑑なんて持ってこないでください。」


大目に見てくれたとはいえ明らかに苛立っていた。

それを見た野崎は少し口を尖らせ


「じゃあどんな本が欲しいんですが」


「物語の読み物だったら偉人系とか推理物とか何でもいいです」


「何でもいいが一番難しいんです!!とにかく、本は何か探しますから今日もまた協力いただきますからね!早速ですが昨日のお話に合った水の件ですが、西森さんがおっしゃっていたように、今からでは捜査は不可能でした。ですがもし次また同じような事件が起きた場合はきっちり調査するように頼んでおきました。」


「そうですか。では次の殺人待ちで…「待ちませんよ!」


野崎は食い気味で答える。


「今まだ考えることはあります。次に遺棄される可能性の高い場所の絞り込みです!!」


鼻息荒い野崎に若干全員が押されている。


「わ、わかったから。息整えろ。怖いぞ。」


黒谷にどうどうと宥められた。

黒谷は荒ぶる野崎の代わりに話し始める。


「で、犯人が次に遺体を捨てそうな場所ってか……あ、そうだ昨日俺らが言ってたマスコミに扱うの辞めさせろって話どうなった?あれやっちまえばいきなり効果出ると思うぞ。注目されるために次用意してくるだろ。」


「貴方達にそう言われたから躊躇してしまってまだ上には伝えてません。犯人を刺激して次の殺人を起こさせることになるわけなんですから…」


難しい顔をした野崎に西森が話す。


「でも、どうでしょう、もしマスコミで扱わないからだと苛立った犯行ならこれまでと違ってボロは出しやすいと思いますよ。何か証拠の一つでも落として行って貰いましょう。それ以外にも見てもらえないとイラついて犯行声明でも書いてきたら大収穫じゃないですか。」


確かに西森の意見には一理ある。

承認欲求を満たしたいと犯人が苛立てば、警察署かマスコミかネット上か、何処かに犯行声明等を出す可能性はある。

向こうが浅はかに動けばそれは大きな証拠になる可能性が高い。

証拠がない今何か一つでいい、犯人に繋がる物的証拠が欲しい。


気がつけば野崎の中で次の犯行への不安よりも、得られるかもしれない証拠へと気持ちが動いている。

そう自覚した瞬間、野崎はまた自分に嫌気がさした。

けれどそうじゃない、どれが正解なのか冷静に選択しなければならないのは自分だ。

この受特捜査について任されているのは自分なのだから。

そう思えば思うだけプレッシャーで胃酸が上がる。具合の悪さは加速する。

選択が遅くなれば捜査にも支障が出る。

受特捜査の責任者として野崎は拳を握り決断した。


「マスコミに報道を取りやめてもらいます。この件について一切触れないよう、注目させないよう上に話します。」


言い切った後に、スマホを取り出しその場で上司に電話で掛け合う。

またこれが彼らの意見であることを丁寧に説明し実行して貰えるように頼み込んだ。

数分の電話を終え野崎は3人の方へと向き直った。


「皆さんの意見が通りました。報道について一時的にではありますが停止を求めて下さるそうです。その間に何か起きるとは限りません。ですが期待したいと思います。その他に今後犯人が取りそうな行動や次に遺棄する可能性のある場所の検討をします。皆さんの意見を下さい」


野崎はつらつらと言ってのけたが、元々の顔色の悪さと違う不快感が顔に出ていた。


「もしかしたら、次の殺人の後押しをしたかもって思ってそんな機嫌悪くなってんの?」


神経を逆撫でするような言い方で黒谷が煽ってくる。

その人を煽るようなニヤついた声も顔もまだ慣れていない。

けれどこれが彼の話し方なんだと言うのは少しずつ理解してきている。

一呼吸置いて彼の発言を軽く受け流す。


「そうですね。そう思っていると思います。ですがこの不快感がなんなのか自分でもハッキリわかっていません。という事で更に不快です」


そう聞いて黒谷は小さく笑いボソリと呟く。


「不快なうちはいいんじゃないの?それを不快と感じなくなった時がやばいでしょ?それが快感になるのもやばい。でも1番やばいのば全部感じなくなる時じゃない?」


そう言う黒谷の目は不安な心を逃がさないと言わんばかりに野崎の目を見る。

黒く揺れるその目を見ていると、この目は何人の死を見てきたんだろうと不安になる。


彼の言う”全部感じない”とは何を指すのだろうか。

少なくとも彼らは何かの目的のために殺人を繰り返している。

“全部感じない”という訳では無いんだろうと勝手に断定した。

そうしなければ、今以上に彼らがわからなくなり不安だったからだ。


不安や不快に蓋をして野崎は話を進めた。


「では。話を戻します。何か思い当たる事ある方お話頂けますか?」


「はい。」


静かに声を上げたのはナイだった。


「思ったんですけど…」


ゆっくり話しては宙を見て間が空く。

次の言葉を探しているのだろうか首を傾げたりしながら続きの言葉が漏れる。


「警察は誰が犯人だと思ってるんですか…?男?女?…全く検討もついてない…そんな訳ないでしょ…?」


そう言われてギクリとした。

なぜなら…何も無いのだ。

野崎は渡されている書類をめくって肩を落とした。


「今警察が絞り込んだ犯人を本当にありのままを読み上げるから聞いて下さい。」


ゴクリと一同は真剣に耳を傾ける。


「犯人は10歳~70歳くらいの男か女。痩せ型~肥満で、低身長~長身。だそうです」


「思ってた以上のポンコツだな。ほぼ全人類じゃねーか。こんな警察に捕まった事が情けなくなってくるな」


呆れた黒谷は机に突っ伏して不貞寝を始める。


「わかります。私もこの書面見た時に驚きましたしなにかのジョークだと思いました。けど、これほどまでに何も絞り込む要素がないんです。この事件。だからこそ皆さんの協力を求める事になったんです。」


怒っているような悲しいような複雑な表情のまま野崎は水を一気飲みする。

それを見かねて西森は口を出した。


「犯人は強いこだわりがある。死体はキレイに残したい、必ず腹部と両手脚の付け根の計5ヶ所刺す事への執着、早く発見されるように遺棄する。このこだわりを遂行できる人間。」


止まらず話し続ける西森の話を大急ぎでメモをとる野崎。

黒谷は不貞寝と思われだが話が面白いのか目を開け話を聞き始めた。


「つまり、犯人は誰にも見つからずこれほど丁寧に遺体を洗える場所を持っている。また被害者は成人した男女ですよね。成人した男女を引きずったり傷付ける事無く運べる体格の人間。更にその遺体を山奥等に運ぶ為の車を持っている。借りる可能性もありますが犯行の都度に借りるとは思いにくいですから、所有しているでしょうね。」


黒谷は興味津々の顔で起き上がり西森の話に入ってきた。


「じゃあ、それなりに稼ぎのある男か!?」


「その可能性が高いんじゃ無いですか?漠然と証拠が無いと言うならこれくらいに的を絞ってみてもいいと思いますよ」


「お前すげぇな…よくそれで絞り込むとか考えつくよな!」


「僕がそれで捕まりましたから」


「あっ……」


嬉しそうな黒谷は一撃で叱られた犬のようにしょげた。

気まずそうに椅子に座り直すと野崎の方を見た。

野崎は困惑と驚愕と言った顔面で西森を見ているが、気合いでメモは取り続けていた。


「ってかさ…正直俺気になってたんだけどさ…お前ら2人何してどうやって捕まったの?聞いてもいいわけ?」


黒谷は突然思い切ったことを聞いた。

ずっと気になっていたのだろう。

これが気になっていたのは野崎も同じだ。

軽く調書で纏められてはいるが、何故そのような事をしたのか、何故逮捕に至ったのか興味が無いと言えば嘘になる。

野崎も好奇心から止める事はなく西森とナイの返答を待った。


「僕は別に話しても構いませんよ。といっても皆さんと大差ないと思うので面白くない話ですよ。」


西森はいつもの通りに本んを読んだまま話し始めた。


ここからは彼の過去の話。

彼がここへ来る前の

彼が彼を見失って行く話


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る